誕生

 

 

誕生【birth】

 





雪の残る道のすぐ脇を、細い用水路が流れている。雪かきをしたあと投げ入れられた雪の塊が、水に溶けないまま半透明のまま浮かんでいた。
ぼんやりとした、ところどころに灯る街灯に浮かび上がるそれを見るとも無しに目に入れながら、ヴェインは街の外へと急いでいた。
後いくつか角を曲がれば、街の入り口にかかっていた橋が見える。
そう思ったときだった。
不意に、体に巻きつけていた毛布が引かれ、ヴェインはバランスを崩して後ろにひっくり返った。
直後に眩しい光と熱を顔に当てられ、目をきつく閉じる。
「よぉし、こいつだ」
「でもよお、ほんとにこんなボロクズみたいなのが、そんなもんもってるのかぁ」
「まちがいないって。魚屋の親父に見せてるのをはっきりこの目でみてんだから」
「そうそう。―――おい、なに寝た振りしてやがんだ。さっさと起きやがれ」
「ぎゃっ!」
頭上でそんな会話が聞こえてきた後、腹に強い痛みを感じてヴェインは思わず悲鳴を上げた。
「ぎゃ、だってよー」
とたんに頭上で笑いが弾ける。
腹をかばいながら起き上がり、声のほうを振り仰ぐと、ヴェインを見下ろすように数人の男の姿があった。
一人の手にヴェインが体に纏っていた毛布の端が握られている。
「あの…誰ですか…いったい…」
咳き込みながらヴェインがたずねると、「誰でもいいだろう」と声を返してくる。
そして訳が分からないままのヴェインに気づきもせず、「出せ」と迫ってくる。
普通の人間なら…あるいは街に住んでいるものなら、即座に逃げ出すか、言うとおり「金」を差し出すだろう。
けれどヴェインにはそれが分からない。だからこそ、反応が遅れ、逃げ出す機会を失った。

「だめ!これは僕とサルファの…!」
「お前のものの分けないだろう!どうせどっかから盗んできたんだろうが」
「銅貨程度を盗むのが似合いだろうに。にしても金貨なんて持ってるヤツがこの街にいたとはね」
「見たことない面だからな。どっか別の街でヤったんじゃないか」
倒れたときに転がった籠の中のお金を見つけられ奪われたヴェインは、それを必死で取り戻そうと、男たちの間をまるでボールのように投げてやり取りされる金貨を追いかけていた。
ただ追いかけるのではなく、そのたびに殴られたり蹴られたりしたヴェインは、服装も体もボロボロだった。
それでも、あざだらけの顔で涙目になりながら、背の高い男が頭上に掲げているこぶしに向かって手を伸ばす。
「返して!返してよ!」
「ああ、うるさい!」
もう何度目になるか分からない胸の痛みと共に、壁に叩きつけられる。
ずるるっとヴェインの体がすべり、そのまま壁に背をつけたまま座り込む。
…せっかく買えたのに。
ぼんやりと開けたヴェインの目に、踏み潰された籠が映った。



