シャムロック

 

 

シャムロック 3

 

 

街道沿いを探してくると言い残して、男たちが数人村を発って翌日、そのうちのひとりがあわてた様子で帰ってきた。

不安がたたって体調を崩した妹の面倒を見ていたケイオスが、たまたま水をくむための家の外に出たとき、彼が村の人に話す言葉が耳に飛び込んできた。

その瞬間、ケイオスの手から木桶が滑り落ちる。
桶が地面にぶつかる音と、その中の水がぶちまけられた音に、村人たちの視線が集まる。
そこに少年の姿を見つけ、数人が息を呑んだ。

「ケイオス…」

「おじさん…今、なんて?父さんが…」

死んだって…。

ぼんやりと呟いたケイオスの目に、それまで男が乗っていた騎獣が目に飛び込んでくる。
その傍に走りより、無我夢中で、その手綱を引っ張った。

「ケイオス!まて!行くんじゃない!」

村に残された唯一の騎獣にケイオスが乗ってしまい、彼を呼び止めようとする男はそれを制止しきれない。
慣れない乗り手を嫌がる鳥の首を無理やり村の外に向け、ケイオスは力いっぱいその腹をけりつける。
途端に走り出す騎獣を避けた男性は、走りながら手を伸ばしてケイオスの手にある手綱をとろうとしたが、ケイオスはそれをかわしてつかませない。
少年を乗せた騎獣は村の外へ走り出て、瞬く間にその姿を小さくする。
同時に、少年の耳に聞こえる男性の必死の声も遠くなった。

「ケイオス!行くな――!」

呼び止められれば呼び止められるほど、ケイオスの胸の中の焦燥感は増していく。

―――父さん、父さん!

心の中で呼びかけた声に、ケイオスの脳裏に幼いころに見上げた父の顔がよぎった。

幼いころから、父が目標だった。
火薬職人の伯父の仕事を手伝っていたとき、冗談まじりに「ケイオスは筋がいいなぁ、どうだおじさん所の子供になるか?」といわれたことがあった。
大人に褒められたことが嬉しくて、思わず頷きそうになったケイオスに、傍にいた父が伯父に珍しく反論していた。
『馬鹿を言うな。ケイオスは俺のあとを継ぐんだから』
そう言って頭を撫でてくれた。
幼い自分はその意味をまだ気づいていなかったけれど、今はわかる。

古い錬金術士の血。
それが支えてきた古き大いなる知識。
それを継ぐのは自分だと、そんな頃から思ってくれていたことが嬉しかった。

…父さんのようになりたかった。

しばらく街道沿いを走っていると前方に人だかりが見えた。
顔見知りの村人に混じって、甲冑を身にまとった役人らしい男たちの姿もある。
彼らは道沿いの茂みの中を探っていたらしく、騎獣から降りたケイオスが近づいてきたことに気づくと、あわてた様子でそれを止めようとした。
しかしそれよりも早く、ケイオスの目にある光景が飛び込んでくる。

「―――――――!!」

黒い塊。
つんっと鼻を突く異臭に、体がすくんで動けなくなった。

「なぜこんなところに子供が!」

「くるな!こっちに来るんじゃない!おい!どこかに連れて行け!」

「ケイオス!なぜここに」

周りにいた人々の、口々に叫ぶ言葉が遠くなる。
目の前の赤黒い姿に意識が集まってゆく。

「ケイオス!来るんだ!」

まるで石になってしまったように、ピクリとも反応しないケイオスの体を、村人の一人が横抱きに抱えその場から離そうとする。

「とう…さん。か…あ…」

引き離され視界を遮られながらも、ケイオスはそれが元は人だと、わかってしまった。
本来赤い色のはずの血はすでに腐り、皮膚は土色を通り越して黒く染まっている。
四肢の形はかろうじて残っているものの、胴の部分は二人とも無くなっていた。


 

 


両親のあった場所から離されて、村人の一人とともにケイオスは道に座り込んでいた。
ぼんやりと遠くに見える茂みを眺めるケイオスに、しばらくしてその向こうから村人の一人が歩いてくる。
その手には何かをくるんだらしい布が握られていた。
近づいてくる彼は何かに憤っているかのように口を一文字に引き結んでいる。

