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「お姉ちゃんっただいま!」
勢いよく扉を開けて、声を弾ませたイリスと、その後ろについてフェルトが入ってくる。
「お帰り、イリス。フェルト」
工房で調合をしていたヴィーゼは二人を振り返ると、ぱたぱたとその傍に近寄った。
自らの顔を見上げる幼馴染の少女にフェルトはにっこりと微笑む。
「ただいま、ヴィーゼ」
「二人とも、一緒に帰ってきたんだね」
「うん!」
イリスがヴィーゼの言葉に大きく頷く。
「フェルトはクロイツ枢機院長に呼ばれたって言ってたから、もっと遅くなるかもって思ってたんだけど」
「それは報告書を渡すだけですぐに終ったんだ。で、イリスの授業が終る時間までそんなになかったから、一緒にと思ってね」
「そうなんだ。よかったね、イリス」
フェルトの言葉に頷き、小さな妹に笑いかけたヴィーゼに、イリスが物言いたげにその顔を見上げた。
「うん。…あ、あのね。お姉ちゃん!」
「ん?なあに?」
小さく首をかしげるヴィーゼに、イリスは顔を赤くする。
「お姉ちゃんに見てほしいものがあるの」
「見てほしいもの?」
ちらっと顔を見上げたイリスに、横に立っていたフェルトはおもむろに鞄から石を取り出すと、床に置く。
その行動を不思議そうに見つめたヴィーゼに、フェルトは安心させるように笑ってみせた。
「がんばれ」
けれど説明などはせず、傍らのイリスに小さな声で声援を送ると、ヴィーゼの体を引き寄せて、すこしその場から距離をとる。
「うん。お姉ちゃん、見ていてね」
言いながらイリスは石に向かって手をかざす。
ぽうっと青い光が手のひらに広がり、小さな魔法円を宙に描いた。
石の周りにも同じ文様が浮かび上がる。
「わっ」とこぼれそうになった声をヴィーゼはあわてて飲み込んだ。
両手を胸の前に組み、じっとまるで祈るようにイリスを見つめる。
三人の視線の先で、石の下の文様がさらに光を放ち、その中に石が包み込まれた。
包みこんでいた光が消えたとき、そこには何も残っていない。
ふう、と息を吐いて、イリスはヴィーゼを振り返る。
ほんの少し誇らしげな笑みを浮かべるイリスに、ヴィーゼは顔を真っ赤にして、傍に膝をつくとその小さな体を一度ぎゅっと抱きしめた。
体を離し、その顔を覗き込むようにして、イリスに笑いかける。
「すごいっ!すごいよイリス!」
よろこぶヴィーゼに、イリスとフェルトは顔を見合わせて笑う。
「よかったな、イリス」
「フェルトは知ってたの!?」
イリスに向かってそう言ったフェルトを見上げて、ヴィーゼが問う。
「帰る途中に聞いたんだ。それでヴィーゼを驚かせてやろうと思ってイリスと、な?」
「でも源素還元の方法を教わったのは…」
「聞いてびっくりするなよ、ヴィーゼ。…今日だってさ」
「ほんとー?!イリスってばすごい!フェルトよりすごい!」
フェルトの言葉に、きゃあっと歓声を上げたヴィーゼはイリスに再び抱きつく。
大好きな姉が手放しで喜んでくれていることが嬉しいイリスも、ヴィーゼに抱きついて笑い声を上げていた。
ひとしきり喜び合うとヴィーゼは握りこぶしを固めて立ち上がる。
「じゃあ、今日はお祝いだね!ご馳走をいっぱい作るから、二人とも楽しみにしててね!」
うきうきと、それは弾んだ声で二人に向かって宣言したヴィーゼは、さっそく夕食の準備をそろえるために2階へ向かう。
「お姉ちゃん、イリスもー」
その後をイリスが追いかけて行き、一人残されたフェルトは二人の様子をくすくすと笑いながら工房の中の椅子に座った。
その表情がふと、まじめなものに変わる。
グレイたちが訪れた後、ヴィーゼが言っていたように忙しくなるものとフェルトは思っていた。
けれどなぜかそれ以降も、彼らが訪れる前と変わらない日々が続いている。
それは、いい。
(…またかよ)
心に浮かんだ言葉に、フェルトは自分に悪態をつく。
普通に過ごしている間は問題ないのだ。
問題は、こんな風にひとりになったり、ぼんやりとする時間があるとき。
気がつくと、つい考えてしまっている。
『ヴィーゼが好きになった奴』のこと。
『ヴィーゼが誰かを好きになった』ということ。
あの夜からずっと、ことあるごとにフェルトの心の中に浮かんでくる。
心当たりがあるような気がしたが、『彼』であるかは確信が持てず、あえて考えないようにしていた。
(ヴィーゼも水臭いよな、好きなやつが出来たなら、一言ぐらい俺に話してくれたって…)
ずっと一緒に暮らしてて、家族同然の関係なのに。
でも、いざヴィーゼからそのことを伝えられたら、自分はどうするだろう。
(そりゃあ、まずはそいつを一発殴って………あれ?)
