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夜のアルレビス学園。
昼間は賑やかなその場所も、夜も更けている今はとても静かだった。
そしてだからこそ、ぱたぱたと足早に走る音は実際よりも大きく響くように思える。
自らの足音に追い立てられるように、赤い制服を着たおさげ頭の少女が採取用の袋を抱えて走っていた。
夜遅くなるつもりはなかったのだが、いつもならすぐに見つかる「青いはなびら」がなかなか見つからなくて、それに一人では見つかったモンスターから逃げ回るしかなく、結局こんな時間になってしまった。
怖い噂のある保健室や音楽室のある棟を少女が通ったのは、出来るだけ早く女子寮に帰りたかったから。
反対側からだと遠回りになるうえに、教員棟の近くを通って先生たちに見つかる可能性があるからだった。
校庭までやってきて少女は、はふっと息をついた。
もうすぐ、女子寮の屋根が見えてくる。
今日採取したものは明日の朝、先輩が来ないうちに棚の中に入れておけばいい。
怖がりの少女に面白がって延々と怪談話を聞かせるという、大変困った趣味を持った先輩だが、今年一人きりだったアトリエの新入生ということで、いろいろ面倒を見てもらっている。けれど、早く先輩たちと錬金術の話を出来るようになりたくて『まだ調合慣れないんだから、一人でしちゃだめ』という忠告を逆らって一人で調合を行い、先輩の心配どおり材料を炭のかたまりにしてしまった。それが今日のお昼のことで、その明日の、先輩の課題の材料に「青いはなびら」が必要だと知ったのが同じ日の夕方のことだった。
たぶん、今自分のしていることはよくないこととわかっている。
でも正直に話して先輩に怒られると思うと、少女の気持ちはどんよりと重くなる。
ただ怒られるならまだいい…厭きられてしまうのではないかと思うと、そのほうがよほど堪える。
また落ち込んでしまいそうになって、少女はぷるぷると顔を振った。
おさげの先に結んだ赤と白のストライプのリボンが左右から視界を遮る。
ふと、その中に見慣れない白を見つけて、少女は体をこわばらせた。
校庭の中ほどにあるウロボロスを示した像の台座に一人の男子生徒が腰掛けていた。
白に見えたのはその少年の淡い色の髪だった。
少女と目が合うと少年は、「こんばんは」と声をかけてきた。
夜の闇の中であるにもかかわらず、顔の造作から目の色さえも分かる。
透明感のある、わずかに緑がかった青。
にこりとその目を細めて、また声をかけてくる。
「突然悪いんだけど、今って何年?」
「え…わた、私は今年入学した、ばかりで…」
少女はがちがちと歯を震わせながら、何とか答えるが、少年はその答えに「そうじゃないよ」と首を横に振った。
「暦。今は何年、何月、何日?教えてよ」
ふわりと風が吹いた、と思うと、少年の姿は少女のすぐ傍まで来ていた。
「ほら」
間近に迫った少年の顔に、半ばパニック状態になりながら少女は口を開く。
目の前のモノがなぜこんなことを聞くかなんて、わかりもしなかった。
「こ、今年は…」
少女が答えた言葉に、少年は一瞬驚いた顔をして、そして今度は満面の笑みになった。
同時に少女が喉の奥で「ひくっ」としゃっくりのような奇妙な音を出した。
「へぇ…思ったより時間が経ってないんだ。これならまだ、会えるかな」
それに気を払うでもなく、まるで少女の姿が見えなくなってしまったように少年は一人ごとを呟くと、ふわりと身を翻した。
その足元は、空を踏んでいる。
「さ、て、と。…どこから探そうかな」
まるでかくれんぼの鬼になったように、嬉しげな口調で呟く少年の姿が、一瞬で掻き消える。
少女の目が、まるで零れ落ちそうなほどまん丸に見開かれた。
「―――――っ!!」
ばさりと、腕の中から採取袋が滑り落ちる。
もう我慢できない。
誰に聞かれたって、先生に見つかったってかまわなかった。
足は笑ってしまって上手く歩けなかったが、一歩、二歩と進みはじめるとそれも関係なくなる。
そして寮が近づくにつれて少女の口からは泣き声まじりの悲鳴が上がっていた。
「先輩、先輩、せんぱいぃぃいい――――!!!」
その夜の少女の大きな叫び声は、男子寮女子寮関係なく響き渡った。
余談だが、件の先輩はまだ起きていたためその声に寮から飛び出したものの、泣きじゃくる少女をなだめるのに苦労したという。
アルレビス学園で新たな「幽霊」騒動が持ち上がっていた頃。
そこから離れたある街の、郊外にある錬金術士の工房に、工房の主の友人たちが集まっていた。
定休日のない…まあ、不定休という意味だか…工房には珍しく鍵が掛けられ、彼らはその奥にある主の自宅のほうにいた。
テーブルについているのは3人。だが台所の方からお茶とお菓子をもった女性が2人加わり、5人になる。
女性はみな何かを伺うような表情で2人の男性の顔を見ている。
長い髪の男性は不機嫌そうで、もう一人の灰色の髪の男性は困惑している、ように見える。
「なにそれ?結局呼び出しただけ?」
「う…うん…たぶん…」
席についたままだった獣人の女性…ニケが呆れたように尋ねると、向かいに座っていたヴェインが頷く。
フィロと2人で工房を開いていたヴェインに突然、錬金術士の協会から出頭するように連絡が来たのは数日前のことだった。
たまたま、遊びに来ていたロクシスとニケが協力してくれて、今日の昼、ヴェインはロクシスと共にその場所に足を運んだのだが。
ヴェインじゃらちがあかない、とばかりに「あんたは?」とニケに促されて、ロクシスは眉をしかめながら口を開く。
「何が目的か知らないが、ここ1ヶ月のヴェインの所在を尋ねていた。まあ、工房で働いていたとしか答えようがなかったが」
そう言われ、ヴェインもしぶしぶ、と言ったように言葉を補足する。
「うん…誰か証明できる人はって言われて、ロクシスたちのことを言ったんだけど、みんなじゃ証明にならないって。だから、しかたなくお客さんで知ってる人のことをあげたんだけど…やっぱり出さないほうがよかったよね」
その帰りに何人かには店に出向くなどして事情を説明して了解を取れたが、勝手に名を出したことがヴェインは引っかかっているらしい。
迷惑をかけてしまったと、いつも買いに来てくれる常連さんたちを思うヴェインに、なだめるようにロクシスが声をかける。
「背に腹はかえられない。あのまま黙っていたら拘束されていたぞ」
ロクシスの口から出た不穏当な言葉に、話を聞いていたアンナが憤りを感じて口を開く。
「何の理由もなく拘束なんて…あまりに理不尽じゃありませんか!」
「…向こうには理由があるんだろう」
答えたロクシスの言葉に、一瞬席が静かになる。
思い当たるのは、ひとつだった。
「…でも、だって、あの時たくさん調べたのに」
「フィロ」
ぽつり、と呟いたフィロに、ヴェインが声をかける。
「すっごく太くて痛そうな注射とか。電気が走っててビリビリしそうな装置とか。先生たち見せてくれなかったけど、私知ってるから。ヴェインくんは「なんでもない」って言ってたけど、そんなわけない。…なんでもないわけないのに」
だけどきっと、それがみんなで卒業するために必要なことだと思ったから、そう彼も言ったから、我慢できたんだと思う。
そう思わなければ耐えられなかった…おそらくは、皆。
それによってヴェインが「人間」であると、理解したはずではなかったのか。
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