「ケイオス」

呼びかけにびくりとケイオスの体が揺れる。
両親の留守を預かって、幼い妹の面倒もみる少年は、村の中ではずいぶん大人びてしっかりしていると評判だった。
けれども両親を一度に亡くし、しかもその現場を直視してしまった今の少年の姿は痛々しく、呼びかけた男性も表情を曇らせる。
彼を見上げたケイオスの目が、まるでガラス玉を覗き込んだように焦点を結んでいない。

「…親父さんたちを連れて帰ってやれ」

言いながら差し出された布をぼんやりと眺め続けるケイオスに、しばらく無言だった彼は少年のひざの上にそれを乗せた。
そしてその間ずっと動かなかった少年を残し、男性は再び街道の方へと向かおうとする。
その後をケイオスとずっと一緒にいた男性が追いかけた。
途中で呼び止め、何事かを話している。
最初はケイオスを気にしてか小さな声で言葉が交わされていたが、少しずつその声に熱がこもり高くなる。

『…よくあることだと、この程度のことに人は割けないと…』
『そんな…盗賊だぞ!野放しにしていたらもっと…』
『ああ、出るだろうな』
『なら…!』
『今はリーゼヴェルトに警護を集中させている。だから、割きたくても割けないとな。…王国待望の姫が、初めて国民の前に姿を見せるんだそうだ』

それは、村人ならほとんどのものが知っていた。
なぜならば、出かけた二人がリーゼヴェルトに届けようとしていたものは、その祝いに使う祝砲の花火だったのだから。

そこまで言った男性の顔に、初めて怒気が上る。
『…荷を届けた帰りだとわかって、目に見えてほっとした顔をしやがって…』
そして、無言になった相手を促し、そろって道を歩き出した。
 


村人たちの話を聞きながら、ケイオスはまだぼんやりと宙に視線をさまよわせていた。
話を聞いていたが、その内容はほとんどケイオスの中には入ってこない。

けれども、両親が盗賊に殺されたらしいということ。
そして遺体は見つからないように街道の奥の林に投げ込まれ、…野の獣に食い散らかされたということ。

それだけが、かろうじて心の中に引っかかった。

その時、街道を挟んで林がある方向とは反対側の草原から風が吹き、ケイオスの髪をなぶっていった。
ざぁっと音を立てて足元の草を揺らした風は、ケイオスのひざに置かれた布の端もさらってゆこうとする。
けれども中に包まれたものが重石になり、布はわずかに浮いただけで、ケイオスの足元に滑り落ちた。
地面に散らばったそれに、初めてケイオスの目が焦点を結ぶ。

二つに分けられた、黒い髪の束。
一方は短くまっすぐで、もう一方は長く、妹の髪のようにゆるく波打っている。

『親父さんたちを連れて帰ってやれ』

それを見つめながら、ケイオスの中に伯父の言葉がよみがえった。
手を伸ばし、二つの髪を握り締める。

生きているものとは違う、ばさばさとした手触りと、腐った血のにおいを感じながら、それを額に押し付ける。

「…っ…さ……」

握り締めた髪にすがるように、ケイオスは体を縮め長い間うつむいていた。


 

 


これ以上獣に遺体を汚されることはできず、夕刻を迎える前にケイオスの両親の遺体は早々に深い土の中に埋葬された。
そして、残された遺髪を手にケイオスは村人たちと共にアルヒェの村へ帰った。

一人飛び出していったケイオスを残った村人たちは心配していて無事に戻った姿にほっとしたが、彼の手にある包みに気づくと、皆一様に表情を曇らせ、両親と親しかった者は涙を流して悲しんだ。
その中の一人が、家へ帰ろうとするケイオスを呼び止めた。

「ケイオス、リエーテが…」

彼女の口から妹の名が出た瞬間、それまで無表情だったケイオスの顔が真っ青になった。

思い出したからだ。

父の話を聞き、この村を飛び出す前まで、自分が何をしていたか。

今この瞬間まで、妹が、どうしていたのか。

がたがたと体を震わせはじめたケイオスの尋常ではない様子に、近所の家に住むその女性は、それ以上言葉を続けることをためらった。

「あのね、ケイオス…」

彼女の口からそれ以上言葉が発せられるのを待たず、ケイオスは走り出し、妹のいる家に飛び込んだ。

「リエーテ!」

悲鳴のような、引きつった声でケイオスは妹の名を呼ぶ。
父を失い、母を失い、もうこれ以上はたくさんだった。

「リエーテ!リエーテ!」

名を呼ばなければ、まるで妹が消えてしまうとでもいうように、ケイオスは何度もリエーテの名を呼びながら、彼が村を離れるまで妹が眠っていた部屋にあわただしく入る。
そこに静かに目を閉じて横になる妹の姿を見つけると、ケイオスはびくりと体をこわばらせた。

