花のように

 

 

花のように 1

 



 

「やっと逢えた…やっと、逢えたよ…っ!」

「ヴィーゼ…!」

泣きじゃくって自分に向かって飛び込んできたヴィーゼを、フェルトは腕を伸ばして胸に抱き寄せる。その軽さに、フェルトは一瞬息を呑んだ。
エデンにいた頃は一緒にいても、もう年を重ねたこともあり幼い頃のようにお互い抱きついたりはしなくなっていた。そして昔、自分と変わらないと思っていた少女の感触は、今はあまりにも柔らかくて、フェルトの腕にすっぽりとおさまるほど華奢になっている。

…力を込めれば、すぐにでも折れてしまいそうな気がした。

それなのにフェルトの腕は、自身の意識とは逆に、ヴィーゼを抱く力を強めている。

「…フェルト…」
 ぎゅっと抱きしめられながら、涙にかすれた小さな声で、その名を呼んだヴィーゼは、腕をまわしてフェルトの体を抱き返す。しがみつくように上着を掴んだヴィーゼの手の感触が、布越しに伝わってきた。
フェルトはヴィーゼのこめかみ辺りに顔を寄せ、さらに抱きしめる腕に力を込める。
そのとき、ふわりと鼻をくすぐった懐かしい香りに、フェルトは大きく息を吸い込んだ。

懐かしい…エデンの香り。

もう長い間感じていなかった、そしてその中にあるときは意識もしていなかったもの。
タタリアの乾燥した土の匂いでもなく、まるで底のない沼を覗き込んだように深い緑の気配を漂わせた森の匂いでもない。
柔らかい風と、それにそよぐ花と、暖かな日差しと。
激しい変化をも耐えうる熱量を持つがゆえに、厳しさを併せ持つベルクハイデと違い、エデンはどこか優しい匂いを持っているように感じた。





 




錬金術の材料を取るために、フェルトとヴィーゼ、イリスの3人は山に面した林の中にいた。
斜めになった地面を徐々に下りながら、ヴィーゼはきょろきょろと辺りを見回している。

「あ。あそこにもある!」

ヴィーゼの視線の先に、細い針状の葉を見つけたフェルトは、急いで向かおうとする少女を振り返って止めた。

「俺が行くよ。ヴィーゼは危ないからそこにいて」

「大丈夫だよ。フェルトはフェルトで探してて」

「駄目」

言いながらフェルトは、軽い足取りで斜面を降りると葉を折り取り、背後からそろそろとやってきていたヴィーゼに示す。ほんの少しすねたような表情を浮かべていたヴィーゼだったが、予想以上の収穫に嬉しそうに顔をほころばせた、その瞬間だった。
ズルッと草が土の間をすり抜けるような音が足元で響き、ヴィーゼの体が揺れた。

「きゃぁっ!?」

「あぶない!」

よろめいた弾みに倒れそうになったヴィーゼを、持っていた葉を放り出しフェルトが反射的に受け止める。
顔近くに倒れこんできたヴィーゼの髪が、ふわりと一瞬、その頬をかすめた。

(―――!)

その瞬間に感じた甘い香りに、フェルトは一瞬呼吸を止めた。
唐突に、あの時泣きじゃくったヴィーゼを胸に抱き寄せたときの感触がよみがえる。ベルクハイデの、とても強い酒を飲んだときのように、体の奥が一瞬熱くなった。

(なんだ?)

