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王都の夕暮れ。所用でリーゼ宮を出ていたマックスは、王宮近くのマーケットを歩いていた。
以前から栄えていたその場所は、彼の妹が即位して以来さらに多くの品々が出回るようになり、それ以上の活気にあふれている。
そのことに喜びを感じながら、マックスはいくつかの店を何の気もなく覗いていた。
しかしある店に置かれていた商品に気づくと、思わずそれを手に取る。
「これは、フェルトが以前持っていたアイテムじゃないか」
淡い紅色の液体。
小さな小瓶に入ったそれは、体力回復などに効果があるという。
これを持っていた彼と最後に会ったときからもう数ヶ月は経っていた。
久しぶりに目にした、知り合いを思い起こさせる物に、マックスの表情がやらわぐ。
「だんなさん。いかがですか?」
その表情を見て、それまでちらちらと様子をうかがうだけだった店主がマックスに声をかけてきた。
いくら知り合いからの商品とはいえ、得体の知れないものだけに売れるかどうか不安だったのだろう。
しかし商品をみて笑みを浮かべたマックスに、これはと思ったらしい。
「ああ。これをもらえるか?」
最近、政務の疲れが見え始めた妹への土産になるだろう。
アイテムそのものの効果はもちろん、懐かしい仲間を思い出して気持ちが和らぐかもしれない。
(さっそく、今日のうちに届けてやろう)
自分からの土産を受け取った時の、可愛い妹が喜ぶ様子を思い浮かべて、マックスは上機嫌で店を後にする。
その数時間後。
「懐かしいな…」
リーゼ宮の最も奥まった場所にある私室で、フィーは手の中にある小さな小瓶を見つめて改めて呟いた。
今日の執務がようやく終ろうとした頃やってきたマックス…兄が、土産だと言って渡してくれたそれ。
これをよく目にしていたのは、彼女にとって懐かしむほど昔のことではない。
しかし、それを持っていた銀髪の少年のことを思い出すと、フィーの表情が自然と過去を懐かしむものになる。
エデンで別れた後、一度彼はヴィーゼと彼らの妹のイリスを連れてリーゼヴェルトを訪れていた。たった数ヶ月会わなかっただけなのに、そのときの彼は別れたときよりも随分大人っぽく見えて、妙に緊張したものだ。
くすっと口元で笑って、フィーは瓶の口を指でなぞった。きゅっと指と容器が擦れ合う甲高い音が起こる。
「飲んでいないと、マックスががっかりするかもしれないからな」
エデンでなければめったに手に入らないものだろうから、少しもったいない気もするが、彼の気遣う気持ちを無駄にしたくない。
フィーは一口その中身を口にすると、明日のために早々にベッドに横になることにした。
フェルトたちの乗る馬車が東レーゲンボーゲンの入り口にたどり着いたのは夜も更けてからだった。
本来は行き来自由な橋だが流石に深夜ともなると入り口の門を閉鎖している。
そのため馬車は入り口近くに止められ、乗っていた者たちはそれぞれ野宿をしたり、荷台の隅で眠るなどして明日朝の開門を待っていた。
フェルトたちも彼らと同様に荷台の壁際で体を休めようと、イリスを真ん中にして一番壁際にヴィーゼ、彼女たちをかばうようにフェルトが横になっていた。
その彼の表情は、なんとなく険しい。
獣よけの松明の灯りがほのかに入る荷台の中で、ヴィーゼは横になったままフェルトを見つめている。
ふっと、その視線に気づいたように、フェルトが目を開けた。
「ヴィーゼ?」
すでに眠っているイリスを起こさないように、極小さな低められた声で名前を呼ぶ。
「…なんでもないよ」
ヴィーゼが小さな声で答えるとフェルトはほんのわずか目を細めた。
すると薄暗いことも手伝って、フェルトの表情は普段よりも数段大人びて見える。
その瞬間、どきりと鳴った胸をヴィーゼはそっと押さえた。
「…もしかして、眠れないのか?」
その様子に、フェルトはヴィーゼにたずねた。
「ううん。そんなんじゃないけど…でも、ごめんねフェルト」
あの後のことを思い出して、ヴィーゼがフェルトに謝ると、彼は小さくため息をついた。
「あれはヴィーゼのせいじゃないから」
けれど、ほのかに浮かぶフェルトの眉間のしわは、あの発言の後できたものだ。
『妹ではない』という発言に『ではなんだ』と問われて上手く答えられなかったフェルトは、一部の乗客から『幼女趣味の少年』と散々からかわれていた。もちろんその中にはフェルトが腕を振り払った男も含まれている。