「…っ!」

最悪の状況が脳裏をよぎり、悲鳴がこぼれそうになる。

「ケイオス」

そのとき、背後から声をかけられてびくっと体を震わせたケイオスは勢いよく振り返った。
先ほど声をかけてきた女性が、心配そうに傍にたたずんでいる。

「…あ…」

「ケイオス、今は大丈夫だから」

誰のことか聞かなくても、ケイオスにはわかっている。
その声に促されるようにケイオスはリエーテの傍に近寄ると、彼女の言葉のとおり、リエーテはただ眠っているだけのようだった。

「あり…がと、おばさん…」

何も考えないまま妹を置いて飛び出したケイオスにかわって、彼女がリエーテの面倒を見てくれたのだろう。
礼を言ったケイオスに彼女は静かに首を横に振る。
その反応にいぶかしむように彼女を見つめたケイオスの傍で、眠っていたリエーテが声を上げた。

「…さん」

「リエーテ!」

名前を呼んだケイオスの顔を見上げると、リエーテはぼんやりとした表情でたずねる。

「にいさん…かあさんは?」

「…っ!」

二人の背後で、痛ましそうに女性が顔を伏せた気配を感じた。

「とうさんは…?おばさんが、にいさんがむかえにいってくれたって…」

まだぼんやりしたままなのだろう、あまり視点が定まらず、うまく言葉もつむげていない。
一度目を伏せたケイオスは、再び目を開けるとゆっくりと答えた。

「ああ…迎えにいってきた」

「かえってきてくれたんだ」

「…うん、そうだよ」

そう答えると、リエーテの表情が明るくなる。
無理に体を起こそうとする彼女を、ケイオスはそっと体を抑えて止めた。

「もう少し眠ったほうがいい」

「でも、かあさんにあいたい」

「あえるから」

くしゃっと顔をゆがめたケイオスに、リエーテは動きを止めた。

「会えるから。お願いだから、リエーテ…」

震える手に促されて、リエーテは再び横になる。
もともと夢うつつの状態に近かったのだろう、すぐにリエーテは再び寝入ろうとしていた。
うつらうつらと重くなるまぶたを開けて、ふと兄を見上げる。

「にいさん…」

しかし、耐え切れなくなったのだろう、ゆっくりとまぶたを閉じる。
眠りに落ちる刹那、小さな声でつぶやいた。

「…泣かないで…」



妹の言葉を聴いた瞬間、ぴくりとケイオスは体を震わせた。
ゆっくりと目を閉じると、それまでこぼれることなくたまっていた涙がほほを伝うのを感じる。
しかし、再び目を開けたケイオスのそこにはもう涙はなかった。
傍においていた、両親の髪を振り返り見つめる。

父も、母も亡くなった。
残されたのは自分たち二人。
しかも、妹はまだ幼くあまり体が強くない。

『頼むぞ』
あのときの父の言葉が、不意によみがえった。
母に向かって告げた自分の言葉を思い出す。
ケイオスは心の中で、その言葉に頷いた。

両親の髪にすがりながら、一度は神などいないと嘆きかけたそれを思い直す。
妹と共にささげた祈りはかなえられず、けれども妹は自分の傍に残された。

まだ、自分は一人ではない。

そして、これからは両親に代わって、自分が彼女を守らねばならない。
たった一人の、ケイオスに残された家族、妹。
そのためには、強くなくてはならない。
どんなものからも、リエーテを守れるように。

ケイオスはリエーテの傍から立ち上がると、両親の髪を手に取り部屋を出る。
リエーテが用意していた花は、かろうじてまだいくつか白い花をつけていた。
あたらしい、きれいな布の上に髪を包みなおすと、ケイオスはそれをそっと花の傍に置く。

「とうさん…かあさん」

呼びかけて、先ほどの想いを彼らの前で誓う。
いつか、ほんとうにいつか、彼らに再び出会うとき、胸を張って向き合えるように。






――――神などいない。

一度は思い直したそれをケイオスが再び思い知るのに、それほど時間はかからなかった。

倒れた妹を診た医者から、彼女が癒えぬ病に侵されているとケイオスに告げられたのは、両親の葬儀を終えて数刻後のことだった。

 

 

 



 

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