のぞむことはたったひとつ

 

希求 4

 



静まり返ったその場所に、ケイオスの低い声が響く。

「聞こえなかったのか。出て行けといっているんだ」

立ちすくんだ妹の姿をろくに見ようとせず、ケイオスは突き放すように言葉を重ねた。

「…。…リエーテ」

しかし、一向に動こうとする気配のないことに苛立ち、少女の名前を呼び、振り返る。
そこには、零れ落ちた果物を拾うこともなく、ただじっと、兄を見つめるリエーテの姿があった。
部屋が薄暗いためか、その一瞬、妹の顔が真っ青になっているように錯覚して、ケイオスはそれまでと態度を変え、慌てて妹のそばに駆け寄ろうとした。
けれどその前に、小さく妹の口元が動き、声が発せられると、何かを堪えるように背を椅子に押し付けた。

「でも、兄さん…ずっと、帰ってこなかったから…心配で」

その言葉に、ケイオスは思い当たるものがあった。
これまで自分がどこかに行く時には、行き先は言わないことがあっても、必ず妹にはそれを告げていた。ただ今回は呼び出しが早朝、しかも軍の本部に向かうという内容であったため、それほど時間は取られないだろうと、寝入っていた妹を起こすのを避けたのだった。

「そういえば言っていなかったな。…心配しなくてもいい。すぐに帰る」

「でも!」

「…まだなにかあるのか」

いかにも煩わしそうな声に、リエーテの表情が悲しげに曇る。
はやく遠ざけたいと言いたげな様子に、何度も迷うようにしながら、すがるような眼差しをケイオスに向けた。
どうしても、聞いておきたかったことがあった。

「兄さん、人を殺したから捕らえられたって…本当?」

「誰に聞いた」

「…ここまで、案内してくれた人に」

「リエーテ」

ふう、とケイオスが大げさなため息をつく。

「ごめんなさい」

もういくつも兄との約束を破ってしまって、しかもそれを知らせてしまった。

「俺の今の職は、人を殺して築いたものだ」

そう思い、うつむいたリエーテに向かってケイオスは無造作に言葉を投げた。
リエーテの顔がはっとしたように兄に向けられる。

「…」

「それが聞きたかったのか?」

泣き出しそうな表情を浮かべ、リエーテは何度も首を横に振った。

「…がう、そうじゃない…」

「ではなんだ」

今の兄の、軍人という仕事が、主にどのようなもので成り立っているのか。
リエーテはおぼろげにではあるが知っていた。
争いの中で人の命を奪うことで兄はその技術を認められ、そしてその報酬によって、自分を育ててくれた。
そのことで兄を責めるつもりは毛頭なかった。
ただ、ここに来るまでに聞かされた話は、それとはまったく別のものだったから…。

