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その真夜中。
暖炉近くのソファの上で毛布にサルファとふたりでもぐりこんでしばらく経った頃。
金属の擦れあう音に、ヴェインはゆっくりと目を開けた。
音の元をたどると、それはヴェインの手からこぼれた硬貨から起こったらしい。
寝ぼけ眼のまま、無くさないようにもう一度握りこむと、掌の中でキシッと鈍い音を立てる。
そして、再び寝入ろうとしてヴェインは毛布の合間から忍び込んだ冷気に肩をすくませた。
もぞもぞと毛布から顔を出すと、室内は思ったよりも明るい。
すでに暖炉は種火のように小さな赤い色だけを残して暗いのだが、窓の外が白んでそのせいで、いつもよりも部屋の中がよく見えるのだ。
1度、2度、ゆっくりとヴェインは瞬きをする。
(月…出てたっけ…)
昼間の白い月を除いて、最近はめっきりその姿を目にしていない気がする。
木の枝からのぞく夜空は灰色の雲に覆われていることが多くなっていた。
無意識に起き上がり窓の向こうを覗こうと身じろぎをしたヴェインに、毛布の中から声がかかる。
「―――」
「…ん…わかった…」
言葉にはなっていない。
それでもサルファの言葉を理解したヴェインは答えると、毛布の中に再びもぐりこみ、お腹の辺りに丸くなっているサルファを、硬貨を持っていない片手で抱えるようにして目を閉じた。
そして…ヴェインが見たものが月ではなく、別のものだと彼が知ったのは翌朝のことだった。
それまで感じたことがないほどの寒さに、目を覚ましたヴェインは毛布に包まったまま、ぎゅっと体を縮ませた。
「寒い…」
「そう言って俺で暖をとろうとするな」
「だって、サルファ温かいんだもの」
まだ寝入っていたサルファを抱き起こし、まるで蓑虫のように毛布を体に巻きつけたままソファを下りると暖炉に近づく。
残っていた種火にそばに置いていた木の葉や細い木の枝を被せ、小さな火が灯るのを待つ。
しばらくするとぱちぱちと小さな音を立てて枝が燃え始め、ヴェインと抱きかかえられて彼の胸の辺りから顔だけ出していたサルファを照らした。
「ヴェイン、おろせ」
「うん」
枝の火が太い木に移った頃、サルファはヴェインに声をかけて腕から下りた。
ヴェインの見守る中、窓辺に近寄るとトンッと弾みをつけてその窓の下に置かれていた棚に飛び上がる。
真っ白になった窓のガラスにいやそうに顔を近づけて外の様子を伺い、彼の予想したものを見つけてそのまま下りてきた。
するりと暖炉の前に座っているヴェインの毛布の中にもぐりこむ。
「なに見てきたの…?」
サルファの様子は、雨や、風の強い日とよく似ていた。
つまりはヴェインもサルファも、あまり外へ行きたくない日だ。
腰を下ろしている少年の足の間に座り上を見上げたサルファと、ヴェインの目が合う。
「…まあ、説明するより見たほうが早いだろう。外へ出てみればいい」
「…なんか嫌な予感するんだけど…」
丸い金色の目を見下ろして、ヴェインはぼやいた。
はあ、とため息をつく姿に、サルファは淡々と言葉を続ける。
「毛布は持って行ったほうがいいぞ」
「…うん。寒いし、そうする」
その忠告に頷くと、ヴェインはサルファごと毛布を抱えて立ち上がった。
扉を開けて廊下に出ると、寒さはより強くなった。
仮にも室内なのだが、やはり生き物のいる場所とそうでない場所では温度が違う。
一息ごとに広がる濃い白色の雲を見ながら、ヴェインはゆっくりと外へつながる扉へと向かう。
そして、扉を開けた瞬間、目を射た白い光に思わず目を閉じてしまった。
同時にあげた声に、胸元のサルファがヴェインの顔を見上げる。
「ヴェイン」
「ん、…大丈夫…」
わずかに涙目になった目をぱちぱちと瞬かせ、ようやく慣れてくると辺りの風景に見入る。
「…わあ…」
白い。
木々の多い場所には積もっていないが、かわりに枝の上にそれは厚く覆いかぶさっている。
