我が女神よ

 

血染めの命 2

 



ケイオスはできるだけ早く功績を挙げ、情報を掴む必要があった。
しかしそれについては、あまり苦労することがなかった。
なんといっても、帝国は貪欲に他国へ侵攻することをやめなかったのだから。
戦場に出れば、ケイオスは敵味方が恐れるほどに、目覚しい活躍をみせた。
どのようなものが相手であっても容赦なく一瞬のうちに屠る様に、敵はもちろんのこと、味方すらも一種薄ら寒さを感じるほどであった。


しかし、その剣技は確かに帝国の誇れともよばれるようになり、遂には平民でありながら『瞬弟』の名を皇帝から賜ることになったのである。




『瞬弟』の名で呼ばれるようになって数ヵ月後、ケイオスの姿はリーゼヴェルトにあった。
皇帝の代理人としてリーゼヴェルトを統治している執政官のもとにケイオスがつくことになったからである。
皇帝の三弟が内の二人、テオドールの統治以前からリーゼ宮につめていた『剛弟』ガラハド、そして今回派遣された『瞬弟』ケイオス。
その二人を部下に従えて上機嫌になったテオドールの口上と姿にうんざりした後、ケイオスはリーゼ宮を出るために、その長い廊下を歩いていた。

「ケイオス」

声をかけられて振り返ると、今回の派遣で一緒にリーゼヴェルトに向かうことになった剣士がいた。
帝国本国の、軍の詰め所で見かけることの多い男でもあった。

「宿に戻るんだろ?妹さんに持って帰ってやれよ」

何のようだと尋ねる前に、彼は手に持っていたものをケイオスに押し付ける。
ごろごろと幾つも渡されたそれは、柔らかい身が特徴の、水気の多い甘い果物だった。

しかしそれよりも、ケイオスは男の言葉がひっかかった。

「妹?」

「ああ。ときどき詰め所の前に来ていただろ。リエーテって言ってたけど」

「……知っているのか」

呟いたケイオスの表情が険しくなる。

「ちょっと話した程度だけどな。兄さん思いのいい子だな」

「……」

男の言葉を聞いていたケイオスは、手のひらに持った果物を無言で握りつぶした。
残りの果物はその足元に転がり落ちる。

「って、何するんだ!」

突然の行動に非難の声を上げた男を一瞥すると、ケイオスは濡れてしまったグローブから果汁を振り落とした。



「あいつにかまうな」





 


リーゼ宮に程近い宿をとっていたケイオスは途中、薬屋に寄った後、その場所に向かった。

「兄さん。おかえりなさい」

何年たっても変わらない、彼の妹の声がケイオスを迎える。

「リエーテ」

現在、彼女の体調は、小康状態を保っている。
病が治ったわけではない。ただ、薬によってその進行を緩めているだけなのだ。
それでも、以前はその薬にすら手を出すことができなかったのだから事態が悪くなったわけではない。

「手をどうかしたの?」

左のグローブが濡れている。
ベッドに腰掛けたまま、手を伸ばして兄の手を取ろうとしたリエーテを、ケイオスは遮った。

「気にする必要はない。それより、リエーテ」

呼びかけた声音に、ぴくんっとリエーテが反応する。
兄が何か怒っているときの、硬い声だった。

「帝都にいたとき、詰め所の前に来たな」

「…はい」

ひとりになったのが不安で、兄のことが気になって、確かに何度か詰め所の前を訪れていた。
しかし、兄には気づかれていないはずだった。

「あれほど、ひとりで出歩くなと言っておいただろう」

「ごめんなさい…」

高くなりかけた兄の声に、リエーテは声を詰まらせる。

今はまだ、薬があるからいい。けれどもあの時はまだ、何もなかったころだった。
もしあの時倒れてしまっていたら、打つ手段は何もなかったのだ。

リエーテの様子をじっと見詰めていたケイオスは、ふっと息を吐いた。

「…今は出歩いていないんだな?」

確認するケイオスに、リエーテは頷く。

「ならば、いい」

言いながらケイオスはいったんリエーテの傍を離れると、両手のグローブを外した。
テーブルに置いていた二人分の食事を持って戻ると、盆にのった一つをリエーテの前におき、その傍に買ったばかりの薬の袋を乗せる。

「…いただきます」

久しぶりの兄との食事に、嬉しそうな表情を浮かべたリエーテを見た後、ケイオスも自分の皿に手をつけた。



 

 

 

薬は確かに病の進行を遅らせていた。
しかしそれは徐々に効力を失い、遂には消えてしまう。
その頃になってようやく探し当てたゲラーデ山に住むアゾット守を頼り、二人で訪れたが、そこにもケイオスの求めるものはなかった。

そしてその焦りが、何かを狂わせたのかもしれなかった。



具合が悪いまま、ケイオスとともに旅をしていたリエーテがとうとう倒れてしまった。

「リエーテ!」

街道の途中、ぱたりと、まるで糸が切れた人形のように力なく倒れた妹の体を抱え、ケイオスは呼びかける。
しかしリエーテからの返事はなく、その表情に焦燥感を募らせたケイオスはあわてて手のひらを少女の口元にかざした。
同時に、手首を取りその脈を探ろうとする。

