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たとえ千の骸(むくろ)の山を築こうとも、
たとえ万の怨嗟(えんさ)の声にまみれようとも
幾多の血によってあがなわれた、血染めの命をもって目覚めるのだとしても、何のためらいがあるだろう。
妹を取り戻せるならば。
見慣れない服を着た少年が入り口に立っているのを見つけたのは、その詰め所の奥にいた兵士の一人だった。
少年は、熱心に兵士たちの剣の打ち合いの様子を見詰めている。
ザンバラ髪で、目の光が妙に鋭い。
所々擦り切れた服を見れば、この帝都とは別の場所からやってきたということが、すぐにわかった。
「坊主、入隊希望か?」
兵士はからかいをこめて少年に声をかける。
地方から(この場合の地方は帝国本国以外という意味である)来た者は、冷やかし混じりの興味で軍の詰め所を覗いていくことが多い。
だからそう声をかけられると途端に怖気づいて、そそくさと立ち去るのだ。
少年もてっきりその口だろうと兵士は思っていたのだが、予想外に、彼は頷いた。
「おいおい。本気かそりゃ」
呆れたような大声が詰め所内に響く。
兵士の声に何事かと思ったその他の者たちが、打ち合う手を止めて二人に注目した。
「冗談を言うほど暇ではない」
「そりゃあ、ご大層なことで」
少年の尊大な物言いに、兵士は怒るを通り越して呆れたらしい。
数年前に帝都から北にあったある国と戦ったため、確かに兵の数は不足気味である。
しかし目の前の少年はやせ細っていて、とてもではないがモノの役に立つようには見えなかった。
けれども、希望者は希望者である。仕方なく、兵士は入隊条件の一つである模擬試合をするように少年に伝えた。
「勝てばいいんだな」
「おお。こいつらのうち、どいつでもいいから負かしてみな。そうしたら、ちっとは役に立つって認めてやるよ」
「……」
少年は無言で部屋の中央に歩いていく。そこはすでに事情を察した兵士たちによってスペースがあけられていた。
同じ日課を繰り返すことに飽き始めていた者たちにとって、入隊試験というのはちょっとしたイベントだ。
練習の手を止め、皆注目している。
少年の相手は、彼よりも身長で頭3つ分ほど高く、体重では倍以上にみえる、どことなく柔和な表情をした男性だった。
少年は一礼すると、腰にさしていた剣に手をかけた。
「それまでっ!」
五人目の兵士の喉元に剣が突き立てられようとしたとき、あわてて審判役が声を上げた。
その声に少年は手を止め、仰向けになった兵士の上から足をあげる。
それまで異様な沈黙が満ちていた室内に、わっと歓声が上がった。
「坊主、すげえじゃねえか!」
「やるなぁ!」
突然入隊希望でとびこんできた少年の、予想外の強さに興奮した者たちは、口々に少年を賞賛する。
一方で、その少年に負けた者たちには、冷やかしまじりのヤジも飛んでいた。
もともと血の気の多い者が集まっている場所でもある。
本来ならヤジを飛ばされた者も黙っていることはなく、何か言い返すか、手や足が出るということもあるのだが、なぜか青い顔をして、黙り込む者が多い。
「なにやってんだお前、あんなガキに」
先ほど負かされたばかりの男性に向かって同僚が声をかける。
しかし彼は喉元を手で押さえたまま、青い顔をしていた。
「おい」
「…った」
ぼそりと、相手が呟いた言葉を聞き取れず同僚は再び声をかける。
「殺られるかと思った」
「は?んなわけねえだろ。模擬試合だぞ」
勘違いもはなはだしい言葉に呆れて言えば、男ははき捨てるように答える。
「模擬もくそもあるか。あれは本気だったぞ。あと少し声が遅かったら、あいつはそのまま剣を振り下ろしていた」
男が喉元の手を、何かをぬぐうようにして外せば、そこにはうっすらと、赤い筋ができている。
その手を見れば、やはり赤い液体がかすれたように張り付いていた。
おそらく、自分以外の他の4人も、多かれ少なかれ、同様に感じているだろう。
「薄気味悪ぃガキだ」
剣を鞘におさめた少年は、一番最初に彼に声をかけた兵士のもとに近づく。
「これでいいんだろう?」
5人抜きをやりのけた割には非常に冷めた様子で、淡々とした口調である。
「ああ。充分すぎるほどな。…入隊を認める。色々書類をそろえなきゃなんねぇから、明日またここに来い」
頷いた少年は、また無言できびすを返し、詰め所の出口に向かう。
そのとき兵士があることに気づいて、再び少年に声をかけた。
「坊主、名前は?」
「…」
振り返った少年に向かって、兵士は説明する。
「名前がわかんなきゃ、登録できねぇだろう」
どこか親しげに言った兵士の顔をしばらく無言で眺めて、少年は口を開いた。
「…ケイオス」
軍の詰め所を出たケイオスは、早足で表通りを抜けると、寂れた風情の雑貨屋の傍の横道に入った。