躊躇なく思い浮かんだ言葉に、フェルトは思わず目を見開く。
なぜ殴るなんだ?ヴィーゼの好きな奴なのに。
(ホントは一発じゃあ気がおさまらないけど…って、え?)
誰の気がおさまらない?
(…俺?)
フェルトは椅子に座っていられなくなり、落ち着きなく立ち上がった。
戸惑うように、考え込み俯きがちになったその顔が瞬く間に真っ赤になる。
「…え…えぇ?…うそだろ?…そりゃあ、ヴィーゼは幼馴染だし…ヴィーゼは…」
「あたしがなあに?」
「うわあああっ!」
突然、幼馴染の声が聞こえて、フェルトは思わず大声を上げてしまった。
振り返ると、階段をおりかけたヴィーゼが、大声に顔をしかめてフェルトを見ている。
「あ…ヴィーゼ…」
「そんなに驚いて…、何かあたしに知られたくないこと言ってたの?」
「い…イヤ全然」
買い物用の籠を提げてイリスを連れたヴィーゼは、かなり無理のあるフェルトの態度に「ほんとかなぁ」と言いながら工房に降り立ち、その傍に近寄る。
そして小さく首をかしげた。
「フェルト、顔が赤いよ?」
「え?そうか?」
言いながらフェルトがその頬をぬぐうと、ヴィーゼは心配そうに頷く。
「うん。大丈夫?」
「大丈夫。なんでもないよ」
熱があるんじゃあ…そう心配するヴィーゼにフェルトは慌てて手を振る。
誤解して心配をさせたくなかった。
「ならいいけど…。これから、イリスと二人でお買い物に行ってくるね。フェルトはお留守番をお願い」
「うん。荷物が多かったら伝えろよ?迎えに行くから」
「わかった。その時はお願いするね」
「ああ」
快く頷いたフェルトにヴィーゼはにっこりと笑うとイリスをつれて夕方のノイアールの街に向かう。
フェルトは工房の扉の前で見送り、坂の下にその姿が見えなくなると、「はぁ」と大きく息を吐いた。
数日後、枢機院へ呼び出されたフェルトはその日新しい仕事をクロイツ枢機院長から任された。
「月の塔の『底』を調査するんですか?」
「ええ。しばらく前から、枢機院へ奇妙な音が聞こえたという話が寄せられていました。実害はまだ出ていないのですが、場所がマナの聖地です。何かが起こってからでは遅いでしょう」
まるで男がうなっている様な低い音が聞こえたらしい。
静けさを好む闇のマナの聖地では、マナの力からなのか、あまり音が響かない。
それなのに広い範囲で同じ音が聞こえたということが奇妙だった。
「まずはマナや、近くの住人に話を聞いてから現地へ向かってください」
「わかりました」
頷いたフェルトを満足そうに見つめて、クロイツは席を立つ。
月一で行われる各集落への視察のため外へ出るクロイツと連れ立って、枢機院の出口に向かっていたフェルトだったが、図書室や講義用の部屋につながる通路で足を止めた。
「イリスの授業はまだしばらく終りませんよ」
それに気づいたクロイツが声をかけるとフェルトは「いえ」と首を横に振る。
「ヴィーゼが今日図書室に用があるって言っていたので。俺も少しよっていきます」
「失礼します」と声をかけて通路の奥にある図書室に向かったフェルトの後姿を見送りながら、『フェルトと図書室』という珍しい取り合わせに、クロイツは彼に気づかれないように小さく笑みをこぼす。
自分の前ではそうおおっぴらに口にしないのだが、「本を見ると眠気が襲ってくる」と幼馴染の彼女にはこぼしていると、クロイツは知っている。
幼い頃から知るそのフェルトが自らの意思で図書室に向かうというときは、決まってヴィーゼが関係しているということにも気づいていた。
けれど本人たちにその自覚はなく、気づいているのは回りのものだけだ。
フェルトの姿が見えなくなったクロイツは、ふぅ、と小さく呆れ気味にため息をついた。
「それにしても、…いつになったら気づくのでしょうね…」
野暮なことだとは思うのだが、早くしないと、いくら公認に近いとはいえ馬に蹴られてもいいという者だって出てくるだろう。
親代わりの欲目でみても、ヴィーゼは十二分に可愛らしい。
(…もしそうなったら、私も排除の加勢はしますけど)
『娘』の彼氏への要求レベルが非常に高いクロイツはそんなことを考えながら、微笑を浮かべ再び出口に向かって歩き出した。
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