3 剣もて守るもの

La Dolce Vita

【3 剣もて守るもの】  

 


今回の調査報告を口頭で手短にディードが行い、フェルトが、自分の剣が物理的に使えなくなってしまったことを伝えると、報告を聞いていたクロイツ枢機院長は顔を曇らせた。
「調査内容についてはわかりました。二人とも、ご苦労様でした。ディードリート、詳しい内容は書類にまとめて近日中に提出してください。それから、フェルト」

「はい」

「剣が使えないとなると、その間あなたをベルクハイデに向かわせることはできません。代わりになる剣が見つかるまでしばらく別の仕事をお願いしますね」

「…はい」

それがデスクワークの類であると気づいているフェルトの返事はげんなりとして暗い。
一方クロイツ枢機院長は先ほどのことを覚えているのだろうが、表情はなぜか明るかった。対照的な『親子』の表情を見せられ、フェルトの横に立っていたディードは、興味深そうにそれぞれを観察していた。

翌日、さっそく枢機院へ向かったフェルトは、報告書を作成しているディードの横で黙々と紙に判子を押していた。
枢機院から出される書類、研究論文用の紙などはすべて、枢機院の印が入ったものを用いる。
最初のうちは元気よく木の判子の音が響いていたのだが、しばらくするとだんだん音の間隔が長くなり、今では1枚の紙にかかる時間がかなり長くなっていた。

「さぼるなよー。フェルト」

「さぼってないよ」

だらけてるけどな。
心の中で突っ込みを入れつつ、ディードはペンを動かしている。

「…なんでこう雑用ばっかりっ!」

書類整理や、研究論文の製本、公式文書用の判子押し。
その判子押しが300枚目にようやく突入した頃、フェルトが大きなため息と共にぼやくと、ディードが応えた。

「そりゃあ、フェルトがまだ半人前だからだよ」

「…っ!」

ぎろっと睨んできたフェルトに、ディードは「そもそも」と続ける。

「正錬金術士でもない人間に枢機院の仕事をさせていること事態、稀なことなんだぞ?枢機院はいたるところに錬金術の道具やものが揃っているし、使い方を間違ったらとんでもないことになるって、院長から聞かされているだろう」

だからさっさと資格を取ってしまえ、というディードにフェルトは顎を机に乗せたままのだらしない格好でぼやく。

「勉強は苦手なんだよ」

本を開いたらすぐに眠くなるし…。

その言葉に、はあっとディードは大げさにため息をついて見せた。

「そんなこと言ってるから、院長が書類整理とか論文の製本をやらせてるんだって、気付いてないのか?」

「はぁ?なんだよそれ」

「その手の仕事をしていたらイヤでも文章を読むことになるだろう?」

「〜〜うぁ」

「まあ、頑張ってな」

最後の一枚のインクが乾いたことを確認してディードが立ち上がる。
部屋を出るディードをフェルトは恨めしげに見送った。

 



その日の仕事は判子押しだけだったため、フェルトは仕事を終えるとそれ以上雑用を押し付けられないうちに早々に枢機院を後にした。
しかし、夏の暑い日ざしと、単調なデスクワークで体力を消耗していたため、工房に戻ったときのフェルトの足取りは重い。

「ただいま」

「おかえり、フェルト」

「おかえり、お兄ちゃん」

工房内はひんやりとした空気に満ちていた。
机の上を見ると、冷却用のアイテムが転がっている。冷気はそこから漂っている。
歩み寄ると椅子に座ってぺったりと横顔を机に押し付けた。
フェルトの様子を察したヴィーゼが、水差しから水を運んでくる。

「お仕事お疲れ様でした。はい、フェルトお水」

「ありがとう、ヴィーゼ」

フェルトは体を起こし、テーブルの上に置かれたコップを手に取ると一気にあおる。
空になったものをトンッと音を立てて机に置き、ふうっと満足そうに息をついた。
ついでに汗の浮かんでいた額をぬぐう。
おかわりの水を用意しながらその様子を見ていたヴィーゼは、何気なく傍に近寄ると、そっと髪に触れた。

「ん、ヴィーゼ?」

「フェルト、髪伸びたね」

鬱陶しそうに髪をかきあげる仕草が気になっていたのだが、襟足や前髪が随分伸びている。ヴィーゼの言葉にフェルトは目だけを上に向けて、伸びた前髪を眺めた。

「前に切ってもらってから、随分経ってるからなぁ」

「今日、時間あるから、切る?」

「うん」

「じゃあ、準備するね。出来たら声をかけるから」

「ああ、頼む」

フェルトの言葉に頷くとヴィーゼはぱたぱたと2階に向かう。
程なく道具を持って戻ってくると、まだ椅子に座って水を飲んでいるフェルトに声をかけた。フェルトの隣に座って、一緒に『お茶』を飲んでいたイリスがヴィーゼの手の中にあるはさみに気づいて声をかける。

