花のように

 

 

花のように 4

 



今の自分の状況を考え、フェルトはしばらく迷っていたものの、ヴィーゼをそのまま扉の前に立たせておくことはできずに黙って部屋に入れた。
ヴィーゼに部屋にあった椅子を勧めると、自分はその対角線上にあるベッドの隅に座る。

「……」

自分と極力距離をとろうとするフェルトに、ヴィーゼの表情が曇る。
けれども、ヴィーゼは今夜ここに来た理由を思い出し、気持ちを奮い立たせるように深呼吸した。

「それで…ヴィーゼが聞きたいことって…?」

「その前に。イリスからの伝言を伝えるね」

視線を合わせないように切り出したフェルトに、ヴィーゼは言う。

「伝言?」

イリスの伝言という言葉に、フェルトが振り返る。
フェルトに頷きを返し、ヴィーゼはその言葉を伝える。

「『お兄ちゃん、早く帰ってきて』って」

「っ!」

その瞬間、まるで痛みが走ったように、フェルトの表情がゆがむ。
その顔を見つめながら、ヴィーゼはゆっくりと言葉を重ねた。

「…あたしも、そう、思ってる」

帰ってきてほしい。
イリスの言葉はそのままヴィーゼの言葉でもあった。

「…それは…」

答えよどむフェルトに、ヴィーゼは膝に乗せていた手をきつく握り締める。

「…フェルトが、あたしのせいで悩んでるって、わかってるの。その理由を、教えてくれなくて、ひとりで抱え込んでることも。…もしかしたら、役に立てないかもしれないけど…」

言いかけたヴィーゼの言葉を、フェルトは遮った。

「違う…ヴィーゼのせいじゃない…」

力のないフェルトの言葉に、ヴィーゼは言葉を重ねる。

「でも、フェルトが辛そうな顔するのは、あたしと一緒にいるときだったよ」

その言葉に、フェルトが敏感に反応した。

「ちがうっ!」

「!」

いきなり大きな声を出したフェルトに、ヴィーゼは体をすくませる。

「…そうじゃない…そうじゃないんだ。辛いのは…っ!」

言い出しかけた言葉を、フェルトはあわてて飲み込んだ。
口に出してしまったら、取り返しがつかなくなる。
今でもヴィーゼを抱きしめようとする衝動を、必死で抑えているのだから。
言葉を詰まらせ、唇を噛み締めて俯いたフェルトに、ヴィーゼが静かに椅子から立ち上がる。
視線を逸らしていたフェルトの動きが一瞬遅れた。
室内はそれほど広くない。大またで数歩歩くだけで、ヴィーゼとフェルトの二人の距離がすぐになくなる程度だ。

「フェルト」

また、あの時と同じ甘い、花のような香りを感じる。
今ではそれがなんなのか、フェルトは気づいていた。
エデンでヴィーゼと離れるまで、当然のように傍に感じていたもの。
ベルクハイデで再会したとき、懐かしいと感じたもの。
それは柔らかな曲線を空に描き、一人の少女の姿を形作る。

ふわり、と柔らかな感触がフェルトの体を包んだ。

「…っ!」

ヴィーゼが自分を抱きしめているのだと気づいたフェルトは、体をこわばらせる。それまでも緊張で高まっていた鼓動が、いっそう大きくなった。

「フェルトが、あんまりそういうこと口に出さないって、知ってる。ずっと、一緒にいたんだから。…でも」

フェルトの肩に回したヴィーゼの手に、わずかに力がこもる。

「小さい頃、フェルトあたしに言ったよね。『ヴィーゼが辛い顔をしてるの嫌だ』って。あたしも、同じだよ。…フェルトが、辛いって思ってるのに。なにもさせてくれないなんて、ずるいよ…」

声とともに、ぱたりぱたりとヴィーゼの顔から滑り落ちてきたものが、フェルトの髪を濡らした。
それに気づいた瞬間、フェルトの喉の奥がカッと熱くなる。
本来ならば、ウィーゼを突き放しても自分との距離をとらせなければならないはずなのに、ヴィーゼを突き放しかけたフェルトの腕は、逆に彼女の腰と背中に伸ばされ、次の瞬間にはきつくその体を抱きしめていた。

