カレカノ 彼と彼女とその後の行方

 

 

クライクライ 1

 



 

「父上!父上―!」

ずるっずるっと池のほうに体を引きずられながら、幼いアンナは両手で地面に生えた草を握り締め泣き叫んでいた。
ずっと肌身離さず持っているように言われた刀は、足をつかまれて転んだ時に手放してしまい、いまはもう、とてもアンナの手には届かない場所にある。
慣れ親しんだ街の傍のある林の中でマナと遊んでいた時、突然池の中から伸びてきた腕に足をつかまれた。
「あっ」と思ったときには転んでしまい、そのまま水の中に引き込まれそうになったのを、とっさに生えていた草を掴んで堪えたのだが、足を掴んだ何者かは容赦なくアンナを引っ張り続け、放そうとしない。

「ひうっ」

ばしゃりと、片方の足に水のしぶきがかかった。
その瞬間、悲鳴を上げたアンナは体を震わせると、さらに両手に力を込める。

怖くて振り返ることが出来ない。けれどこのままだと自分がどうなるのかは漠然と分かっていた。

真っ青になった幼い少女の目に新たな涙が浮かぶ。
何度目かに強く足を引っ張られたせいで、草を握っていた手が滑った。
掴みなおそうと伸ばした手もさらに滑り、胸から下が水に沈んだ。
水際の草にしがみつき、振り返ってしまったアンナの目に、水面から目から上だけをのぞかせたそれが映る。
べったりと濡れた髪が張り付いたその顔には、隙間なく緑の鱗が並んでいる。
白目のない黒目だけのそれと、水の中でぼやけて見える嘴(くちばし)のような口。

よく遊んでくれる大人たちに聞いた、昔話にでてくるモノノケの河童そっくりだった。

「…や…いや―――!や―――!ちちうえー!ちちうえー!ちちうえ―――!!」

水の中でべたりと肌に触れるざらざらした鱗の感触。それにパニックになりながら叫ぶアンナの体は、すぐに水の中に引き込まれた。
自分の吐く泡が立ち上る水の中で、アンナはもがきながら必死で手を明るいほうへ伸ばす。

(父上!父上!)

声に出せず、心の中で叫んだ時、不意に底へ引きずり込もうとする力が緩んだ。

「アンナ!」

水の中で聞く独特の高い音と低い音が共鳴した声の後、力強い声と共にアンナの体が引き上げられる。
飲んだ水を吐き出しながら咳き込むアンナが見上げると、そこには何度も名を呼んだ自分の父親の姿があった。





抜き身の刀を一振りし鞘に納めた後アンナの父親…コタケは、娘に大事無いとわかると、助けられた安堵から泣きじゃくり抱きついているアンナを引き離した。
目を見張るアンナの頬をパンッとひとつ張る。

「一人で出歩くなと申し付けていたことをなぜ守らん」
「…申し訳ありません」
「刀はどうした。それも忘れたか」
「いいえ!ただ…転んでしまって…」

うなだれたアンナを見下ろしながらコタケが続けると、幼い娘は勢いよく首を横に振った。
アンナが向けた視線の先に草の上に投げ出された娘の刀を見つけ、取ってくるようにコタケは軽く顎で示した。アンナは急いで刀を手に取って戻ってくると、父親の前に捧げるように抱えた。

「剣に生きようとするものにとって、己が命に等しい剣を手放すな。未熟者が」
「はい。…もう決して手放したりいたしません」
「しかと心得よ」
「はい!」

父親の言葉に答えながら、泣くのを堪えているアンナの傍によりそうマナの姿に、コタケは眉をしかめた。

「また貴様か。マナだ契約だなどと、娘にまとわりつきおって。今回のことも貴様が招いたものではなかろうな」

ぎろっと鋭い眼光で睨まれて、マナは体を縮めるようにしてアンナの影に隠れようとする。

「わわわわわ!アンナ〜」

「違います父上!この子もずっと助けてくれようとしていたんです」

河童への体当たりも、アンナを止めて引っ張りあげようとしたときも、力が足りなかっただけで…。
アンナが必死でマナを庇ったが、コタケの表情は変わらなかった。
言い募る娘を抱き上げ、近づけなくなったマナに対して、いっそう顔をしかめて言い放つ。