黒味を帯びて見える濃い常緑の枝葉がよりその白い色を際立たせていて、それを近くで見ようとヴェインは白い物に覆われた地面に足を踏み入れた。
そのとたん、足に走った冷たさに体を固まらせる。
腕の中でサルファが「それみたことか」と息を吐いた。
サルファからその白いものが『雪』と呼ばれるものだと聞いてからしばらく後、ごはんを取るために出掛けた川の前で、ヴェインは一人途方にくれていた。
もともとそれほど広い川ではなかった。
流れも緩やかで、おかげで魚も取れていた。
でもだからといって、たった一晩で凍らなくてもいいんじゃないかと思う。
割ることが出来れば何とかなるかもしれないが、川の表面の大半を覆っていては釣りをできるまでになるのにはどれほど時間がかかるだろう。
ためしにヴェインが足を片方乗せてみると、半分ほど体重をかけたところでピシピシと表面にヒビがはいった。
ヴェインはため息をつく。
「どうしよう…サルファに約束しちゃったしなぁ…」
寝床に使っていたものとは違う、それより幾分小さめの毛布を体に巻きつけて川縁にしゃがみこむと、ヴェインは持っていた釣竿の先でこつんと川の上の氷を叩いた。
「残ってたの、昨日僕が食べちゃったし…」
こんなことなら、すこし残しておけばよかった。
「…最近サルファ、好き嫌い多くなったし…」
こつん。
「…ごはん、あんまり食べないし…」
こつん。
「…」
再びため息をついて、ヴェインは釣竿を離すと、ズボンのポケットから昨日見つけた硬貨をとりだした。
朝起きて掌の中にあったものをポケットに移したままにしていたのだ。
「あそこにも、魚あったよね…」
ぽつりと、言葉がヴェインの口をついた。
本当は、サルファと一緒に行った方がいい。
でも寒い日は、サルファは外に出歩きたがらない。
一人で行くと伝えたら、きっと心配してついてきてくれるけど。
「……」
じっと、ヴェインは手のひらの中の2枚の硬貨を見つめる。
「…大丈夫、かな…前にも、行って、見てるし。…門をくぐって、お店の人に声をかけて、これを出して、魚をもらって。それからすぐに、帰ってきたら…」
街の入り口までは、この森の中からならどこからでも迷いなくたどり着けるくらい、何度も行っている。街の中に入ったことは、あの一度きりだが、買い物の様子はずっと見ていた。
そう考えて、入り口から街に入ってすることを順番に口に出していくと、『なんとなく』何とかなるんじゃないかと思えてきた。
本当に、『なんとなく』だったが、このまま凍った川の前にいるよりもずっといいはずだ。
ヴェインは立ち上がると、近くの木の根元に釣竿を立てかけた。
「竿は、帰りに持って帰って…えっと、これはそのままでいいか」
魚を入れるつもりで持ってきた籠はそのまま手に持ち、ほどけかけた毛布を改めて体に巻きつける。
「なるべく早く…、サルファに心配かけないうちに行ってこないと」
真っ白な雲を口元に浮かべて呟くと、ヴェインは足早に麓へと雪道を歩き出した。
だが、初めての雪に足を取られ、ヴェインが街にたどり着いたのはその日の夕暮れ間近になってからだった。
あちこちに残る雪のせいか、また今夜にも雪が降り出しそうな暗い空の様子にか、早くも店じまいを始めたところがちらほらとある。
街に付くまでに予想以上に時間を取られたせいもあり、ヴェインはそのことに内心焦りながら通りにある魚のマークのついた看板を探していた。
長時間冷たい雪の中を歩いたせいで靴の中の指は感覚がなくなりそうなほど冷たくなっていたが、ところどころに設けられた街の人間のためらしい暖をとるための炊き火に近づく時間も惜しむ。
おかげで、ヴェインはなんとか店じまい前の魚屋にたどり着くことが出来た。
「あ、あの…!」
道にせり出している木箱を片付けようとしている男の背中に、ヴェインは走りよりながら声をかけた。
振り返った男の顔に、ヴェインは緊張で一瞬喉が痛くなったが、目の前の魚と、サルファの顔を思い出してそのまま逃げ出したくなるのを堪える。