「…ヴィーゼ…」

フェルトにとってそれは拷問にも等しい。
体の中の衝動を受け入れさえすれば、楽にはなれるだろう。
そうしろと、フェルトの内側から囁く声もする。
今ならば、優しいヴィーゼはどんな理不尽な要求であっても応えようとするだろう…フェルトを助けるためであれば。

けれど、フェルトはそんなふうに彼女を求めたくはなかった。

「…っ!」

ヴィーゼの望むように、ただその理由を明かすことも難しい。
明かして、もし拒絶されたら?
もう一度、三人のあの家に帰ることが出来るだろうか…?
もし戻ることができたとしても、もはや以前のような関係にはなれないだろう。

「…きっと、嫌いになる…」

生まれたときから傍にいたといえるほど、長い間ともにいた存在。
失うことは考えられなかった。
搾り出すようにして口に出された、今まで聞いたことがないフェルトの言葉に、ヴィーゼは目を見開いた。




しばらくは二人とも、動くことができなかった。
フェルトは、口に出してしまった言葉と、腕に抱いたヴィーゼに意識を奪われ、ヴィーゼはフェルトの言葉の意味を考えていた。
そして、ヴィーゼはその目を伏せると、そっと身をかがめた。
頬にフェルトの髪がふれるほど近づいて、彼の体にまわしていた腕に力を込める。

「あたしは…フェルトが好きだよ。ずっと、ずっと好きだよ」

小さい頃なら言えていた言葉。…その言葉の意味が変わって、言えなくなったのはいつだったろうか。

「誰よりも、大好きだよ」

囁く言葉に、自分を抱きしめるフェルトの腕に力がこもるのをヴィーゼは感じた。
引き寄せられて、ヴィーゼの足元が崩れる。ベッドに腰掛けているフェルトに半ば倒れこみそうになる体を、その肩に置いた手で何とか支えた。
それでも徐々に支えきれなくなり、ヴィーゼはフェルトの首に両手を回して、肩口に顔をうずめるような体勢になる。
その時になって、ヴィーゼは急に恥ずかしくなったように頬を赤らめた。ぎゅっと、フェルトの右肩に顔を押し付ける。
かろうじて頭にひっかかっていた帽子も、その拍子に足元に滑り落ちた。
帽子に押さえられていたヴィーゼの髪がフェルトの肩にふわりと広がる。
そしてヴィーゼは小さな声で、言葉を続けた。

「もし…もしフェルトがあたしのことを嫌いになっても、誰か他の人を好きになっても、ずっと、好き…」

囁きの途中で、ヴィーゼの体がフェルトの正面へ引き寄せられた。それまで背中に沿わされていたフェルトの手が、ヴィーゼの頭を支える。
そしてわずかな間かすめるように口付けたフェルトは、真っ赤になったヴィーゼの顔を、じっと見つめた。

「…これでも?」

ヴィーゼの言葉は、フェルトにとって救いともなるものだった。
けれども、…まだ彼女は、自分の中のどろどろした感情を知らない。
好きだという、ヴィーゼの言葉が引き金になった。必死で隠していたはずのものが、止められないまま、フェルトの口をついて出てきた。

「俺は、ヴィーゼに、ずっと触れたいと思っていた。こんな風に。…それでも?」

自分でさえ、受け入れがたかった感情。それをぶつけられてもなお。

「…好きだよ」

頬を赤く染めたまま、ヴィーゼは呟いた。

「好きだよ。フェルトだもん」

フェルトを見つめるヴィーゼの瞳の中で、その顔が何かを堪えるかのようにゆがむ。
ヴィーゼは自分の言葉が嘘ではないと示すように、その頭に両手を回して、抱きしめた。



「…帰ってきて」



ノイアールの家に。



「イリスと、フェルトと、あたしの…三人の家に」



ヴィーゼの囁きに応えるように。
フェルトの腕が、ヴィーゼの体をかき抱いた。






 



 

                              【終】                   

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