「リエーテ」

「…」

「もう行け」

口ごもり、黙ってしまったリエーテを視線の端に捕らえながら、ケイオスが繰り返す。

「リエーテ」

二度目は低くこもって、響く。
びくりっとリエーテの肩が震え、潤んだ目がケイオスの顔を見た。

「…戦以外で」

うつろな声で呟いた言葉は、リエーテの意識しないまま口をついたものだった。

「人を殺したこと…ない…」

「ああ。そうだな」

そして、視線をそらさずケイオスが答えた瞬間、リエーテはそれが嘘だと気づいた。
気づいてしまった。


耳を済ませて周囲の音を感じ取る。そして、やっと、妹が立ち去ったことを確認したケイオスは体の力を抜き、ふっと息を吐いた。

「…まさか…」

思わぬところで、妹に姿を見られてしまった。…そして、誰かはわからないが、妹の姿も見られてしまった。
生活の大半をあの一室で過ごす妹が、兄の異名を知っているとは考えにくい。可能性があるとすれば大家だが、彼女を可愛がってくれている様子から、その名ゆえ、告げているとは思えなかった。
視線を格子に向けたケイオスは、その床に丸いものが転がっていることに気づいた。
薄暗い部屋の中で、皮の黄色がまるで光を集めたように見える。
監視の人間がまだ戻ってきていないことを確かめると、ケイオスは椅子から立ち上がり、その傍に近づいた。
格子の間から腕を伸ばし、それを掴む。
実が詰まりずっしりとした重みが、ケイオスの手に伝わる。
昔、帝都に来てからしばらくはろくな食べ物がなく、リエーテに食べさせてやるのが精一杯の日が続いたことがあった。
二人で食事をすればそのことに必然的に気づかれてしまうため、ケイオスはその頃はわざとそれぞれの食事の時間をかえていたのだ。
それから、ようやく軍に入り、わずかな金が手に入り始めた時、二人で食べたもの。
それが今手の中にあるものと同じものだと思い出し、ケイオスはふっと唇で笑った。
軽く上着で埃を拭ったあと、厚く苦い皮ごと噛み付く。
皮の一欠片も、雫ひとつも残すわけにはいかなかった。
そこに、誰がいたのか、何があったのかも、…あの時と同じように。
 

 

数週間前に終わった戦の後始末の途中、ケイオスの耳に入ったのが遺跡の調査の話だった。
古い、それこそその国が出来る前からあるという遺跡は、戦に破れた兵の残党が隠れやすい複雑な構造を持つものらしく、事後処理の一環としてその内部を調べるという。
そう聞いたあとはすぐにそれに参加できるよう、ケイオスの足は本部へ向いていた。
いつできたかもわからないほど古い遺跡、そして複雑な構造を持っている。
そこに、錬金術に関わる遺物が残っている可能性は十分にあった。
名を上げ、さまざまな情報を得られるようになってきてはいても、思うようなものにはめぐり合えない。そんな歯噛みするような思いをするなかで、やっとめぐってきた機会。
結果、無理やりに近い形での参加にはなったが、多少周囲の視線が厳しかろうがケイオスはかまわなかった。
自分の目的はひとつだけ、妹を助けるためで、軍にいることもその手段の一つにすぎなかった。

「この部屋はその瓶ひとつ、か。遺跡ということだし、昔の聖水か何かかね?それとも女性の化粧品か」

「さあ」

古い紙で封をされた手のひらにすっぱりと納まる、小さな瓶を手にしているケイオスに向かって掛けられた言葉に、彼は気のない返事を返す。
あるいは人が良いのかもしれない、ケイオスよりも幾つか年上に見える将校らしい男性は「あー」と意味のない声をだす。

「さてじゃあ…今のところ、残兵も隠れていないようだな」

「ええ。そのようですね」

ちらりと室内の奥に視線を投げかけケイオスが告げると、ほっとしたように息をついた。

「他の場所も何もないようだ」

何事かあれば笛を使うように指示してある。甲高いその音が聞こえないことを耳を澄まして確認し、彼はケイオスのほうを振り返った。

「では、早々に合流地点に向かおう。それにしても、残兵よりも遺跡のガラクタ集めを優先させるなど本国は何を…ケイオス殿?」

それまでいた石組みの部屋を出ようとしてその男性は、ケイオスが黙って手の中のそれを懐のうちに仕舞い込んだのをみて、急に不信感が募ったらしい。
それはケイオスの唇の端に笑みが浮かんでいたためかもしれない。

「いったい…」

その行動をいぶかしむような男性の声を聞きながら、ケイオスは不意にうずくまると、足元近くにあった石の床の一部を押した。ずるり、と石が動く。
その瞬間、鈍く嫌な音が室内に響いた。

「ケイ…っ…!」

叫び声が肺に突き立った何本もの矢のためにかき消される。
重い音を立てて倒れこんだ男性の顔を、ケイオスは無表情に見下ろした。
ひゅうひゅうと嫌な音を立てて、苦悶の表情を浮かべているその男の、ちょうど心臓の上辺りに突き刺さっていた矢を両手で掴む。
男が目を大きく見開いて、ケイオスを見る。
ケイオスは両手に掴んだそれを力いっぱい押し込んだ。

「確かに…ガラクタかもしれない。だが、必要とするものもいる」

事切れた男の死体を放置し、ケイオスは一歩部屋を出た。
ふっとその目が細められる。
自分以外にも。
そう心の中で呟き、手渡されていた鈍い黄褐色の笛に大きく息を吹き込んだ。




 

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