2 瞳の奥にすむもの

La Dolce Vita

【2 瞳の奥にすむもの】 

 


それは数日前の夜、グレイがエデンを訪れていた時のことだった。

翌朝にはまたリーゼヴェルトに戻るという話を聞いたフェルトがグレイを招待し、グレイもそれに快く応じていた。

時折、近状を手紙で伝えてくるフィーやノインと違いあまり筆まめではないグレイが、あの別れのあとどうしていたのかなど、フェルトもヴィーゼもあまり知らなかった。
フィーの手紙から、リーゼヴェルトで剣の指南役のようなものをしていると聞いていたため、懐かしい仲間の近状から始まって、尋ねるフェルトとそれに答えるグレイの話はついつい長くなる。

その頃にはグレイに慣れて、その話を姉兄の傍で聞いていたイリスだったが、夜が更けてくるにつれ、うとうとと転寝を始めてしまった。

「イリス」

「ん…」

「上に行こうか?」

「うん…」

目の前の机に置かれたコップを両手で持ったまま、その縁に額をくっつけそうになっているイリスに気づいたヴィーゼがそっと声をかけると、それまで「起きている!」と答えていたのが嘘のようにイリスは素直に頷いた。
二人の様子に気づき話すのを止めていたフェルトとグレイに、ヴィーゼは目配せをするとイリスの肩に手を置きながら2階へ行くように促す。

「おにぃちゃん…グレイおじちゃん…おやすみなさい」

「おやすみ」

「おやすみ、イリス」

ふわふわとした舌ったらずの、夢現のような声に二人はそれぞれ返事を返して、2階に上がっていく二人の姿を優しい目で見送った。

「…それにしても」

ふと空いてしまった会話に、フェルトが傍らに置いていたカップを手に取ったとき不意にグレイが呟いた。

「しばらく見ないうちに、ヴィーゼは随分綺麗になったな。恋は人を変えるというが、好かれたものは果報者だな」

あまりにも唐突な、イリスを2階に連れて行くヴィーゼを眺めていたグレイの言葉に、フェルトは驚いて口に含んだ飲み物を吹き出しかけた。

「…ぐ…グレイ…」

げほごほとむせて咳込むフェルトに、グレイはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。

「おや、どうしたフェルト。大丈夫か?」

非常に空々しい言葉だったが、フェルトはそれどころではないらしい。

「大丈夫だ」

咳をどうにか抑えたフェルトは、呼吸を整えるためにひとつ息を吸う。

「それの中身はもういいのか?」

「あ?ああ。今はいいよ…。それよりさっきの…」

「ヴィーゼのことか?」

言い出しにくそうな様子のフェルトに、グレイは尋ね返す。
言おうとした、そのものずばりを口に出されて、フェルトは頬を赤くした。

その後も、なにかためらうようなそぶりを見せていたが、表情を改めるとグレイの顔を見た。妙に真剣なフェルトの表情に、グレイはかすかに笑っていたのだが、彼の顔からそれを読み取ることは難しい。

「グレイはその相手のこと、知ってるのか?」

「ああ。よく知っているぞ」

なにをいまさら聞くのかといった様子のグレイに、フェルトは真面目な表情でさらに尋ねる。

「…それって、俺も知ってるやつか?」

「…」

一拍おいて、「ぶわっははははっ!」という、グレイの爆笑がヴィーゼの工房に響き渡った。


「フェルト、それは本気で尋ねているわけではあるまい?知っているといえば知っているだろうが…まあ、ワシもこれ以上の野暮は言わんよ」






その日、少し遅めの入浴のあと2階に上がってきたヴィーゼは、ベッドに腰掛けたままのフェルトの姿を見つけた。

「あれ?フェルト、まだ寝ないの?」

自分より先に入浴していたから、てっきりもう休んでいるとばかり思っていたヴィーゼは、ランプも灯したままのフェルトの様子に気づいてたずねた。
ヴィーゼの呼びかけに、何か考え事をしていたらしいフェルトは、ぼんやりとしたまま答える。

「うん?…いや、もう寝るよ」

「なら、こっちの灯りは消しちゃうね」

そう言うとヴィーゼは手に持っていた灯りを消した。
そしてフェルトの傍にある灯りを頼りに、ヴィーゼはついたての向こうにある自らのベッドに向かう。

「じゃあ、おやすみ。フェルト」

ついたての向こうに行く前に、フェルトのそばを通るとヴィーゼはいつものようににこりと微笑んでおやすみの挨拶をする。
思案するように俯いていた顔を上げると、フェルトもヴィーゼと同じようにそれを返した。

「おやすみ、ヴィーゼ」




けれども、自分の傍の灯りを消してベッドに横になった後も、フェルトは寝付けずにいた。
何度か寝返りを打ったあと、痺れを切らしたように仰向けになって、両腕を頭の後ろに組む。
暗い天井を見上げて、ひっそりと息を吐いた。

フェルト自身が思う以上に、今日のグレイの言葉が気にかかっているようだ。

(…恋…か…)

これが恋だと、そう言い切れるだけの経験をフェルトはまだしたことがない。
だからそれがどんなものなのか、漠然としか理解できていないというのが正直な気持ちで。そして、家族のように育ってきた幼馴染が、自分の知らないうちに、誰かにその『恋』をしているというのは……なぜか、その言葉以上に衝撃的だった。

これがまた別の者の話なら、素直に納得し祝福もできただろうに。

しかしふと、自分たちの年齢を考えると、『恋』はさほど珍しいものではないはず。
むしろ今まで話が無かった方が不思議なくらいだ。

『ヴィーゼは随分綺麗になったな。恋は人を変えるというが、好かれたものは…』

(…誰、なんだろうな…ヴィーゼの好きな奴)

綺麗になった、とはグレイの言葉だったが、フェルトも確かにヴィーゼは少し変わったと思う。それを最初に感じたのは、アルテナ教会で再会したときだった。

最初は、離れていたからだと思っていたけれど、しばらくしてそうではないと気づいた。

ヴィーゼのその変化は、フェルトが傍に居なかったときに起こっている。
つまりは、その間に出会った相手が、ヴィーゼの好きな者なのだろうか?

(グレイはよく知っていて、俺も知ってる。…当然、ヴィーゼも知っている。ベルクハイデで再会するまでに出会った者…)

考えていたフェルトはふっと息を吐いて目を閉じた。

(…まあ、ポウだけはありえないけど)

グレイ、ポウ、と思い浮かべていたフェルトの脳裏に、あのときの仲間の姿がうかんだ。
思えば、あのときの約束もまだ果たせていない。

ノイン、フィー…と考えて、まるで連鎖反応のように思い浮かんだ人影に、唐突にフェルトは目を見開く。

「グレイが『よく知っている』相手…って」

グレイがはっきり言い切るほどの相手は、限られてくる。

『海を見たよ』再会した後、ヴィーゼはそう言っていた。
『彼』が命の恩人であるヴィーゼに礼を言っている姿も見たことがある。


…当然、フェルトも『彼』について知っていた。







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