|
その日の午後。
「『あれ』がエデンの外に?!」
「ええ。ヤッケを追いかけた枢機院員の話では、すでに他の商人の手に渡ってしまったらしいのです。現在も追跡を続けてもらっていますが…」
ヴィーゼの工房に訪れたクロイツの言葉に、フェルトは声を高くした。その言葉に答えるクロイツも、表情が曇っている。
一箇所に固まった状態であるのならば問題はない。
しかし同時に複数の人間の手にわたった場合を考えると、今の状況では回収が難しくなる。
そのことに気づいたフェルトが、表情を改めてクロイツに向き直る。
「クロイツ枢機院長、俺にも手伝わせてください。ベルクハイデのことなら、エデンの皆より知っています」
「確かに。正直なところ助かります。行ってくれますか、フェルト?」
「はい」
「あたしも捜します!」
「ヴィーゼ」
不意に足元から上がった声に、フェルトとクロイツが揃ってその名前を呼んだ。
「あのアイテムを作ってしまったのは私です。だから私には捜す責任があるはずです」
ぎゅっと手で握りこぶしを作り、真剣な目でその顔を見上げたヴィーゼに、クロイツは制止の言葉を飲み込む。
「…わかりました。いいでしょう」
「ありがとうございます」
ぺこんとお辞儀をするヴィーゼに頷くと、クロイツは「ただし…」と条件をつけた。
「ただし条件があります。ベルクハイデではヴィーゼはフェルトの傍を離れないように。…いつもと状況が違いますから、くれぐれも気をつけなさい。知らない人についていってはいけませんよ」
まじめな顔をして付け加えられた最後の言葉に、それまで真剣に話を聞いていたヴィーゼの眉がぴくんと動いた。
「…枢機院長…あたし、もうそんなに小さな子じゃありません」
外見はどうあれ、隣のフェルトと同じ17歳なのだ。
低められたヴィーゼの声に、はっと気がついたクロイツが冷や汗を額に浮かべた。
「すみません、ヴィーゼ。つい…昔のことを思い出してしまって」
コホンと、ごまかすように空咳をした後、クロイツは二人に顔を向けた。
「…では、二人の旅路にリリスの加護があらんことを。気をつけて行ってきなさい」
「はい!」
付け加えられた二人を気遣う言葉に、フェルトとヴィーゼが揃って返事をした。
エデンを出て丸一日。
リーゼヴェルトにつながる東レーゲンボーゲンまであと少しといったところの街道をフェルトとヴィーゼ、イリスの3人が歩いていた。
「ヤッケのお客さんっていう人が、リーゼヴェルトの商人っていうのは幸運だったかもな」
「フィーに話を聞けるものね」
「フィーお姉ちゃん?」
「そうだよ。イリスも一度会ったよね?」
「うん」
ちょうど、ヴィーゼをはさむように両脇にフェルトとイリスがいる。
初めは、フェルトとヴィーゼの二人で出発する予定だったのだが、イリスの「今度はイリスがお姉ちゃんを助ける!」との言葉に押し切られる形で現在の状況になっていた。
突然自分よりも小さくなってしまったヴィーゼが衝撃的だったらしく、イリスはずっと彼女の傍を離れない。
フェルトもいつもはあまり二人を気にせず歩くことが多いのだが、今回ばかりは彼女たちの歩調に合わせて歩いていた。
しかしこれまで長旅の経験のあるフェルトはともかく、イリスと特に今回幼い子供の体になってしまったヴィーゼには長く歩き続けることは辛いらしく、足取りはかなり重い。
「ヴィーゼ、イリス。ここからはあれを使おう」
何度か休憩を取ったもののこのままでは足を痛めてしまいそうな様子に、フェルトは街道沿いの店にある馬車に乗ることを決めた。
もともとリーゼヴェルトへ商品を搬送するついでに馬車を始めていたということで、料金は思ったよりも取られずにすんだ。
ヴィーゼが財布から馬車の料金を取り出し店主に渡すと、予想以上に好ましげな笑顔が返ってきた。
「可愛い妹さんだねぇ」
「ありがとうございます。よかったな、イリス」
横に立ったフェルトは彼を見上げた店主の言葉に何の気もなく答える。
そして、ヴィーゼの背後にくっついているイリスに向かって声をかけた。
可愛らしい少女の名前を聞いた店主が破顔する。
「そうか、イリスちゃんっていうのか。よかったらまたおいで」
しかし、そう言った店主が大きな手を伸ばしてその頭を撫でたのは、イリスではなくヴィーゼだった。
「ヴィーゼ」
「…」
馬車が走り出した後、黙り込んでしまったヴィーゼを気遣いフェルトが声をかけた。
「そんな顔してたら、イリスが心配するよ」
「…お姉ちゃん」
「…大丈夫。ちょっとショックだっただけだから」
心配して傍に擦り寄るイリスに、ヴィーゼは弱々しい笑みを浮かべてみせる。