帝都の裏通り。
国が数々の国を併合し着実に力をつけていく一方で、国内では貧富の差が広がり始めていた。
華やかで明るい表通りとは異なり、薄暗いそこはよどんだ空気が広がっている。
石造りの道を辿れば、途中には荷馬車の馬が何頭もつながれた小屋がある。
湿った藁と、馬の匂いがケイオスの鼻をくすぐった。
ほんのわずか、ケイオスは顔をしかめる。
帝国本国に向かうとき初めて目にした生き物だが、彼はあまり好きにはなれなかった。妹はこのバカでかい生き物を気に入ったようだったが。
小屋の入り口を遮るように立っていた馬の腹を拳で殴りつけ、場所を空けさせるとケイオスは中に入る。
馬のための敷き藁を積み上げた場所の近くに、小柄な少女が腰をかけていた。
「兄さん」
「遅くなった」
「ううん。おかえりなさい」
細い柔らかな声で彼を呼んだ少女に、ケイオスは袖の中から果物を一つ二つ取り出すと、その手のひらにのせる。一つはかろうじて少女の手のひらにおさまったものの、もうひとつは手のひらからはみだして、少女の膝に転がった。
「今日の夕飯」
どこでこれを手に入れたのか、ケイオスが妹に告げることはない。
たずねられても、答えるつもりはなかった。
この数年、何度か繰り返された言葉のやり取りに、リエーテも兄を困らせるような質問をしなくなっていた。
「ありがとう」
代わりに、精一杯の笑顔で兄に礼を言う。
その顔を見て、ケイオスはリエーテの傍に腰を下ろす。
身じろぎするたびにギシギシといやな音を立てる壁に背を預けて、リエーテが果物に口をつけるのを見ていた。
「残りは、兄さんが食べて」
ほんの少し口をつけただけで、リエーテは果物を食べることを止めてしまう。
もともと食が細いリエーテだったが、一年ほど前に倒れてからそれに拍車がかかっていた。
「それはお前の分だ。お前が持っていろ」
「でも…兄さんも食べないと」
数ヶ月前に、何日も村の外に行っていたケイオスが家に帰ってきた時、その痩せ方にリエーテは泣き出してしまった。
何日も一人でいたことによる不安もあったかもしれない、けれども、それよりも兄が死んでしまうのではないかと思ったからだ。
その後しばらくして、リエーテは兄とともに村を離れ、帝国と呼ばれる国に向かうことになった。
荷運びを手伝うという条件で、帝国に荷を届けるという商隊の荷馬車に乗せてもらっていた間も、兄が何かを口にしている姿を、リエーテはほとんど見たことがなかった。
「食べている」
「…」
今までと変わらない兄の返事に言葉を途切れさせたリエーテに向かって、ケイオスは突き放すように言いつける。
「リエーテ。食べたなら、もう休んでいろ」
「…はい」
リエーテは、自分の病に気づいていた。そして兄がそれを治そうとして色々な場所に行ってその手段を探していることも。
だから、兄にこれ以上の負担をかけたくない。
ケイオスが敷き藁の上に作った寝床に、素直にリエーテは身を横たえる。
「おやすみなさい。兄さん」
「ああ。おやすみ」
…その時だけは、昔と同じ優しい声音になる兄の声に、リエーテはほのかに微笑むと目を閉じた。
リエーテが眠ってしばらくすると、あたりの街灯が落ち、小屋の中は真っ暗になっていた。
火を灯せば明るくはなるが、燃えやすい藁が傍にあることと小屋を借りている手前、それはできない。
気温が下がってきたことを感じたケイオスは、暗闇の中自分の上着を脱ぐと、手探りで傍に眠っているリエーテの体にかけてやる。
ふわふわとした長い髪が指に絡みつき、ケイオスはもう片方の手を添えて、それをそっと外した。
傍に眠る小さな妹の息の音を聞きながら、ケイオスは暗闇の中、じっと正面を睨みつける。
約一年の間、故郷の村を中心とした、錬金術に関連のありそうな場所は探しつくしたと思う。
しかし、そこには彼の求めているものはなかった。
狭い村にいても、これ以上事態がよくなるとは思えなかったケイオスは、思い切って妹を連れ、帝国に足を踏み入れた。
山を越えるという、体の弱っているリエーテにはかなりの負担を強いることになってしまったが、それでも、連れてきて良かったとも思う。
もっと、情報がほしい。
次々と他国に攻め入り、それを領土とする帝国。
ならば、それらの国々の情報も、帝都に集まっていることだろう。
その中に、錬金術に関するものが入っている可能性が高い。
(必ず、見つけ出してみせる)
妹を救うための手段を。霊薬を。
そのために、ケイオスは軍に入るのだ。
しかも、ある程度高い地位にならなければならない。
軍でも下のものには情報はあまり伝えられない。それでは意味がないのだから。
「全ては、明日から…」
【2へ】
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