1 使者は訪う

La Dolce Vita

【1 使者は訪う】 





駆け足でエデン枢機院へ向かったフェルトはいったんノイアールの街に入り、坂道の続く街の北通りに出る。
途中道で出会った知り合いに軽く手を上げて挨拶を返しながらも、そのスピードを緩めない。
流石に山につながる坂では速度が落ちたが、フェルトは普段は半時ほど掛かる道をわずかな時間で駆け上り、枢機院までたどり着いていた。

石段を登って大きく息を吐いて呼吸を整えているフェルトの姿に、門の前に立つ金のマナが目を丸くしている。

「フェルト、今日はヴィーゼたちと3人でピクニックに行っていたのではないのか?」

今朝ヴィーゼに誘われて決まったはずの出来事をなぜ枢機院にいるマナが知っているのか。

実は日常的に起こっている現象のためフェルトもあまり気にならなくなっているが、よく考えると奇妙である。

ノイアールの不思議の一つだよなぁと、心の中で思いながら、フェルトは額の汗をぬぐうとマナの言葉に答える。

「行ったよ。ただ事情があって途中になっちゃってるけど。…クロイツ枢機院長は?」

おおよそ、このマナにたずねると目的の人物の所在を教えてくれる。
極たまにだが、噂話や自分が目にした面白いものについても話をしてくれるのだ。
幼い頃ヴィーゼとふたりでべったりとくっついて話をせがんだこともある、その頃からの知り合いの一人だった。

「先ほどまで中庭で薬草の手入れをしていらしたが、今は院長室にいらっしゃるはずだよ」

期待通り、マナはフェルトの質問に答えてくれる。

「ありがと」

一言礼をいうと、フェルトは門を開けてもらい枢機院の建物に入る。
その途中不意に立ち止まって、扉を押さえる金のマナを振り返った。

「あ。そうだ。…もう少し経ったら、ヴィーゼが知らない人たちをつれてくると思うけど、驚かないでよ」
「ほう?」

あらかじめエデンの外からの人間の存在を知らせておこうという気持ちと、それとは別にきっと興味を持ってくれるという気持ちで、フェルトがマナに告げると、案の定マナは興味を持ってくれたようだった。
嬉しげに声を弾ませる。

「では楽しみに待つとしよう」

その声を聞きながら、フェルトは扉をくぐると長い廊下を階段に向かって歩き出した。
建物の中ほどまで進むと、天井が開け、吹き抜けになっている場所にたどり着く。
上階の窓から差し込む光に照らされて複雑に描かれた床の模様がぼんやりと光を放って浮かび上がっているように見える。
広場のようになっているその場所の脇には広い階段があり、ぐるぐると螺旋を描きながら上階に向かって伸びていた。
奥にある講堂から、サイレンの歌が聞こえている。
伸びやかな澄んだその声を聞きながら、フェルトは手すりに手をかけて静かに階段を上っていく。
院長室は、階段を上った先にあった。



 

 

 書類ばかりに目を向けていることは、いくら慣れている者であっても少々辛い。
息抜きもかねて中庭の薬草の手入れをして、わずかではあるが気晴しになったようだ。
部屋に戻ったクロイツはそう思いながら、再び執務机についていた。
そのまま数枚の書類に目を通し、そのうちの一枚に署名と捺印、別の一枚をそれまで乗せていた紙の山とは別の山に重ねて、不意にその間から現れた封書に首をかしげた。
封書の裏にある名前を確認して、さらに疑問を深める。

「シルヴェステル様?」

普段私的な文章に使う封書であるのに、クロイツの個人名ではなく『枢機院長』宛てになっている。
私的なものなら執務中である今開封して中を読むわけにはいかない。
けれども宛名が『枢機院』になっている以上は、読むべきなのだろう。
クロイツは傍においていたペーパーナイフで封を切った。

前枢機院長シルヴェステルからの書簡には、クロイツの養い子であるフェルトのことが書かれていた。
現在シルヴェステルの暮らすスラスト山の裾野にあるその集落は、フェルトの生まれた場所でもある。
エデンでは集落や村の住人の多くが、濃さに違いはあれど親戚のようなものだった。
そこで生まれる子供はその家族の子供であると同時に、村や集落全体の子供とみなされることが多い。
そのためたとえ両親が亡くなったとしても、子供が故郷を離れるということは本来ならばめったにないことなのだ。
おなじく両親を亡くしたヤッケが、ノイアールの自宅で暮らしていることを考えれば理解しやすいかもしれない。
しかしある事情から、フェルトは生まれた場所で育てられることはなく、枢機院へ引き取られていた。それはもう、十年以上前のことである。