ヴェインが向かってこなくなったことで気が晴れたのか、男たちが奪った金貨と銀貨を手に通りを出ようとする。
しかし、何かに遮られるように足止めをされた。
もちろん、そこにはなにもない。
だが、通れないのだ。
『…返して…』
ぽつり、と呟く声が、通りに響いた。
ぞっとしたように、男たちが手の中の硬貨を見つめる。
そして、硬貨を握っていた二人…が目を大きく見開いたまま、ぐるりと体の向きを変えた。
「お、おい!」
「ちがう!俺じゃない、俺じゃないんだ!」
引き止める別の友人に答えながらも、男たちの体は徐々に座り込んだヴェインのほうへと近づいてゆく。
一歩、二歩、近づいていくたびに、2人の顔には恐怖の色が増え始める。
「そ、そんな馬鹿なことがあるか!」
ついには助けを求め始めた友人たちに、取り残されていた男が走り出した。
酔っ払っているせいで足取りは怪しいが、ヴェインの傍まで走りよると、「化け物が!」と吐き捨てながら蹴りつける。
ヴェインが悲鳴を上げて倒れた瞬間呪縛が解かれたように、2人が動くことをやめた。
「こいつだ!こいつのせいだ!」
ガンガンと続けざまに蹴りつけながら、男は叫ぶ。
先ほどまでの異常な出来事が、このみすぼらしい少年によるものだと、男は確信していた。
そして、地面に投げ倒されて、頭をかばっていたヴェインの怯えきった目とあった瞬間、その恐怖に堪えきれずに、怒鳴り散らした。
「てめぇが、てめえがやりやがったんだな。この化け物がぁ!」
「ち…ちが…僕は…」
萎縮した声は、さらなる怒声にかき消されて、ヴェイン自身にも聞こえない。
今まで見たことがない男の姿に、ヴェインはじりっじりっと這いながらにげようとした。
「逃げる気か化け物!」
石を掴んだ別の男が、ヴェインに向かってそれを放ろうとした。
その手元に黒い影が飛び、次の瞬間、男は声を上げて石を取り落とした。「こいつ!」と悪態が響く。
「ヴェイン!」
小さな黒い姿。
呼ばれる声にヴェインは泣きそうになった。
「サルファ!」
ヴェインのそばに降り立ったサルファはまわりの男たちを威嚇するように唸る。
「な、なんだこいつ…化け物の仲間か…っ!」
「ハアァッ!!」
敵意をむき出しにして鋭い声で威嚇した黒猫に、ヴェインを囲んでいた輪が広がる。
だが、たかが猫1匹にわずかでも怯んでしまったことが男たちのプライドを傷つけ、それによってさらに2人に向けられる暴力は一層増すことになった。
それまでに加えられた暴行から、ヴェインはもう抵抗も反撃らしいことも何も出来ず、サルファの促すまま、その場から逃げ出そうとしていた。
しかしすぐに男たちの腕や足がのびてきて、蹴り上げられ殴られてその場にうずくまってしまう。サルファが必死になっても、絶対的な体格の差と数の多さの前には、彼を庇いきるのは不可能だった。
「…ぅ…が…ぇはッ……」
這いつくばりながら逃れようとしていたヴェインの背に一人の靴がめり込む。背骨が折れてしまうような痛みに、頬を地面に擦りつけたままヴェインがうめいた。
倒れたときに口に入った泥が唾液と共に吐き出される。
「仲間を置き去りにしなくてもいいじゃないか。なあ?」
「ヴェイン!」
おそらくは荷運び用なのだろう、長く。片手でぐるりとつかめるほどの太さの木の棒を持ち出した男に向かっていたサルファが、様子に気づき声を上げる。
殴られながらも声を頼りにサルファを探そうとしたヴェインは、その黒い姿を目の端に認めた瞬間、目を大きく見開いた。
止めることも、声を出すことも出来ず、ただ、長い棒が振り下ろされるのを見る。
肉を叩く鈍い嫌な音と、ギャンッ!という鳴き声に、ヴェインの口から悲鳴が上がる。
「サルファ!サルファー!」
髪を掴む男の手を必死で振り払う。
それと同時に殴られた痛みも感じる余裕がなかった。
「お願いだから、サルファにひどいことしないで…っ!」
サルファを殴った男に取りすがり、必死に懇願する。
「ひどいことすんなぁ?化け物がえらそうに!」
心底いやそうな声と共に、ガンッと鈍い音がヴェインの頭の中で響いた。
先ほどサルファが打ち据えられたのと同じ棒で、肩から額にかけて殴られたのだ。
横たわったヴェインの額と頭の間に赤い色が滲み出す。
けれど、地面に顔から叩きつけられたヴェインはそれに気づけなかった。
それを知ることが出来たのは、ヴェインのそばに駆け寄ろうとしていたサルファだった。
「ヴェイン!」
「…う…」
自分たちを見ている男たちを威嚇しながら、サルファはヴェインに声をかける。
「起きろ。走るぞ」
「…サル…」
「死にたいのか。走るんだ」
不幸中の幸いか、先ほど殴られたせいでヴェインの体が弾き飛ばされ男たちの囲いから外れているのだ。
倒れたままのヴェインに向かって話しながら、サルファの目は注意深く、男たちの様子を伺っている。ぴくりとも動かないヴェインに、ある程度満足したのか男たちが互いに目配せをしていた。
サルファの声が潜められ、鋭さを増す。
「起き上がったら、すぐに走り出せ。もたもたするな」
頭を強く打ったせいで、ヴェインの意識はぼんやりとしていた。
それでも、言葉のとおり体を起すと、叱咤するサルファの声に促されて走り出す。
もう起き上がることは出来ないだろうと思っていたヴェインの突然の行動に、男たちの行動が一瞬遅れる。しかしすぐに怒声を上げ、二人を追いかけ始めた。
けれども、もともと酒に酔っているため足取りはかなりおぼつかないのも事実だった。
数人が腹たち紛れに石を拾い上げると、前を行く二人に向かって投げつける。
ヴェインにとって背後から追いかけてくる声はどこまでも終わりがなく、この時が永遠に続くように思えて恐ろしかった。
容赦なく飛んでくる石は、ヴェインだけではなく先を行くサルファの体にもぶつけられている。
サルファの走る動きがおかしいのは、きっと先ほど殴られたせいだ。
そして、自分の動きもはたから見ればサルファと同様だろう。
ヴェインは妙に粘い液体が額から、腕や足から流れているのを感じていた。
だが、それよりももっと熱いものが目からあふれて、わけもなく叫びたくなるような気持ちを抑えて、走っていた。
苦しくて、苦しくて。
まるで氷で出来た針の上を走っているように、足が痛くてたまらなかった。


 

 


              
 
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