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石造りの庭園に立ち夕暮れの空を眺めていた目を、地上に向ける。
山の中腹に寄り添うように立つ枢機院の窓にひとつふたつ、明りが灯り始めた。
その様に、ほんの少し目を細めて。
さらに視線を遠くへ向けると、枢機院のものとはまた別の光に目を留める。
世界が蒼暗い宵の闇に染まっていくなかで対照的な温かい橙色の光。
その明りの元に集う優しい人々を思い、彼女は口元に小さく微笑を浮かべた。
この神殿に住むのは、彼女一人。
それは、自ら選んだことだった。
「ありがとう…」
そして、彼女のために錬金術士が灯した小さな灯りを見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
目を開けて飛び込んできたのは、深い深い青。
宵の色だ。
昼の空から、太陽が沈んで、夜の空に変わりきる間際の。
あの場所から、いつも見つめていた空の色。
ふと浮かんだ風景に、イリスの中にそんな言葉が浮かぶ。
でもどこで見たのかは覚えていなかった。
夢うつつの中イリスがぼんやりとその青を見つめると、うっすらと目を開けた少女に気づいたその「青」の主が声をかけてきた。
「イリス? 目を覚ましたんだな」
自分の名を呼ぶ、聞きなれない声。
少女の大好きな「姉」とは違う、少し低い男のそれ。
優しいその声に、イリスはもっと目を開けようとしたのだが、彼がそれに気づかないまま傍から離れていく気配を感じる。
(まって、まって)
声にならないイリスの言葉は、すでに少女の傍から立ち上がってしまった彼には届かない。
けれども不安げな様子には気づいたのだろう、気遣うように少女を振り返って声をかけると、ちょうど部屋に入ってきたらしい人物を呼ぶ。
「ちょっと待ってろ。−ヴィーゼ、イリスが…」
「イリス!?」
懐かしい声が響いて、ぱたぱたと走ってくる足音が聞こえてくる。
「ヴィーゼ、そんなに慌てたら危ないよ」
「う。うん。でも…」
そんな会話が聞こえて、イリスの傍にふわりとヴィーゼが寄り添った。
「…イリス」
暖かな春の空に似た瞳がイリスを見つめた。
大好きな姉の姿を目にして、イリスの表情がほころぶ。
「…おねえちゃん…」
イリスの口から自然とついて出た声を聞き、不安げな色を浮かべていたヴィーゼの瞳が安堵のそれにかわると、潤んだその目から涙があふれた。
「よかった…よかったよぅ…イリス…」
イリスの手を握り額を押し付けるようにして泣き出してしまったヴィーゼに、イリスが戸惑いながらもう一方の手を差し伸べて慰める。
「おねえちゃん、泣かないで」
ヴィーゼと一緒に過ごしていた家に帰ってきた、…つまり、あの怖い男の人から助けられたとわかった喜びよりも、イリスは目の前の姉の涙のほうが気になる。
姉を慰めようとまだ上手く動かせない体を動かそうとしたイリスを、ヴィーゼの傍に立った少年がそっと止めた。
イリスが見上げると、彼は少女を安心させるように微笑みながら頷く。
「ヴィーゼ、あんまり泣いてるとイリスが心配するよ」
軽く肩に手を添えて促すと、ヴィーゼは顔を上げて彼とイリスを交互に見つめた。
「うん…うんっ…そうだね。ごめんね」
イリスの手を取ったまま、ヴィーゼは笑顔を作り頬に伝う涙をぬぐう。
「でも、目を覚ましてくれてよかった…」
数日間眠り続けてようやく生気の戻ったイリスの笑顔を見つめ、ヴィーゼは目を和ませる。
「おはよう、イリス…」
いつも朝かわしていた挨拶に、イリスの顔がぱっと明るくなる。
「おはよう、おねえちゃん」
そんな二人の少女の様子を、彼は目を細めて見つめていた。
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