シャムロック

 

 

シャムロック 1

 


村に戻ったとき、大きな泣き声が聞こえた。
林の中で拾った薪を村の入り口に置き去りにして、少年は声のほうへと走り出す。

「おばさん!」

何件かの家が立ち並ぶ土の道に数人の女性が、何かを囲むように集まっている。
声はその中心から聞こえていた。
少年に声をかけられたそのうちのひとりが顔を上げ、走りよるその姿を認めて声を上げた。

「ケイオス!よかった。戻ってたんだね」

「おばさん、リエーテがまた?」

「ああ…少し前までちゃんとお昼寝していたんだけど、うちの馬鹿ガキがちょっかいを出してね。目を覚ましちまったんだよ」


見れば女性たちの輪から少し離れたところに、ふてくされた表情で5歳ほどの子供が立っている。目じりにわずかに涙を浮かべて頭をさすっているところをみると、早々にお仕置をくらったらしい。
ケイオスと目が合うと、途端に申し訳なさそうな顔を浮かべた。
悪いことをしたと、自覚はあるのだ。…母親から叱られるのは不本意だが、自分より年上で兄貴分でもあるケイオスには、素直に謝る気になるようだ。
相手が反省しているとわかると、ケイオスはすぐに妹の傍に身をかがめた。

「リエーテ」

名を呼んでやると、唐突に泣き声が止んだ。

「おいで」

膝をついて、妹の前に両手を軽く広げる。
道の真ん中に座り込んで泣いていた幼女は、その声に勢いよく立ち上がると、涙で顔をくしゃくしゃにしたまま兄の胸に抱きついた。
ようやくおさまった泣き声に、周囲の大人たちはほっとしたようにその姿を見つめる。
今回はなんとか無事におさまったようだ。
幼い子は長く泣きすぎると、興奮して熱を出してしまうことがある。
まだ3歳ほどの幼女の体があまり丈夫ではないと皆知っているから、両親が出かけている間いろいろと気を使ってくれていた。

「ありがとう、おばさん」

ようやくしゃくりあげる声も小さくなって、ケイオスが妹を抱き上げて傍に残っていた女性に礼をいうと、彼女はひらひらと手を振って家に戻っていった。

ケイオスは置きっぱなしにしていた薪を運ぼうと、妹を抱いたまま村の入り口に向かう。
9歳のケイオスに3歳のリエーテの体は少々重かったが、ひとりにされて不安だったのだろう妹を、また置き去りにすることはできなかった。
しかし入り口にたどり着くまではよかったが、目の前の薪の量を改めて見て、ケイオスは考え込んでしまった。
背に負うものはいいだろう。少し重いが、両手は空いているからいざとなればリエーテを抱いたままでも運べる。
しかし、手に持っていた分は…。
ここから家までを2回往復するのは、少し避けたかった。
仕方なく、ケイオスはリエーテを道に下ろそうとした。

「リエーテ、ここからは一緒に歩こう」

「やー」

「…」

首に抱きついたままの簡潔な拒否の言葉に、ケイオスは黙る。
妹は甘えているのだ。
それはわかる。
でもここで叱ったら、また泣かれてしまう。

「残りは僕が持つよ」

さてどうしようかと考えていたケイオスの背後で不意に上がった声に振り向くと、先ほどの少年がケイオスの薪の束を手に抱えていた。

「リド」

ケイオスが少年の名を呼ぶと、少年はばつが悪そうに視線を逸らした。

「…だから、ケイオス兄ちゃんの家まで運ぶの手伝う」

彼の妹を泣かせた、謝罪のつもりらしい。
リエーテは首に抱きついたまま一向に離れる気配は見せず、ケイオスは一度少年の顔と薪の束を見比べる。

「じゃあ、頼む」



リエーテが生まれたのは、ケイオスが7歳になったばかりの頃だった。
村と、街…リーゼヴェルトやグラードなど大きな街を行き来して、村にいることの少ない両親が久しぶりに戻ってきたとき、その腕に小さな子供が抱かれていた。
その頃すでにケイオスはひとりで留守番することになれていた。
何日も、時には何ヶ月もひとり家に残されていたケイオスは、あるとき両親におねだりをしたことがあった。
『妹か弟が欲しい』
近所の幼馴染の兄弟が一緒に両親の手伝いをしている姿を見て、うらやましくなったからだった。一人でなければ、両親を待っている間も寂しくないだろう。
一緒に遊んだり、ご飯を作ったり。退屈な薪拾いだって、きっと楽しい。
そう言ったケイオスに両親は笑って、『じゃあ、アルテナ様にお願いしてみよう』、そう言っていた。
だから、両親に『妹だよ』と、小さな赤ん坊を紹介されたとき、アルテナ様が願いを聞き届けてくれたのだと思った。
産後のこともありその後数年は、母は家にとどまっていた。
普段は夫婦で出かけるのだが、その間は父だけが出かけ、ケイオスと母と、赤ん坊が家に残されていた。
しかし、赤ん坊が一人で歩けるようになり、片言の言葉を話し始めるようになったころ、両親は再び二人で街に出かけるようになっていた。