紙の上に記された文章を読み進むにつれて、クロイツの表情が硬くなる。
一通り読み終えると、ばさりと目の前の机に紙を広げた状態で置いた。
机に肘を突き、口元で両手を組み、クロイツは目を閉じる。

『オマエなんか嫌い!だいっきらい!!』

そう叫んだ幼い少年の頃の姿が脳裏によみがえった。
ごく小さい頃から目上の者、初対面の者に対して礼儀正しくしなさいと教えていたこともあり、普段がどんなに腕白であっても、真面目なヴィーゼはもちろん、フェルトもそのときはおとなしくなる。
しかしあの時ばかりはそれまでの礼儀作法をどこかに蹴飛ばし、周囲の者も驚くような激しさで、相手を全身で拒絶したのだ。

『ヴィーゼの悪口言うなっ!』
相手がもらした幼馴染の少女を貶める言葉に激昂したフェルトは、体格差をものともせず飛びかかり、結果として相手に無数の引っかき傷と、自身の頬に打撲の跡を残した。
その後この件に関しては、相手も大きな動きをみせなかったのだが、ここにきて今まで黙っていたものを取り戻す気にでもなったようだ。
おそらくは、彼がアゾットを抜いた後の一連の出来事によるものと予想はついた。

「どうしたものでしょうね…」

十年以上前の出来事を蒸し返すような要求を、再び起こそうとしている。
クロイツよりも数段上手であるはずのシルヴェステルが手を焼いている様子が文面から伝わってくる。もしかしたら、あきれ果てているといったほうが正しいかもしれないが。
その要求も、はっきり言ってしまえば見当違いのものなのだ。
いまになって『引き取りたい』などと。

すでにフェルトは、…というよりもフェルトとヴィーゼのふたりは、枢機院の庇護から外れている。厳密な意味での庇護は、一定の補助が出されている以上まだ続いているともいえるのだが、枢機院から独立し自分たちで生活を始めているという点では、当てはまらないのだ。
このような時、保護の名目と、あまり乱用するつもりはないけれども、クロイツ自身の『枢機院長』という名を以前は利用することもできたのだが、もはやそれも難しい。

書類を眺め、ふう、とため息をついたクロイツだったが、不意に鳴った扉を叩く音に顔を上げた。

「誰です?」
「クロイツ枢機院長、フェルトです」

誰何に答えたあまりにタイミングがよすぎる養い子の声に、クロイツは目を見開く。
素早く目の前に広げていた封書の中身を元に戻し、机の引き出しに滑り込ませた。

「入りなさい」
クロイツの言葉にこたえてフェルトが部屋に入ってくる。
「失礼します、院長」

昨日までベルクハイデに出ていたという話を聞いていたが、フェルトの動きにその疲れがすでにないことを見て取ってクロイツは心の中でわずかに安堵する。

「どうしました?フェルト」

そういえば今日はヴィーゼたちとピクニックに行くということでしたが…。
ルテネスから今朝聞いた言葉を思い出しながらクロイツがたずねると、「実は…」とフェルトはこれまでのことを話し始めた。






しばらくして、ヴィーゼを含めたリーゼヴェルトの一行が、フェルトの後を追うように枢機院にたどり着いた。

「こんにちは」

「やあ、ヴィーゼ。フェルトから話は聞いてるよ」

門の前に浮かぶ金のマナにヴィーゼが声をかけると、先ほどフェルトに声をかけられていた彼は気安く頷いてみせる。金色の鎧、というしかない生き物の姿に、ヴィーゼの背後で息を呑む音が響いたのだが、これまでの道中でも何度かあったことなので、ヴィーゼはあまり気を払っていなかった。

「じゃあ」

声を明るくしたヴィーゼに、門番であるマナは再び頷く。

「クロイツ枢機院長からも言われている。通ってもいいよ」

「ありがとう」

ヴィーゼは礼をいうと、背後を振り返りまだびっくりした顔を浮かべている客人たちを中に招きいれようとする。
ヴィーゼに笑顔で礼を言われ機嫌をよくしたマナが、生来の好奇心を発揮してその様子をこっそり観察していたのだが、ふとその中に気になる表情を浮かべた人間の姿を見つけ、首をかしげるように小さく傾けた。