「なんか用か、坊主」
返された声の低さに困惑しかけたが、ヴェインは「えっと…」と、視線をさまよわせながらも言葉を続ける。
「さ、魚…、と…えと…この魚ください!」
以前ヴェインが見た光景と、今の状況は多少違うが、まだ片付けられていなかった手近な箱の上にのせられた魚を指差し、はいっとばかりにお金を乗せた掌を男に向かって差し出した。
「……」
「……」
ヴェインの手のひらをみた男は一瞬目を見開き、ついでヴェインの顔をじろじろと眺める。
手と、全身を交互に見られて、それまで緊張で固まっていたヴェインの表情が徐々に崩れ始めた。不安げに、男の顔を見上げる。
それを見た男の顔がさらに渋くしかめられて、ヴェインがびくっと体を震わせた。
だが、男の手が手のひらの上の1つの硬貨をつまみ上げると、安堵するような顔になった。
男は魚の傍に立つヴェインを避けさせ、乱暴に木の上の魚を2匹紙で包むと、ぽんと手渡す。
「ほら持ってけ」
「あ、ありがとう…ございます」
礼を言うヴェインを無視するかのようにすり抜け、男はまた片づけを始める。
それには明らかに話しかけるなと言う様子で、ヴェインはもう一度小さく頭を下げると急いでその場を離れることにした。
その魚屋が見えなくなるところまで戻り、ヴェインはほうっと大きく息をついた。
「…うぅ…迷惑かけちゃったのかな…やっぱり…」
店じまい前でも、あれはどうみてもそうしようとしている最中だった。
「…うぅ…」
初めてなんだから、ちょっとくらい失敗するのは仕方ないのかもしれない。
よくサルファもそう言ってたし。
初めての釣りの時も、初めての木登りの時も、初めての狩りのときも…いや、狩りはいまだに成功したことがないんだけど。
落ち込みながらも、籠の中に収まった尻尾のはみ出た袋に目が行くと、自然とヴェインの表情はほころんだ。
ちょっと失敗でも、サルファの好きな魚は手に入ったし。
一人で街に来て、しかも買い物できたと言うことと、魚が手に入ったことで、ヴェインは気分がすこし高揚していた。
はしゃぐように、大事なもののように籠を両手で抱え込んで、街の入り口に向かう。
だから、はしゃぐその後ろを誰かがつけていたなど、ヴェインには考えもつかなかった。
パチンと、音を立てて木がはぜたところで、サルファはゆっくりと目を開けた。
目の前には、すこし火が小さくなった暖炉がある。
火の勢いが衰えたことで、背中にひんやりと冷気が漂った。
もぞもぞと体を揺らし体勢を変え寝入ろうとしたところで、ふと気づいて再び目を開ける。
「…ヴェイン…?」
返事はない。
窓を見上げると、もう外は暗くなっている。
いつごろからいないのかと考えて、サルファは立ち上がった。
「いくらなんでも、釣りはもう無理だろうに」
一瞬、川縁で釣竿を持った雪だるまになっているヴェインの姿が思い浮かび、馬鹿らしい、とそれを振り払う。
外に出ると、湿った空気がサルファのひげを揺らした。
いやそうに顔をしかめて、サルファは首を振ると、甲高い声で一声鳴いた。
見回りで向かう場所、森の中、いつも釣りをする川縁。
鳴き続けて、ヴェインからの返事のないことが分かると、サルファは困惑したように雪の上に座り込んだ。
「一体どこに行ったんだ」
そう呟いたそばで、ザザッと枝が揺れる音がする。
枝が雪の重みに耐え切れず、それが滑り落ちた音だった。
振り返ったサルファがそれを見て取り、なにげなくその木の幹に顔を向けて、丸く目を見開いた。
そこにあるものを見て、一気に不機嫌になりフゥッと喉を鳴らす。
やっと森で生きていけるようになったからといって、それが街で通用するわけではないのだ。
むしろ、森よりもよほど危険な場所だと言うのに。
「―――あの馬鹿が…っ!」
言い捨てるとサルファは勢いよく走り出した。
街に向かって。
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