「父さんも母さんもいなくて、寂しいんだよな…やっぱり」


傍らで眠ってしまった妹を見つめて、ケイオスは呟いた。
一人にされると、リエーテは途端に泣き出す。
それは両親かケイオスの姿を見つけるまで続いて、あるときなど熱を出しながら泣き続けていたこともあった。
ケイオスの腕を枕に、その胸にぴったりと顔を寄せて眠る妹の髪を撫でて、ケイオスは枕もとのランプに手を伸ばした。
油の芯を外すと、ふっと部屋の中が闇に包まれる。
秋が深まり、このあたりでも朝方は随分冷え込む。
大事な妹が風邪をひかないように、ケイオスは獣の毛皮の掛け布をリエーテの肩口まで引き上げてやり、冷たい空気が入らないよう、もう片方の手でかけ布ごと体をくるみこんだ。


 

 


冬を迎える前には、火付け用の火薬がよく売れる。
春と夏にはグラードなど大きな街を中心に祭りがあり、多いときには村の者が総出でかかっても生産が間に合わなくなるほどの花火の注文が入ることがある。
両親はそれらの行商のために村を離れていたのだが、雪や長雨などで行商が困難になる季節にはケイオスたちの待つ家に帰ってきていた。
本格的な冬が訪れる間際に戻ってきた両親と共に春の初めまで過ごしたリエーテはいつになく上機嫌で、何かあるとすぐに熱を出していたのにその冬は一度も体調を崩さず、兄と両親を安心させた。
そのため再び両親が村を出ようとした時のリエーテの泣きようは、普段よりもいっそう激しいものになった。

「いっちゃヤダ!とーさんもかーさんも一緒にいて!」

わんわん泣きながら荷台を引こうとする父親のズボンに取り付いて引っ張っている。

「リエーテ」

旅支度をした母親と共に家から出てきたケイオスに気づくと、リエーテはズボンの端を引っ張ったまま兄を呼ぶ。

「にいさんも止めて!とーさんかーさんが行っちゃう」

「リエーテ、そこは危ないからこっちへいらっしゃい」
母にそう言われて、リエーテはひくっとのどを鳴らして泣くのをやめると、涙目でその顔を見つめる。

「…そっちに行ったら、お外に行かない?一緒にいてくれる?」

「…。それはちょっとムリかな?」

一瞬泣き止みかけたリエーテだったが、母の首をかしげながらの言葉に再び泣き顔になる。

「かあさん…」

「おまえ…」

図らずも夫と息子にげんなりとした声で同時に呼びかけられ、母は『心外』というように目を見開いてみせる。

「だって、嘘はつけないでしょ?」

「そうだが…嘘も方便とか…言いようがあるだろう…。―ケイオス」

大きな車輪のそばにいるリエーテを抱き上げてあやすように軽く背中をたたくと、父はケイオスの傍に歩みより腕の中の少女を預けた。

「今回はリーゼヴェルトに届ける荷だけだから、それほど日数はかからないだろう。次の依頼分も届けなければならないから、すぐにもどってくる。それまで、頼むぞ」

「わかった。…気をつけて」

二人に向かって言った父の最後の言葉にケイオスが大きく頷いた。
その表情に顔をほころばせた父は軽くケイオスの肩をたたいて、涙目で見上げたリエーテの頭を撫でると、仕事道具である荷車に向かう。

「リエーテ、ケイオス」

母に名を呼ばれて二人が視線を向けると、いつも朗らかな笑顔を浮かべる母には珍しく表情を曇らせていた。

「大丈夫だよ、かあさん。リエーテには俺がついてるから」

「な?」と腕に抱いた妹に言うケイオスを見つめる母は口元に笑みをつくると、二人をふんわりと抱きしめた。

「かあさん!?」

「そうよねー、ケイオスはお料理もお掃除もかあさんより上手だものね!」

いきなり抱きしめられて焦ったケイオスが声を上げると、ぱっと腕をひらいた母は明るい口調でしゃべりながら、うんうんと頷いている。

「リエーテ。かあさんととうさんは、空に月が4回出たら帰ってくるから」

びっくりした表情で固まっているリエーテに母はそう話した。

「4回?」

「うん。にいさんといっしょに数えて待っててね」

父の『すぐに帰ってくる』という言葉と、母の『月が4回出たら』という言葉にリエーテはしばらく考えていたが、兄の顔を見上げてしぶしぶといったように頷いた。





 



 

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