最初の頃はフェルトもからかわれるたびに否定していたのだが、最後の方はもう反論する気もなくなったらしく黙ったままだった。
ヴィーゼが元の姿であれば、フェルトがいわれのない誤解を受けることもない。
しかし、この姿ではいくら幼馴染だと言っても信じてもらえないだろう。
ヴィーゼは昼間、誤解から『妹』であることを否定しなかったフェルトに対して腹を立てたことを反省する。だから、あることをフェルトに提案した。
「あの、提案なんだけどね。元に戻るまでの間、あたしを『妹』ってことにしない?」
思わぬヴィーゼからの申し出に、フェルトは目を見開く。
「なんで?」
「そうすれば、フェルトがからかわれないでしょ?あ、本気じゃないよ。振りだけ」
ヴィーゼの説明を聞いていたフェルトだったが、聞き終わった後一言でそれを断ち切った。
「いやだ」
「…嘘つくの嫌いってわかってるけど、他の人がいるときだけだから」
「それもあるけど、絶対にいやだ」
フェルトが誤解されるのは嫌だからと、ヴィーゼが説得しようとしても、フェルトは頑として拒否する。
「ヴィーゼは妹じゃないだろ」
「それはわかってるってば」
「…とにかく俺は平気だから。今はあれを回収することと、元の姿に戻ることだけ考えよう」
そう言うと、身を乗り出してずれてしまった毛布をヴィーゼに掛けなおして、フェルトは目を閉じた。
翌朝、リーゼヴェルトへ着いた3人は急いでリーゼ宮に向かった。
早朝のあわただしい中、リーゼ宮の内門をくぐると中庭に知り合いの姿を見つけて、フェルトは声を上げた。
「マックス!」
その声に、一人の青年が振り返る。
視線の先に、フェルトの姿を見つけた彼は精悍な顔に幾分驚きを浮かべ、大またで彼らに近づいてきた。
「フェルト!久しぶりだな。いつこちらに?」
「お久しぶりです。さっきこっちに着いたんだけれど、実は事情があって」
「そういえば、突然だな。どうしたんだ?」
挨拶もそこそこに用件を言い出したフェルトに、マックスは何か起こったことを悟ったらしい。
「それは、ヴィーゼが…」
「ヴィーゼが?」
たずね返したマックスの前でフェルトが背後を振り返るような仕草をする。
その先に目を向け、マックスは目を疑った。
「お久しぶりです。マックスさん」
そこには背後にイリスをくっつけた、5歳前後の幼い姿の少女が彼を見上げていて、マックスと視線が合うと彼女は深々と頭を下げていたのだ。
「君は…ヴィーゼか?!」
確認を取るまでもなく、彼女だとわかったが、それでもマックスは確認せずにはいられなかった。
事情を説明しフィーとマックスにリーゼヴェルトに出入りする商人の情報を教えてもらいたいと頼んだフェルトたちに、マックスは頷くと彼の妹のいる場所まで案内しようとした。
しかし、彼女がいるはずの私室近くが妙に騒がしいことに気づくと、マックスはいぶかしむような表情を浮かべた。
徐々に、廊下を歩く速度も早くなる。
「陛下!」
「アウテリート様、ここをお開けください!」
数人の女性がフィーの私室の扉をたたいていた。扉が開かないらしく、何度もその取っ手を引っ張っている。
「どうした!何があった?!」
「マックス様!」
早足でたどり着いたマックスの声に彼女たちが一斉にその名前を呼ぶ。
そしてあわててそれまでの出来事の説明を始めた。
「陛下がお部屋から出ようとなさらないんです」
「それにお部屋には誰も入るなとおっしゃって、閉じこもってしまわれて」
「今までおめしかえの途中で逃げ出されることはありましたけど、こんなことは初めてで…」
「わかった。今度は俺が話をしてみよう」
口々にいう彼女たちを制するとマックスは扉の前に立ち、軽くノックした。
「アウテリート、起きているのだろう?一体どうしたんだ?」
マックスが声を上げた瞬間、室内で大きな物音がした。
再度名前を呼びかけようとしたマックスに、室内から大きな声が返される。
「マックス!そこにいるのか!?」
「ああ。どうしたんだ。アウテリート」
「どうもこうもあるか!マックス、夕べ私に一体何を飲ませた!」
「夕べ?」
甲高いフィーの声に、マックスは首をかしげた。何か変なものを妹に飲ませたような記憶はない。
そんな二人の様子を見守っていたフェルトがマックスに声をかけた。
「マックス、心当たりはないのか?」
「フェルト。ああ、飲ませた記憶はないのだが…ああ!」
はたと何かに思い至った様子のマックスにフェルトが尋ねる。
「なんですか?」