「お姉ちゃんが髪を切るの?」

「うん。そうだよー」

家の裏手にある小さな庭の日陰に椅子を一つ置いて、そこに首から胸にかけて布で覆ったフェルトが座る。
普段とは違う光景に、イリスは興味津々二人の様子を眺めていた。

「イリス。そんなに見てなくてもいいんだぞ?」

まじまじと見つめるイリスの視線にフェルトが苦笑する。
フェルトの髪を水で湿らせながら、ヴィーゼもいつもより緊張したようにフェルトに声をかける。

「これから夏だし、少し短めにする?それともいつもと同じ?」

「そうだな。短めかな」

「わかった」

櫛で髪を梳いた後、ヴィーゼは手早く櫛をはさみに持ち替えて、フェルトの髪を切っていく。随分慣れた様子で髪を切るヴィーゼに、イリスはびっくりしたように目を丸くした。

「お姉ちゃん、お兄ちゃんの髪をいつも切ってるの?」

「うん。小さい頃はあたしもフェルトもクロイツ枢機院長に切ってもらっていたんだけど、引っ越してからはずっと、かな」

「じゃあ、お姉ちゃんの髪は?」

「ああ、俺」

自分を指差して言ったフェルトに、イリスが疑わしげな視線を向けた。
大雑把なフェルトを知っているからだろう。

「ちゃんと切れるぞ、俺だって」

「…最初の頃はひどかったけどね」

苦笑したヴィーゼの声が背中越しに聞こえてフェルトは思わず乾いた笑いを浮かべた。
襟足を揃え、前髪も切って全体的に短めになった髪を鏡で確認すると、フェルトはヴィーゼに礼を言って立ち上がる。

「なら次はヴィーゼの番な」

「あたしはいいよ」

「俺が切ってないってことは、ヴィーゼも切ってないってことだろ。ハイ座る」

肩を掴んで椅子に押し付けるようにヴィーゼを座らせると、素早く自分の首の布を取りヴィーゼの首に巻きつけた。

「ヴィーゼはどうする?」

「んっと、切るのは前髪だけでいいよ。後ろはそのまま」

布の下に巻き込んだ髪を上に出すためにフェルトの指が首に触れて、くすぐったそうにヴィーゼは目を閉じる。

「前髪だけ?」

「うん」

言いながらフェルトは少し伸びたヴィーゼの髪を指で梳いて、長い部分を顔の後ろに流す。
前髪を濡らして櫛で梳くとフェルトははさみを手に取った。
真剣な表情で髪を切ろうとしたそれが一瞬、崩れる。

「イリス。大丈夫だから」

よほど兄の信用がないのか、動きをひとつも逃さないというように、イリスが傍に張り付いている。

「イリス、大丈夫だよ。フェルトはすごく上手なんだから」

切った髪が服に張り付いてしまうから、とヴィーゼがいうと、イリスは素直に傍を離れた。そのかわりにと、じっと見つめるのは変わらない。

「やりづらい…」

「ぼやかないの」

「ん」

前髪の一房を手に取ったまま、フェルトがいうと、間近のヴィーゼが言葉を返す。

「目は軽く瞑ったままな。あけると髪が入るから」
「うん。わかってる」

ばつが悪そうに呟いたフェルトの、もう何年も繰り返し言われていた言葉に小さく笑みをこぼして、ヴィーゼは目を閉じた。



 





今にも雨が降り出しそうな天気に、薬草園の管理をしているその女性は、急いで外に向かおうとしていた。
エデンがエデンであった頃と違い、気まぐれに起こる天気の変化は以前より激しくなっている。その激しさの度合いによっては、木々や建物に被害が出ることもあるのだ。
枢機院の上階にある自分の仕事部屋から出て階段を下りていたところで、女性は珍しい表情の少年を見つけた。
どこから走ってきたのかわからないが、息が上がり額に汗の玉が浮いている。

「どうしたの、フェルト。険しい顔して」

「モティ、ヴィーゼは!?」

挨拶もなく、いきなりたずねられたモティは面食らいながらもフェルトに応える。

「ヴィーゼなら、さっき上で見かけたけど」

「ありがと!」

礼もそこそこにフェルトは傍を通り過ぎ、階段を駆け上がる。

「いつまでたっても変わらないわねぇ、あの二人は」

その姿を見送って、モティは呆れ混じりに呟いた。


最上階に上がっても、フェルトはヴィーゼの姿を見つけることは出来なかった。
まだ来ていないのか、すでにどこかに行ってしまったか判断がつかないまま、フェルトは走りこんだ勢いで、枢機院長の部屋の扉を開け放った。

