2 瞳の奥にすむもの

La Dolce Vita

【2 瞳の奥にすむもの】 



本の管理に日光や湿気は大敵である。
そのため多くの書籍を納めた図書室には換気用の細い窓がいくつかあるだけで、光が差し込む場所には本は一冊も納められていない。

「はい。この本でいいかしら?」

「ありがとうございます」

ふわり、と音もなくヴィーゼの傍らに降り立ったルテネスは、手に持っていた本を差し出す。その本を受け取ってヴィーゼがお礼を言うとほんのりと目元をほころばせた。
もともと本好きということもあるのだろうが、錬金術の勉強のために幼い頃からヴィーゼは足しげく図書室を訪れている。
図書室に来ても本を開くとものの数分で転寝を始めてしまう彼女の幼馴染も、彼女も、ルテネスにとっては可愛い弟妹のようなものだったが、おなじ趣味を持つものにより親しみを感じてしまう。本を受け取ったときの満面の笑顔を見てしまうと、特にだ。
そして幼い頃の笑顔になかったものが、今のヴィーゼにあることもわかる。
しげしげと顔を見つめるルテネスに気づいたヴィーゼが、小さく首をかしげた。

「あの…もしかして、あたしの顔に何かついてますか?」

反射的に頬に手を添えたヴィーゼに、ルテネスが少し目を見開いた。

「いいえ」とゆっくりと首を横に振り、またヴィーゼを見る。

「ヴィーゼも、もう18歳ですものね」

「はい」

突然年齢を確認されて、面食らいながらもヴィーゼは頷く。
ルテネスもヴィーゼの誕生日祝いに工房に来てくれていた。
フェルトの場合は、彼がベルクハイデにいた間だったためその日には出来なかったのだが、ヴィーゼの誕生日に一緒にお祝いをしたのだ。
二人分ということでにぎやかになる上に、それが18歳という成人の年の祝いともなるとその度合いは推して知るべし。
なぜかヴィーゼの分まですすめられた酒を飲んで、フェルトが次の日の夕方まで起きられなかったことは、彼女の記憶に新しい。

「小さい頃から知っているからかしら?大人びて、綺麗になったなと思ったのよ」

「ええっ!?そんなこと…」

手を添えていた頬が途端に熱くなった。

「あら、本当よ?」

「ルテネスさん〜、からかわないでください」

ヴィーゼが両手で隠した頬は真っ赤になっている。
照れ屋であり、「年齢よりも見た目が幼い」とヴィーゼが気にしていることを知っているルテネスはその様子にクスリと笑う。

「そんなに気にしなくても大丈夫よ。…今でも十分お似合いなんだから」

その言葉に、ぽっとヴィーゼは耳まで赤く染めた。赤くなってしまったことにさらに照れてしまい、顔中赤くなる。
顔を赤くしたまま、困ったように小さな声でうなっていたヴィーゼだったが、しばらくしてぽつりと呟いた。

「…そう、ですか?」

「ええ」

「……」

「ヴィーゼ?」

俯いてしまったヴィーゼに、ルテネスが心配して声をかける。

「フェルトが格好いいんです」

ぽつり、とヴィーゼが呟いた小さな言葉を耳にして、ルテネスは目を丸くした。

「知らない間に、背も高くなってて。肩とか背中とか大きくて、手をつないだときの、その手もあたしよりずっと大きくて。大人の男の人ってこんな風なのかなって…」

開いた窓から風が入り、ぱさぱさと机の上にあった本のページをめくっている。

「あたしの知ってるフェルトとは違って、すごく大人っぽくてっ…それなのに、あたしは全然変わってないって思ったら…」

人の本質は見た目ではないと知っている。
けれど、どんどん大人っぽくなって格好よくなっていく幼馴染をみていると、嬉しいのと不安になるのとで、心の中がぐるぐる、落ち着かなくなってくる。
フェルトがベルクハイデにいた時の日記で、『化粧』について書いてあったことを思い出して、メイラがよく行っている店で、口紅を一つ買ったことがあるけれど。
とても似合っているとは思えなくて、フェルトのいないとき一度使っただけで今は棚の引き出しの奥にしまいこんでいた。






枢機院では教育を担うための講義用の部屋がいくつもある。
錬金術の実験を行うものは危険をともなう場合があるので上階に、幼い子供むけの講義などは下階を利用していた。
図書室は、比較的低年齢層の生徒が利用する部屋が多い場所にある。

「では、今日はこのカードを使って授業をする」

はーいという元気のよい返事に、教師役の枢機院の青年がぽんっと機嫌よく手のひらを打ち合わせる。
次の瞬間には、手のひらにおさまるほどだったカードの束が、10倍近く大きくなった。