「フェルトの持っていたアイテムと同じものがマーケットに売っていて、それを土産に買った。…体力回復、疲労回復に効果があると、昔フェルトが見せてくれただろう?名前は忘れてしまったが」
マックスのその言葉を聞いたフェルトとヴィーゼの顔から血の気が引く。
「…フェルト…」
「リフュールハーブってオチじゃ、ダメかな」
「違うんでしょう?」
「…」
小さな声で二人呟きあっていたが、はあっと大きなため息を着くとフェルトはマックスに確認した。
「それ小瓶に入った赤い液体ですか?」
「ああ」
予想通りの答えに、二人は肩を落とす。
「…俺たちが捜しているリフュールポットというものが、その赤い色の液体なんです」
「……っ!」
フェルトの言葉に、がばっと扉を振り返ったマックスはその先を凝視した。
「フィー、聞こえるか?」
「ちゃんと説明するから。ここを開けて」
フェルトとヴィーゼが交互に扉をたたく。
「フェルト!?ヴィーゼ!?なぜそこにいるんだ!」
予想外の人物の登場に、扉の向こうでフィーが困惑している様子が伝わってくる。
「お願い、フィー。大丈夫だから」
ヴィーゼがぺたんと扉に手のひらを押し付けて告げる。
しばらく沈黙が続いた後、室内で何かを引きずる音が響いて、扉の鍵が開けられる音がした。
「マックスと、フェルトたちだけ入れ!」
そのフィーの希望を聞き入れ他のものを入れないように指示すると、フェルトたちは部屋に入った。
扉を開けた瞬間、ばさばさと衣擦れの音を響かせて小さな影がベッドの上に飛び上がる。
今のヴィーゼと同じくらいと思しき子だった。
頭からシーツをかぶって、大きな目だけ覗かせているその色が、妹と同じであると気づいて、マックスは体を固まらせている。
ヴィーゼは室内に入ると急いでベッドに駆け寄った。
「フィー」
少し高めのベッドに飛び上がるようにしてのぼると、ヴィーゼはぎゅっとフィーの体をシーツごと抱きしめた。
「ヴィーゼ!?その姿は…」
自分の身に起こったことが彼女にも起こっていると気づいて、フィーは声を上げる。
「ごめんなさい。あたしのせいで…」
「ヴィーゼの?どういうことなんだ」
てっきりマックスのせいだと思っていたフィーは、ヴィーゼからの謝罪に困惑したようだった。
「フィーが小さくなったの、あたしが調合に失敗したアイテムのせいなの…」
ヴィーゼから一通りの説明を聞くと、フィーもそれまで取り乱していた様子がうすれ、いつもの冷静さを取り戻したようだった。
頭にかぶっていたシーツを取り、俯きながら事実を噛み締めている。
「そうだったのか…」
「ごめんなさい。フィー」
「いや。せめてもの救いは、あれを全部飲まなかったということだろう。なんとなくもったいなくてな。一口だけ飲んでいたんだ」
後で残りを渡そう。そう言ったフィーは、あらためてヴィーゼのほうをむくと、「わかっていると思うが…」と続けた。
「私は、この国の統治者だ。だから国民の安全を守る義務がある。今回のことは仕方ないとは言い切れないが、すでに起こってしまったことだ。これ以上被害が広がらないようにすればいい。私もできる限りのことは手伝おう。ただし、今後については二度とこのようなことが起こらないように努めてもらいたい」
「…はい。申し訳ありませんでした」
きちんと姿勢を正して、深々と謝ったヴィーゼにフィーは少しだけ表情を緩めると、まじまじとヴィーゼを姿を見つめた。
「フィー?」
「…それにしても、随分小さくなったんだな」
「フィーも同じくらいでしょう?」
「それはそうだが、…なんだかすごく可愛い」
ぽつりと呟きのように告げられたフィーの言葉に、ヴィーゼは真っ赤になった。
「なっ…そんなことないよ!フィーの方が可愛いよ」
言い募るヴィーゼの言葉に、フィーは首をかしげる。
「そうか?」
「そうだぞっ!」
「そうだよ…ってあれ?」
フィーの言葉に強く頷いて、ヴィーゼはその前に誰かの声が重なっていたことに気づいた。
フィーもそれに気づいたらしい。そして声の方向を振り向いて、そこにあるものに気づくと、ヴィーゼのほうを振り返った。
「ヴィーゼ」
「なあに?」
「…あれは何をしているのだと思う?」
「…ええっと…なんだろうね」
その二人の視線の先には、顔を赤くして身を乗り出しているマックス、その肩を抑えて必死で引き止めているフェルトと、おなじく、人見知りを一時的に克服し、マックスの足に抱きついて彼を止めようとしているイリスの姿があった。
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