花のように

 

 

花のように 3

 



「フェルト…」

幼馴染の少年を見送ったヴィーゼは、引き止めるように伸ばされかけた手を胸元に引き寄せた。努めて明るく振舞っていたその表情が、憂いを帯びたものに変わる。
フェルトが家を出て、もう一ヶ月近くになる。
時折枢機院で会う以外は、ヴィーゼはフェルトの姿を見ることがなかった。
何がフェルトを変えたのか。その明確な答えは、ヴィーゼには知ることができない。
それでも、その原因が自分にあるのだろうと思っていた。
フェルトの様子が変わるのは決まってヴィーゼの傍にいるときだったからだ。

(クロイツ枢機院長は今は待っていてあげなさいって話されていたけど…)

…いつまで?

心の中に響いた声に、ヴィーゼは胸元の手をきゅっと握り締めた。
その指先が薬指にはめられたリングに触れる。

離れた場所にいる人物と、共同研究を行うために創り出されたというアイテム。ベルクハイデでヴィーゼがフェルトと再会してからその意味は失われてしまったが、その後も一時も外されることなく二人の指を飾り続けている。

機能のことを考えれば本来離れた場所にあることの多いリングが二つ、揃った場所に置かれていることで、もしかしたら別の力も発揮しているかもしれないと思うことがあった。
エデンに帰ってから…あるいはアルテナ教会で再会したときからかもしれない…以前よりもお互いの気持ちが近づいたような気がしていたから。
今でもそれは続いている。けれどもフェルトの態度はそれとは逆のもので、ヴィーゼを混乱させていた。

(せめて、原因がわかれば…)

フェルトの悩みの原因がわかれば、それをヴィーゼが取り除くことができれば、きっと彼は帰ってくる。
それをたずねようとヴィーゼはクロイツ枢機院長に相談したのだが、枢機院長の答えはヴィーゼが予想したものではなかった。
知ることのできる残りの手段は、フェルト本人に聞くしかない。
ただ今のフェルトの様子では、余程の場所でない限り、廊下ですれ違ったときのように途中で話を聞き出せなくなりそうだった。

ヴィーゼは窓の外に目を向け、太陽の高さを確認する。

もうすぐ夕暮れだ。
一度ノイアールの工房に戻りイリスのために夕食を作らなくてはならない。
でもその後なら…。

今夜はイリスにはお留守番をしてもらって、もし遅くなるようだったら先に休んでいてもらおう。
そう心の中で決めて、ヴィーゼは枢機院の出口に向かって歩き出した。

 

「じゃあ、イリス。お留守番お願いね」

「うん」

「遅いようなら、先に眠っていていいから」

そう言わなければ、イリスが心配して眠らないとヴィーゼは知っていた。
事実、ヴィーゼを見上げるイリスの顔は不安そうで、両手はこぶしになってスカートに押し付けられている。

「…一人にしちゃうけど、ごめんね」

ぽつりとヴィーゼの口からこぼれた言葉に、イリスははっとしたように目を見開くと、勢いよくふるふると首を横に振った。

「ううん!イリスは大丈夫。お兄ちゃんに、はやく帰ってきてって伝えてね」

イリスの伝言に、ヴィーゼはほのかに笑みを浮かべた。

「うん。ちゃんと伝える」

イリスに見送られたヴィーゼは、ノイアールの街を出て枢機院へと向かう。
エデン中央にあるスラスト山の中腹に立つ枢機院まではしばらく歩かなくてはならない。
暗い岩肌の続く坂道を、ヴィーゼは手に持ったランプで照らしながら少しずつ登っていく。


枢機院の入り口にたどり着くと、いつも門の傍にいるマナがヴィーゼの姿に気づき、驚いたようだった。

「こんばんは」

「こんばんは、ヴィーゼ。どうしたんだい?こんな時間に」

「ちょっと、用があって」

言葉少なにヴィーゼが答えると、マナは心得たように頷いた。

「ああ、フェルトのところか」

「…ええ」

言葉に出さずとも、気づかれてしまったことにヴィーゼは顔を赤らめる。

「フェルトが使っているのは、二人が小さい頃一緒にいた部屋だよ。場所はわかるね?」

「はい。ありがとうございます」

礼を言ったヴィーゼに、マナは好ましげに微笑んだようだった。

「ランプはここに置いておくといい。帰るときまで私がみていよう」

「お願いします」

声とともに差し出された手に、持っていたランプを預けると、ヴィーゼはマナが開けてくれた扉をくぐって、昔二人で使っていた部屋へ向かった。



「…はぁ」

クロイツ枢機院長から貰った仕事を片付け、部屋に戻ったフェルトは大きく息を吐き、背中からベッドに倒れこんだ。
しばらく天井を見上げた後くるりと横向きになり、そしてそのまま、じっと壁の一点を見つめる。かと思うと突然起き上がり、片方の足を抱え込んで、その膝に額を押し付けた。
ヴィーゼと会ってから、いらいらした気持ちが続いている。
それをなだめる方法も、解き放つ方法も、フェルトには思いつかない。
気持ちがゆるめば、ちらちらと、あの時のヴィーゼの顔が頭をよぎった。

驚きに目を見開き、その次の瞬間一瞬だけ浮かんだ泣き出しそうな表情。

…自分がおかしくなってしまったあの日にもヴィーゼにさせてしまったそれ。

「…くそっ…」

いつもは付いて出ない悪態が、フェルトの口からもれる。
あんな顔をさせたいわけじゃない。させたくはない。
そうさせないために、自分は家を離れたのに。



―――コン…コン



「!」

自分の気持ちに集中していたフェルトは、唐突に鳴ったノックの音にビクッと体を震わせた。
振り向いたフェルトの視線の先で、もう一度、扉を叩く音が聞こえる。

「…フェルト…?」

不安げに彼の名を呼んだのは、夕方別れた幼馴染の声に間違いなかった。

「―――っ!」

フェルトはベッドから転がり落ちるように降り扉に駆け寄ると、そのままの勢いで扉を開けた。
ばたんっと大きな音が響き、いきなり開いた扉に目を丸くしたヴィーゼの姿が、フェルトの目に飛び込んでくる。

「ヴィーゼ…」

「こんばんは、フェルト」

ノックしようと上げられたままだった手を下ろして、ヴィーゼはフェルトを見上げた。

「こんな時間にどうして…」

困惑した声でフェルトはヴィーゼに向かってたずねた。
ヴィーゼは、ふっと気持ちを落ち着かせるかのように短く息を吸うと、はっきりとした口調で答える。

「フェルトに聞きたいことがあるの。…入っても、いい?」


 



 

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