「シルヴィ、たのむぞ」

「うん」

呼びかけに応えてその傍に浮かんだシルウェストがカードを配ろうとしたのだが、むっと顔をしかめた。

「シルヴィ?」

「なー、ディード。ちょっと狭くない?」

青年の傍で、薄茶色の髪の少年が小さな手で法衣の裾を引っ張る。

センセイと呼べといっているにもかかわらず、この生意気盛りの少年だけは青年を呼び捨てにする。

「ワタシもそう思う。カード配りきれないよ?」

「えー」

「外の、中庭でしようよ。そのほうが楽しいよ」

ついでに終ったら授業にかこつけて遊べるし。
シルヴィが言いながら部屋の中の子供たちをぐるりと見回すと、皆期待の目で青年を見つめていた。
狭い部屋の中での授業がイヤなのは、実は青年も同じだった。ただ、このところ立て続けにそういうことが続いて、教育官長から小言をもらったばかりなのだ。
ここで許したら、また呼び出しがあるのだろうが…。

「…しかたないか…。じゃあ、中庭集合。5分後だからな」

ため息混じりに青年が告げると、子供たちは途端に扉を開けて廊下に走りだす。

「ティンク!リーズー!フレイ!はーしーるーな!」

扉から顔を出し、一番に飛び出していった数人の子供たちの背中に向かって叫んだ後、青年はその通路の反対側に知り合いの姿を見つけて目を留めた。

(フェルト?)

フェルトが背を向けている方向には、図書室しかないはずだ。
妙にふらふら歩いているところを見ると、もしかしたら枢機院長に何か厄介な課題でも出されて、図書室に篭もりでもしていたか。

(それにしては…ヴィーゼも一緒じゃないなんて珍しい)

図書室+フェルト=ヴィーゼ
は、二人を知る枢機院の人間ならば誰しも知っていることだった。





フェルトは図書室の前までいったものの、中に入ることが出来なかった。
かといってそのまま扉の前にいることも出来ず、ふらふらともと来た通路を戻っている。
フェルトの頭の中には、図書室のヴィーゼの言葉が繰り返し響いていて、周りの風景は見えていても見えず、聞こえていても気づかなくなっていた。
聞こえてきた声の調子から、彼女の表情もはっきりと想像がついた。
きっと真っ赤になって言っていたのだろう。

『あたしの知ってるフェルトとは違って、すごく大人っぽくてっ…』

(…俺とは違う…大人の男…)

『肩とか背中とか大きくて、手をつないだときの、その手もあたしよりずっと大きくて。大人の男の人ってこんな風なのかなって…』

その言葉に思い浮かべたのは、ヴィーゼの白い手だった。
やわらかくて、温かい。
剣を持つことで手のひらが厚く硬くなったフェルトの手が、すっぽりと包み込めるほどの大きさだった。
その手を、握った、誰か。
ごくっとフェルトの喉がなる。
緊張でカラカラに乾いていたせいでその奥が痛んだ。
感じたのは不快感だった。



その足で月の塔に向かい、そこにいるマナたち、そして聖地の傍にある村でフェルトが話を聞き終えた頃には夜になっていた。
帰ろうと思えば、数時間でノイアールに戻ることが出来る。
しかし、フェルトは月の塔のある岩場で夜を明かすことを選んだ。
心配するヴィーゼには、シェアドリングを介して、手紙を送る。
すぐにヴィーゼから返事が返ってきた。
その文字を月明かりにかざし、読んでいたフェルトはわずかな罪悪感に顔を曇らせる。

(…ごめん、ヴィーゼ…)

うそを嫌う自分を知っているからこそ、ヴィーゼはその事を考えもしないのだろう。
『月の塔の調査のため』今日は家に帰れない。
フェルトが書いた内容は、嘘ではなかったが、それがすべてではなかった。
ふと、フェルトは自分の右手を見る。
幼い頃からこの手で、何度も彼女の手を取っていた。
だからといって、誰がヴィーゼの手を握ろうと、彼女が拒んでいないなら、フェルトには何も言えないはずだった。
それなのに、自分の知らない間に誰かが彼女の手を握ったということを知ったとき、感じたのは理不尽なものに対する怒り。

フェルトは大きく息を吐くと、ごろんと地面に仰向けに寝転がった。
ひんやりと冷えた岩の感触が背中を伝わってくる。
髪の下のざらざらとした砂利の感触も、あまり心地のよいものではない。
眠ろうとしても、おそらく心地よいものにはならないだろう。
それに、眠ることもないのかもしれない。
まっすぐに降りてくる月の光を感じながら、フェルトはシェアドリングを、空にかざす。

ヴィーゼと同じリング。

別にずっとつけていなくても、かまわないものなのかもしれない。
この指輪が創られた存在理由からいえば、もうつけている意味はないのだ。
それとは別に、ノインやグレイに、ヴィーゼとおそろいの指輪だと知られて、冷やかされたことがある。
夫婦がつける、婚姻の証の指輪のようだというのだ。
もし、他人の目から見てそのように見えるのであれば、彼女のためにはずした方がいいのかもしれないが、それでも、はずしたくはなかった。
そう考える自分が、フェルトには信じられなかった。

ベルクハイデに旅立ったあの日。
あの日から、なにか変わったのか。なにが変わっていないのか。

「感情?」

あの時まで分かれたことなど無かったのだ。
そしてこのリングがあったから、離れていてもお互いを傍に感じられていた。
けれど。

もしかしたら、これをつけていても、お互いを感じられなくなる日が来るのだろうか?

「……っ!」

かざしていた手を握り、フェルトはその拳を額に押し付け目を閉じる。

「………ヴィーゼ」











                                                 <終>       


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