店主に『フェルトの妹』と言われたことが、自分でも驚くほど衝撃的だったらしい。
あの大きな手が頭を撫でたとき、その意味に気づいて頭の中が真っ白になってしまった。
勘違いとはいえ、間接的に妹であることを否定しなかったフェルトにもちょっとだけ、理不尽とは思いつつも腹を立てている。
こんなことを考えている自分はよくない。
そう思ったヴィーゼは、気分を紛らわすために立ち上がった。
何事かという様子の二人に向かって微笑む。
「ちょっとだけ、後ろに行ってるね。酔っちゃったみたいだから」
「大丈夫か?傍に…」
車酔いという言葉に反応したフェルトを制して、ヴィーゼは一緒に立ち上がろうとしたイリスを止めた。
「ううんいいよ。二人はそこにいて。ちゃんと荷物を見張っててねフェルト」
「ああ。でも何かあったらすぐに呼べよ」
「うん」
しかし保護者らしきものから離れている小さな女の子を見つけると、その子にちょっかいをかけようとする輩は、どこにでも少なからずいるものらしい。
ヴィーゼたちの乗った馬車は大型で、幅が大人の身長の1.5倍ほどある。
ヴィーゼがその荷台の一番後ろに座り、背後から流れてきて遠くなってゆく景色を不思議そうに見つめていると、その傍でどかっと誰かが板に腰を下ろす音が響いた。
振り返ると、驚くほど間近に見知らぬ男の顔があった。
思わず体をひいたヴィーゼに、その相手はにかっとあけっぴろげな笑顔を見せる。
「嬢ちゃん。一人旅かい?」
「いいえ」
その言葉に素直にふるふると顔を横に振って答えたヴィーゼに、男は嬉しそうな顔になった。
「じゃあ、親御さんと?それとも兄弟と一緒かな?」
「えっと…」
適当な答えが見つからず、ヴィーゼは口ごもる。
この場合の正解は「妹と、幼馴染と」だが、はたして今の姿でフェルトが幼馴染だと通じるだろうか?そう考えて、「あ」と一つの言葉が思い浮かんだ。
にこっと微笑んで答える。
「家族と、一緒です」
「そうか。そりゃいいなぁ」
「はい」
素直な、警戒心を抱いていない様子のヴィーゼに、男は何かを思い出したような表情を浮かべた。
「ああ!そういや、さっき小さい女の子と、十七・八って様子の少年と一緒にいたよな。あれが嬢ちゃんの家族なんだな」
「見てたんですか?」
「なんとなくな。仲がよくて羨ましいって思ってたんだ。…でも、それなら何で嬢ちゃんはひとりでこっちにいるんだい。家族の傍にいなくてもいいのか?」
「…ちょっと、風に当りたかったんです」
それまでの気持ちを思い出し、はにかむように言ったヴィーゼに、わずかに目を細めてその顔を見つめた男は、唐突に少女の頭を撫でた。
「ちっこい嬢ちゃんが、そんな顔をするもんじゃない」
「きゃあっ!」
乱暴に頭を揺すられて、ヴィーゼが悲鳴に似た声を上げる。
「おおかた、あの兄ちゃんにかまってもらえなかったんだろう?なんか見ててよそよそしかったからな。そういう時はこんなふうに離れるんじゃなくてもっと…」
「そ、そんなんじゃないですっ!」
恐ろしいほど勘違いされていることに気づいたヴィーゼは、必死でその場を離れようとする。しかし男に頭を押さえられ、うまく逃げ出せなかった。
「ヴィーゼ!」
先ほどのヴィーゼの声を聞きつけたフェルトが荷台の前からやってくる。
そしてヴィーゼの頭を押さえつけている(本人は頭を撫でているつもりである)男に気づくと、表情を険しくした。
フェルトの声を聞き、ヴィーゼが体をよじって振り返る。
それに気づいた男が、フェルトに向かって気安い声をかけた。
「お兄ちゃんも、一人ばかりにかまっていないで。こっちの妹さんも気にしてやんなきゃ拗ねちまうよ」
「妹!?」
予想外の言葉に、フェルトは素っ頓狂な声を出した。
一方ヴィーゼは、男の別の言葉にあわてて否定をする。
「す、拗ねていないよ!フェルト!」
「なんだ。嬢ちゃんは兄ちゃんのこと名前で呼ぶのか?あんまりよくないぞ。ちゃんとお兄ちゃんって呼ばなきゃ」
「きゃっ!」
妹という言葉に一瞬気を取られたフェルトだったが、続いて見せられたヴィーゼへの対応に、カチンときた。
それまでも、彼女に対する男の馴れ馴れしい態度と口調に腹が立っていたこともあり、すばやくヴィーゼの傍に近寄ると、その頭に置かれていた男の手を、音がなるほど乱暴に振り払った。
「フェルト」
振り払われた男だけでなく、ヴィーゼも驚きに目を丸くしてフェルトを見上げる。
初対面の人間に対して、こんなに乱暴な態度を取るフェルトは見たことがない。
そんなことを思っていた彼女の体を男から引き離すように抱きあげて、フェルトは男を睨んだ。
「ヴィーゼは妹じゃない!」
【1へ】 【3へ】
|