エデンに住み、それ以外の場所を訪れたことのない彼が、これまで向けられたことのない表情。
その表情が人の、どんな感情によってもたらされるのか、マナは気づいていなかった。



枢機院の中に入ると、すでに院長からの話があったのか枢機院に勤めている枢機院員のひとりがヴィーゼたちを待っていた。
久しぶりに顔を合わせる、昔からの顔見知りの女性の姿にヴィーゼが表情をほころばせる。
彼女はヴィーゼにだけわかるように、年下の知り合いに対して茶目っ気をこめた眼差しを向けたあと、ヴィーゼの背後の数人の男性たちに声をかける。そして、「ヴィーゼはここに残ってね」と小声で言いおくと、彼らを促して枢機院の奥へと向かっていってしまった。


彼らがなぜエデンへ…枢機院長に会いにきたのかその理由が気になったものの、案内を終えて少し拍子抜けしたような気分で、ヴィーゼは近くの窓に歩み寄る。

「ヴィーゼ!」

その背中に向かって、呼びかけられる声にヴィーゼが振り返ると、枢機院の奥から幼馴染の少年が歩いてくる姿が見えた。
ヴィーゼの傍までやってくると、フェルトはヴィーゼが一人でいることに納得したように頷く。

「グレイたち、もう来てるんだな」

「うん。さっきモティさんが奥に案内していったよ。会わなかった?」

「ああ。ちょうど入れ違いになったのかもな。さっきまで俺、院長室にいたから」

小首をかしげて尋ねたヴィーゼに、フェルトは軽く首をもむようにして視線を上に向けた。クロイツだけではなく、枢機院の要職にある数人の枢機院員にも事情を説明していたため、少し首が凝ってしまったらしい。
いまだに院長室に入ると疲れるというフェルトの様子に、ヴィーゼはくすくすと笑う。
ヴィーゼの様子にほんの少し照れていたフェルトも、つられて表情をほころばせた。
けれどふと、何かに気づいたように、その視線がヴィーゼの腰の辺りをさまよう。

「そういえば、ヴィーゼ。イリスはどうしたんだ?一緒じゃなかったのか?」

「あ、イリスはね。中央広場まで一緒だったんだけど、先に工房でお留守番をしてもらうことにしたの。知らない人が多くて、いつもより緊張してたみたいだったから」

「そっか…。直ってきたかと思ったんだけどな」

人見知りの激しいイリスが、錬金術教室に通い始めた頃のことを思い出しているのか、フェルトは腕組をして思案顔になる。

「大丈夫だよ。あたしだって昔はそうだったもん。知ってるでしょ?」

「そりゃもちろん。でもちょっとなぁ…」

困ったように顔をしかめているフェルトに、ヴィーゼが不安そうに顔を覗き込む。

「どうしたのフェルト?なにかあったの?」

「ん。いや、折角だからさ。…グレイを家に招待しようかと思って、さ」

もちろんヴィーゼにも聞こうと思ってたんだけど!

言い訳のように言葉を続けた後、フェルトはヴィーゼの顔を見つめ返す。

「いいよな?」

「もちろん、いいよ」

ヴィーゼの返事にほっとした表情を浮かべたフェルトだったが、また困惑した表情を浮かべた。

「イリスは大丈夫かな」

「…ん〜」

自分のときのことを思い返しているフェルトの言葉に、ヴィーゼも言葉を迷ってしまう。

「グレイに、イリスのことを紹介したいし。イリスにも、ちゃんと会わせてやりたいんだけど…」

フェルトと同じように、イリスがフェルトに懐くまでかかった日数を思い返していたヴィーゼは、今日枢機院に向かう道すがらのイリスの様子を思い出し、「うん」と何かを納得するように頷いた。

「あんまり、自信はないけど。…大丈夫じゃないかな?」

確かにイリスは人見知りするけれど、今はヴィーゼとフェルトが傍にいれば以前のようにヴィーゼの影に隠れっぱなしということはない。

「イリスはグレイさんのこと、好きになるとおもうよ」

ずっと後ろを歩くグレイを気にして何度も振り返っていたイリスを思い出しながらヴィーゼがそういうと、フェルトはなんともいえない表情を浮かべて、にこにこと微笑む幼馴染の顔を見つめた。







【Back】 【Next】

【Back】