しかしそのどちらも、ケイオスが手ごたえを感じることはなかった。

「ぅああああっ!」

妹の名を呼ぼうと思っても、口から出るのは意味を成さない叫びのみ。

助けられなかったことへの、妹への謝罪と、自分自身への嫌悪。
愛しいものを無理やりにもがれた喪失感。
そして、唯一の家族であった最愛の妹へ『病』といういわれなき業を与えた何者かへの憎悪。

様々なものが組み重なり混ざり合い、ケイオスの頭の中を埋め尽くす。


けれども、妹を失って嘆くその時間すら、彼には満足に与えられなかった。絶叫するケイオスの周りを、魔物の気配が囲い込む。
ゆらゆらと体を揺らし、機会をうかがっていた一頭のウォルフリーダーが、ケイオスの背後から飛びかかる。

しかし次の瞬間、ケイオスの剣がウォルフの腹をなぎ払った。
どさりとその体が草むらに落ちる重い音が響く中、片腕に妹の体を抱きかかえ、ケイオスがゆらりと立ち上がる。



声は、止んでいた。



そのかわりに、ぎらぎらと、尋常ではない熱を帯びた目が、周囲の魔物たちを捕らえる。

「…リエーテは、渡さん。何にも、誰にも…たとえ、神であろうと」

魔物の向こうに、何か別のものの姿を思い描いているかのように、ケイオスは宣言するとそれにむかって剣を振り下ろした。


 

 

 

封印の遺跡。

リエーテが目覚めなくなった後、その足でケイオスは遺跡を訪れていた。
ケイオスの服はあちこちに魔物の返り血がこびり付き、一見しただけでは元の布地の色を正確に当てることは難しいだろう。
長旅であったにもかかわらず、その足取りは正確で、熱っぽいその目がいっそう異様に見えていた。
ケイオスが遺跡の奥に足を踏み入れると、一本の剣が刺さった広間があった。
まるでその奥の扉を遮るかのような、赤い石の埋め込まれた剣を無感動に一瞥すると、ケイオスはそのまま剣の脇を通り過ぎる。

今の彼には、剣などどうでもよかった。
大事なものは、彼の腕の中にあるもののみだった。

さらにその奥の扉を開け、中に入る。

もともとは何かの祭壇があったのだろう、封印がかけられる以前のまま、赤いビロード布が掛けられたそこに、ケイオスは腕に抱いていたリエーテの体を横たえた。
やわらかい布で覆われていたリエーテの体は、魔物の返り血を一滴も浴びることなく、意識を失ったときのままでケイオスの前に姿を見せる。

「リエーテ…」

乾燥してひび割れた唇は、上手く動かず、ケイオスの声はかすれたものになる。

それでもその響きには、リエーテが好んだ兄の声音が含まれており、同時にそれとは別のどこか狂気じみたものも感じさせた。

横たえたときに乱れてしまったリエーテの髪を、ケイオスは直そうとする。
しかし伸ばしたその手が、血で真っ黒になっていることに気づくと、のろのろとした動きで両手からグローブを外した。
外したグローブが床におちて転がったことも気に留めず、長い妹の髪を撫で梳いて整えると、ケイオスの顔に笑みが浮かんだ。

「大丈夫だ。すぐに、目覚めさせてやる」

錬金術の遺物を探してわかったことである。
その時は、必要ないと一蹴していたが、それが思わぬところで役に立ちそうだった。
手がかりは少ない。けれど、なにをしてでも見つけ出すつもりだった。

…それがどんなものであっても。

たとえそれを使うことで、何万何千のその他の命が失われるものであっても、リエーテひとりの命に比べれば、そんなものは塵あくたに等しい。


もともと封印の遺跡は、巨大な『時の石版』と呼ばれる石で造られたと伝えられていた。
それは時間をとどめおくことのできる石で、その遺跡であれば、肉体の腐食は免れる。
だからこそケイオスは妹を眠らせておく場所に封印の遺跡を選んだ。

そしてさらにケイオスは荷物の中から一つの瓶を取り出した。
大仰な封印符の貼られたそれは、これまで探し出した錬金術の遺物の一つである。
気負いなく封印符を剥がすと、ケイオスはその中身を口に含んだ。
ほんの少し甘みを感じるそれを口移しで慎重にリエーテの口に含ませる。
『眠ってしまった』ままでは、飲む意味を成さないが肉体に触れていることで十分だった。

「リエーテ…そこで、待っていろ」

口に含んだのは再び目覚めるときまで、今の姿のまま妹の魂をそこに留め置くための秘薬。

 



ケイオスはたとえ一時たりとも、妹を自分以外の何者かに渡すつもりはなかった。


 


 

 



 

                              【終】                   
 

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