その感覚に戸惑っているフェルトに抱きとめられたヴィーゼが声をかけた。

「ごめん、フェルト。大丈夫?」

ヴィーゼの声に自分の感覚から現実に引き戻されて、フェルトはあわてて抱いていたヴィーゼの体を離す。

「あ。ああ。…ヴィーゼこそ、大丈夫か?」

「うん、ありがとう。フェルト」

「…あ…うん」

間近で見たヴィーゼの笑顔に、フェルトは急に顔が熱くなるのを感じた。

(…どうしたんだ!?俺!?ヴィーゼが近くにいるからって、こんなこと今まで一度も…)

そんな時、林の向こうの方から声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん」

自分たちを呼ぶ声に、ヴィーゼは急いで呼び返す。

「イリスー!ここだよ。待ってて、すぐそこに行くからね」

「うん!」

そして、イリスの方へ向かおうとして、ヴィーゼは後ろにいるフェルトの様子に気づいたらしい。

「……」

「…フェルト?」

ぼうっとした様子でその顔を見つめるフェルトに、ヴィーゼはいぶかしむように声をかける。

「え?」

「どうしたの?イリスのところに行かないと」

「…うん。わかってる」

 そう言いながらヴィーゼの横に下りてきたフェルトは、半ば無意識のうちに彼女へ手を差し出していた。
このような場所ではそれは常であったから、ヴィーゼも素直にその手を重ねようとする。
しかしその手が重ねられた瞬間、ビクッとフェルトの手が震えて、あげられていたそれがいきなり下げられた。
差し伸べる先を失い、ヴィーゼの手が宙にとどまる。

「――っ?!」

「…っ…あ!…」

驚きに目を見開いたヴィーゼの顔を見て、フェルトは自分が何をしたのか初めて気づいたらしい。気まずい空気が、二人を包んだ。

「…やだ、フェルトってば。バランス崩したの?大丈夫?」

「あ…ごめん」

その空気をごまかすように、ヴィーゼが笑顔を作ってフェルトを気遣う。
けれども無理をしている様子はすぐにわかって、フェルトは急いでヴィーゼに謝った。しかしヴィーゼはふるふると首を横に振る。

「ううん。手をつないでたら一緒にコケちゃった時危ないもの。ゆっくり降りるから、大丈夫だよ」

言いながらヴィーゼはその顔を見られまいとするかのように、フェルトの先を歩き出す。そしてイリスと合流して家に帰るまで、フェルトの方を振り返ってはくれなかった。
ただ帰り道で、その傍に寄り添ったイリスが、心配そうに何度か自分を振り返る様子に、フェルトはヴィーゼを傷つけてしまったことを痛感していた。



 



それから数日。自分はどうかしてしまったのではないかと、漠然とした不安がフェルトを襲っていた。
あの日からヴィーゼへの対応は日々ひどくなり、もうまともに顔を見ることもできない。
傍に近寄っただけで妙な気分になるし、顔は熱くなる。
無性にヴィーゼの髪や手に触れたくなるのに、差し出された手を取ることはできない。
そのくせ、彼女が視界から消えると焦燥感が募り、その姿が見える場所にいなければ落ち着かない。
優しいヴィーゼは、そんな自分にも腹を立てず気遣ってくれるのに、フェルトは満足に礼も言えていなかった。
けれどそれも、もう限界だ。自分自身の態度が、フェルトはどうしても許せなかった。

「ヴィーゼ」

「どうしたの?フェルト」

ほんの少し不安げな表情のヴィーゼに、フェルトの胸が締め付けられる。
無意識のうちにヴィーゼに向かって伸ばされた手を、無理やり押さえ込んでフェルトはヴィーゼに向かって告げた。

「俺、しばらく枢機院に泊まるよ。これ以上、ヴィーゼやイリスを不安にさせたくない」

「フェルト…!」

「クロイツ枢機院長には、もう頼んである。少し頭を冷やせば、きっと元に戻るから。…それまで、ごめんな」

「そんな…だって…」

それ以上、ヴィーゼからは言葉が聞こえなくなった。フェルトはわざと目を閉じてその顔を見ないようにした。

きっと、ヴィーゼは泣き出しそうな顔をしているから。
その顔を見れば、常がそうであったように、自分は彼女を慰めようとするだろう。

ただ伸ばしたその手が、本当に慰めるだけで終るのかどうか、フェルトにはもう、その自信がなかった。

 



 

                              
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