のぞむことはたったひとつ

 

 

 

やがてくるその瞬間まで、私は願い続ける

 

 

希求 1

 



ひとりきりの部屋は、寂しい。

二つ並んだベッドの片方に身を横たえたまま、窓の向こうから聞こえる声に耳をすませてもそれはどこか遠く、ぽっかりと開いた穴の中にひとり入り込んでしまった気分になった。

閉じていた瞼を開け、ゆらゆらと揺れる視界に、また熱が上がったのだと、ぼんやりと少女は思う。

もうこの熱にも、随分馴染んだ。

始めの頃はとにかく気持ち悪くて、このまま体がバターのようにどろどろに溶けてしまうようなそんな錯覚を覚えて、医者を呼ぼうとした兄をムリヤリ引き止めてしまったこともあったのに。

今は、兄に…傍に来て欲しくない。

笑顔で、迎えてあげられないから。


私にはそれくらいのことしか出来ないのに。


ふと、扉の向こうが騒がしくなる。
拍車をつけた長靴で階段を駆け上る音。

その面に刻まれているのだろう表情を思い浮かべて、少女の顔が悲しげに曇った。





「リエーテ!」

長めの髪を乱し、青年がひとり扉を開けて飛び込んでくる。
年を経るごとに無口になり、あまり感情を面に出さなくなった兄がそれを露にするのは、妹の倒れたときだった。今も、ベッドに身を横たえた妹よりも苦しげに眉を寄せその傍に歩み寄る。

「おかえりなさい、兄さん」

少しでも兄を安心させようと、リエーテは汗ばんだ顔をほんのわずか変えて笑みらしいものを形作る。
それに気づいたケイオスの表情がわずかに変化した。

「ああ。…薬は?飲んだのか?」

数ヶ月前、ケイオスがこの部屋を一時離れる前に手に入れた薬は、高価だがリエーテの病を和らげることができるものだった。軍務により妹の傍にいることができないケイオスは、そのとき買えるだけの薬を買い、妹の傍に置いていた。

「…うん…」

ためらうように頷いたリエーテの姿に、ケイオスが重ねてたずねる。

「いつだ?」

「……」

答えられないリエーテに、ケイオスは傍らのテーブルの上に置かれたままになっていた薬袋に手を伸ばした。それがすでに空になって久しいことに気づくと、くしゃりと握りつぶしながら立ち上がる。

「すぐにもどる」

リエーテの返事を待たないまま、ケイオスは床に放り出されていた砂埃にまみれた荷物から小ぶりな皮袋を取り出し、足早に部屋を出て行く。
見送りの言葉すらかける間も与えない姿に、リエーテは閉ざされた扉を見つめ、ゆっくりと両手で顔を覆う。

けれど泣くことは、できなかった。






あれだけの金と引き換えに、手に入る薬はわずか。
足元を見ているとしか思えない薬屋に、ケイオスは帰路についても顔をしかめたままだった。
日ごろからあまり感情を面に出さず人との接触を故意に避けているところもあるため、ケイオスの剣呑な気配に、時折すれ違う同じ軍の兵士たちに含めて、人は彼を遠巻きにしている。

薬を懐にしまったケイオスの指に、硬いものが当る。
ぼろぼろになった紙の感触を確かめるように一度触れると手を放した。
今回の戦で手に入れた、錬金術の遺物の一つだった。
この世界で錬金術そのものが忌避されていながら、その術から作り出されたものに対する人々の警戒は、驚くほど薄い。
そのため、遺跡などにはまだこのような『遺物』が残されていることが多く、今回手に入れたものはケイオスの目的のものではなかったが、もしかしたら何かに役立つかもしれないと持ち帰っていたのだ。


仮住まいにしている宿がみえる道の前にたどり着いたケイオスは、その視線の先にある人物の姿に目を眇めた。
帝国の真新しい軍服を着た、若い男。
今回の戦には参加していなかったらしいその男は、ケイオスに気づかず、その宿のリエーテのいる2階の窓を見上げている。
そしてそのままその男が宿の中に入ると、わずかな時間を置いて宿の主人と男の言い合う声が聞こえてきた。

「ですから、わたくしどもの宿にはそのような輩は…」
「いいや、確かに2階に姿が見えた。帝国軍人としてこれを見逃すわけには…」

「何を見逃すと?」

低い平坦な声を聞いて、老齢の宿の主人はほっとしたようにその声の主に顔を向ける。

「ケイオスさん」
「け…ケイオス!?」

見知らぬ男に名を呼び捨てにされ、ケイオスはわずかに唇の端を引き上げた。それだけのことで、途端に冷笑を浮かべた顔に変わる。
どうやって彼の妹を知ったのかは知らないが、あまりにも出来の悪い口実だった。

「…不審者の取り締まりは、憲兵の仕事はずだが」

戦にまだ出たことのない男には、噂に聞く『殺人鬼』の眼差しには耐え切れない。もごもごと何か言い訳めいたことを口にした後、それまで掴んでいた主人の服を突き飛ばすようにして放すと、足音高く出て行った。その姿を無言で見送ったあと、ケイオスは床に座り込んでしまっていた宿の主人に手を貸して立ち上がるのを手伝う。
主人の礼を背中に聞きながら2階に上がろうとしたケイオスを、部屋の奥にいた宿の女将が呼び止めた。
心配するように顔を曇らせ、声を低くしてある事を伝える。

「さっきの、若い軍人さんだけどね。ケイオスさんが出かけて少し経った頃から頻繁に宿の外に来ていたんだよ。…たぶん、リエーテちゃんのことだと思うんだけど…だから、できるだけ傍にいてあげてくれないかい?兄弟でも、男の人がいるのといないとじゃあ、違うから…」

留守の間リエーテの面倒を見てくれることが多い老夫婦に言われケイオスは珍しく素直に頷く。
…ふたりに言われるまでもなく、少なくとも妹が床を離れるまでは、ケイオスは妹の傍についているつもりだった。

けれども数日後。ようやくリエーテの熱が下がりベッドに体を起こすことが出来るようになった日の朝、ケイオスは軍に呼び出されそのまま拘束された。

罪人を閉じ込める独居房に監禁されたケイオスに待っていたのは、数日前までの戦における『上官殺し』の嫌疑だった。



 



 

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