「クロイツ枢機院長!どういうことですか!」

机についていたクロイツが、ノックもなく飛び込んできていきなり大きな声を上げたフェルトに、書類から視線を上げた。
フェルトの無作法をとがめるような表情を浮かべている。

「ヴィーゼにベルクハイデの調査の依頼をしたって!俺が最初に調査の依頼を受けたとき、『ヴィーゼの分も調査する。そのかわりベルクハイデの調査にはヴィーゼを参加させない』って約束したじゃないですか!」

それは一番最初にフェルトが確認したことだった。
ベルクハイデを知る、枢機院に名を連ねる者はフェルトと幼馴染の彼女の二人。
未知の場所を、何も知らない人間に調査させるわけにも行かず、ベルクハイデの調査には二人の協力が不可欠と枢機院では結論付けた。
そしてまずはフェルトに依頼を行ったのだが、そのときフェルトが言ったのが『ベルクハイデの調査にヴィーゼ一人で参加させない』ということだった。
調査員としての正錬金術士の資格を持ち、ベルクハイデについても知るヴィーゼは、本来なら一人で十分調査を行うことが出来る人物。
その少女に依頼をするなと、かわりに自分がそれ以上に仕事を請け負うからと約束して、これまでそれを果たしてきた。

それなのに!

険しい表情で睨んでいるフェルトに向かって、クロイツはゆっくりと口を開く。

「剣を失ったままのあなたは、調査を行うことが出来ません。ヴィーゼのものも、自分のものも、です。そして約束した前提条件が崩れた以上…」

「なら、剣があればいいんですね!」

「フェルト」

「すぐに…今日中にかわりの剣を見つけます!だからヴィーゼには」

「フェルト」

言葉を遮り言い募るフェルトに対して、クロイツは何度もその名を呼んだ。
言葉以上の意味を不意に感じて、フェルトは口を閉ざす。

「…彼女の希望を、理由なく断ることはできないんです」

遮られた言葉の続きを、クロイツが告げる。
その言葉にフェルトの顔がこわばった。
そして何かを恐れるように、ゆっくりと背後を振り返る。
開け放たれたままの扉の傍。
自分と、クロイツしかいないと思った部屋の中にはもう一人の人物がいた。
驚きに見開かれた大きな目、こわばった表情で彼女はじっと幼馴染を見詰めていた。
数枚の紙をしわになるほど強く胸に抱いている。

「どういうこと…」

震えた、小さなヴィーゼの声にフェルトがびくっと体を震わせた。

「ヴィーゼ」

『聞かれてしまった』、『知られたくなかった』そんな心の声がはっきりと聞こえる表情で、自分を見つめたフェルトに、ヴィーゼは顔をこわばらせたまま、呟く。

「フェルトが、あたしへの依頼を断ってたって…なんで…」

それまで持っていた剣に代わる、新しい剣が見つかるまでベルクハイデへ調査には行かないとフェルトから聞いて、最初ヴィーゼは安心したのだ。

ベルクハイデは広くて、まだまだ知らないことが多すぎる。
いくらフェルトが強くても、怪我をしないという保証はどこにもない。
しかし、フェルトがエデンにいてくれることに安堵しながら、同時に、フェルトが動けなくなったことによってベルクハイデの調査は滞るだろうともヴィーゼには予想がついた。
だからフェルトの代わりに自分が何か出来ないかと、クロイツに相談したのはつい先ほどのこと。そして部屋を出ようとして扉に近づいたところで、フェルトが飛び込んできたのだ。

以前から不思議だった。
フェルトが時には一月の大半をベルクハイデで過ごすほど頻繁に依頼を受けているにもかかわらず、同じようにベルクハイデを知っているヴィーゼには何も依頼は来なかった。
それが、『来ない』のではなく、フェルトによって故意に『断られていた』と知り、ヴィーゼは顔を真っ赤にした。
近づこうとしたフェルトから視線を逸らし、奥に座るクロイツに向き直ると硬い表情のまま頭を下げる。

「失礼します」

そしてぱっと身を翻すとフェルトの手をすり抜けるようにして部屋から出て行った。

「…っ! ヴィーゼ!」

慌ててフェルトが扉に駆け寄り引き止めようと声を上げる。
けれどヴィーゼはフェルトが声をかけた途端歩みを速め、ついには走り出してしまった。

「ヴィーゼ!」

無意識のうちに、フェルトはヴィーゼを追いかけた。

「ヴィーゼ!待ってくれ!」

聞こえているはずなのに、どんどん離れていく小さな彼女の影に向かってフェルトは必死で叫ぶ。

かつて柔らかな日差しを映していた窓の外はいよいよ暗く、低い黒い雲がエデンの上空を覆っていた。


 



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