シャムロック

 

 

シャムロック 2

 

 

彼の妹が生まれる前、ケイオスは行商に出かける両親にねだって、小さな蜜蝋のロウソクを買ってきてもらったことがあった。

用途の限られたそれは普段灯りに使うものと比べて少し高いものだったが、あまり物をほしがらないケイオスの珍しい願いに両親は快くそれをかなえてくれた。
幼いケイオスはそれを行商から帰ってきた両親から受け取ると、さっそく村の傍に咲いていた花と水と共に、月の光がさす窓辺に置き、慎重に灯をともす。
そしていつか見た教会の牧師がしていたように、両手を組んだ。

「じひぶかきアルテナさま、どうか…」

大陸で広く信仰されている神の名をつむぐ。
その祈りが聞き届けられるまで、それほど長い時間はかからなかった。





「にいさん!今日もお月様がでたよ!」

数日後の夜。
遅い夕食の準備をしていたケイオスの傍に今日もリエーテが駆け寄ってくる。
嬉しそうに報告する妹が可愛くて、ケイオスは料理の手を止めて振り返った。

「今日で何回目だっけ?リエーテ」

「3回目!だから、あと1回お月様が出たらかあさんたち帰ってくるんだよね?」

「ああ」

よく出来ました。というようにリエーテの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
リエーテはくすぐったそうに目を細めてそれを受け、兄の手が離れたあともなごりおしそうにその顔を見上げた。
甘えたがりになっている妹の様子を察してケイオスはほんの少し顔をほころばせる。

「もう少ししたら、ご飯が出来るから。リエーテは火の番をしててくれ」

けれども料理の最中に妹の希望を聞き入れることは出来なくて、ケイオスはそう促すとリエーテを温かい火の傍に座らせた。

食事のあと、明日の仕事の準備を早々に終らせたケイオスは傍で待っていたリエーテを呼ぶ。
兄に呼ばれたリエーテは嬉しそうに駆け寄ると、床の敷き布の上に座るケイオスに勢いよく抱きついた。

「わっ」

勢いに押されて、リエーテの体を抱えたままケイオスがひっくり返る。
ごんっという床に頭を打ち付けた鈍い音に、リエーテが顔を上げると、涙目になったケイオスが必死で痛みに耐えていた。

「ごめんなさい、にいさん」

「平気だ…これくらい」

ひっくり返ったままだとさすがにばつが悪いらしく、ケイオスは起き上がると改めてリエーテの体を抱えなおす。
普段はそれほどでもないのだが、時折寂しくなったリエーテは兄であるケイオスに甘えてくる。時にはそれを同じ村の子供からからかわれることがあり、鬱陶しく感じることもあるのだが、…自分に甘えるリエーテを見ると、それを面に出すことは出来なかった。
同時にそれを愛しいと感じているのも、確かなのだ。

「今日は、それか?」

「うん、貸し本屋さんがくれたの。もう古いからって」

擦り切れて綴じしろもほどけかけた本を、膝に載せたリエーテの背後から覗き込みケイオスがたずねると、リエーテが頷く。
村に定期に訪れる貸し本屋とリエーテは随分親しくしていて、本を借りることが出来ないリエーテに時折こうして古い本をくれることがある。
使い物にならなくなった本がほとんどだから内容もばらばらで、その本も植物の絵を集めたものだった。
ぱらぱらとページをめくりながら二人で内容に見入っていたのだが、白い花のページでリエーテが一つの絵を指差した。

「にいさん、これ村にも咲いてるお花だよ」

妹の言葉にケイオスはたずねる。

「この花が好きなのか?」

丸いマリのような白い花と、丸い白の円弧が描かれた3枚の葉。
春になると、村の傍の丘一面に咲いている。

「うん!可愛いお花だよね」

本の絵を熱心に見つめるリエーテにケイオスはふと、その丘に彼女を連れて行ったことがないことに気づいた。

「…いっぱい咲いている場所、知ってるから。明日行くか?」

ぽつりと呟いた言葉に、リエーテが勢いよく振り返った。
まんまるな目に驚いたケイオスが何か言うより早く、頷く。

「うん!行く!」

…春植えの野菜の種まきもまだなのに。
薪だって、少なくなっているのに。
なのに、そんなことよりも妹の喜ぶ顔の方が先に浮かんでしまって、ケイオスは内心ため息をつきながら、寂しさの消えた妹の笑顔にむかって笑い返した。




昼間摘んだ花をちいさな瓶に生けて、リエーテは飽きることなくそれを眺めていた。

「リエーテ、もう寝るよ」

「うん…」

花冠を水を張った皿の上に載せて、ケイオスがリエーテを呼ぶ。
リエーテは振り返ると兄のいるベッドのほうへと向かうと素直にベッドに横になった。
そして傍らに半分体を起こしている兄を見上げる。

「かあさんたちかえってくるよね」

「ああ、帰ってくるよ」

「うん…約束したんだもの」

それでも不安そうなリエーテを安心させるように、ケイオスはそっと髪をなでてやる。

両親は約束した日に帰ってこなかった。

これまでの行商でもそんなことはたびたびありケイオスはそれほど気にしていなかったが、母との約束の言葉を信じてずっと待っていた分、リエーテはそうはいかなかった。
何度も村の入り口と家とを往復し、夕暮れ近くにはずっとその場所に座り込んで動こうとしない。
日が暮れて、持っていた花がしおれてしまったことを迎えに来た兄に指摘されると、涙目になりながら、促す手につかまって家に帰った。
その後も、しばらくは窓辺にかじりつくようにしていたが、ケイオスに言われて手に持っていた花を水に挿すと、今度はじっと花を眺めていた。

「…早く帰ってきてくれないと、リエーテの花が枯れちゃうよ。父さん」

寝入った妹の髪をなでながら、ケイオスはぽつりと両親に向かって不満げに告げる。
『すまんすまん』と頭をかきながら息子に謝る父の苦笑顔が浮かんで、ケイオスは彼を前にしたときと同じように、ふぅと仕方なさそうにため息をついた。
 


それからさらに数日。

予定の時期を過ぎても帰ってこない両親に、さすがに他の村人たちも不審に感じ始めたらしい。
雨季や冬季など天候の悪いときや橋が壊れたなど何かがあれば、村への帰りが遅くなることは当然ある。
それでもそんな時は知らせがこちらに届くはずだった。
村の大人たちの気配を敏感に感じ取り、リエーテの表情は晴れずそれまで以上にケイオスの傍を離れようとはしなくなった。

「にいさん、おいのりの仕方教えて」

おそらく近所の女性に聞いたのだろう、そう言ったリエーテにケイオスはもうずっと使っていなかった蜜蝋のろうそくを用意して、それに火を灯した。
オレンジ色の静かな炎の明かりの中に不安げな妹の顔が浮かび上がる。

「慈悲深きアルテナさま、どうか…」

兄のしぐさを真似て、ぎこちなく両手を組んで、リエーテは目を閉じる。

「どうか、とうさんとかあさんが早く帰ってきますように…」

その日二人は、ろうそくの火が燃え尽きるまで、何度も何度も祈りを繰り返した。

 

 

 



 

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