「だが、何も出来なかったということだな。消せろ。目障りだ」

「あ…」

その言葉にアンナが振り返ると、少し離れた場所でふわふわと浮かんでいたマナがうつむく姿が目に入り、その姿もすぐに掻き消えてしまった。

 

 







家にたどり着くまでの道には真っ白な石が敷き詰められ、春を過ぎようとする明るい日差しの照り返しで、まるで一足早く夏が訪れたかのようだった。

「あつ…」

いつもは弱音を吐いたりしないアンナだったが、両手に荷物を抱えて街中を歩き回っていたこともあり、立ち止まったところで思わず声がでてしまった。

「うう…修行が足りません。以前ならこれしきのことで弱音を吐いたりしなかったのに」

誰が見ているわけでもないのに、悔しげにうつむいたアンナの顔の横をさらりと長い髪が撫でる。
そのまま汗ばんだ頬にぺたりと張り付いた髪に、わずらわしそうにアンナは身を捩ったが、うまく後ろに流せず、「むぅ」と顔をしかめた。

「はい。アンナ」

一度荷物を降ろして髪をかきあげようかとしたところで、不意に傍に現れたマナが、小さな手を伸ばして頬に触れた髪を後ろへと撫ですいた。
ついでに、額に浮いた汗も拭い取ってくれる。

「ありがとうございます」
「どういたしまして。アンナ、手伝おうか?」

「いいんですか?」

「ちょっとだけならね。ここならあまり人もいないし」

「では、お言葉に甘えて」

ちゃめっけをたっぷり込めたマナの言葉に笑って言うと、アンナは持っている袋のうち一番小さい紙の袋をマナに手渡す。
手伝うというにはあまりにも小さいものだが、マナは嬉しそうに受け取ると、くるくると身を翻す。
ふんわりと起こった風は、マナが起したものかそれとも自然のものかは分からないが、マナの傍にいるアンナの長い髪を巻き上げて通り過ぎていった。
春の風の中に混じり始めた夏の青い風の気配を、目を閉じて受け止めると、アンナはゆっくりと目を開けた。

数年ぶりに感じる気配。

3年間過ごしていたアルレビス学園はその立地条件からか、地上ほどの季節の変化はなかった。
ほどよい気候が1年を通して続き、しかも錬金術の材料には事欠かないという…今から思えば、錬金術を行うものにとってとても恵まれた環境だったと分かる。

「どうかしましたか?」

ふと気づくと、ふわりと宙に浮かんだマナがじっとこちらを見ていて、珍しいその様子にアンナが声をかける。

「えっとね〜、んと、でもぉ恥ずかしいなぁ〜」
「もう、そんなんじゃ何を言いたいのか分かりませんよ。ちゃんと言ってください」

きゃっきゃっと恥ずかしがっているマナに急かすと、「えっとね…」とまるで内緒話のようにふわふわの友人はアンナのほうへ顔を近づける。

「学校の制服もアンナに似合ってて凄くかわいかったけど、今の服も似合ってるね」

「きゃっ」と言って恥ずかしそうに離れたマナの態度に、アンナまで頬を赤くする。

「もう!あなたって子は何を言うんですか!?か、からかわないでください!」

「アンナが言えっていうから言ったのに〜」

「そんなことなら、聞いたりしませんでしたよ」

頬を膨らませて歩き出したアンナを、マナは慌てて追いかける。
ふわりと前に追い越して姿を見せると、くるんと首をかしげて見せた。
だが見た目上では、体ごと斜めになっているように見える。

「だって〜、今日お洒落してるでしょ?アンナ」

図星を指され、アンナはうっと言葉に詰まる。

「それはまあ…外出しているのですから、一応気をつけていますけど…」

「ずうっと前は〜剣道着とか多かったし」

でも真っ白の剣道着に鮮やかな紺袴のアンナは、それはそれで凛々しくてかっこよかった。

ふにゃ、とマナの顔が緩む。もともと緩みっぱなしのような顔だからあまり外からは分からないけれど。

卒業してから制服を着る必要がなくなったため、今のアンナの服装は普段よく着る和服だ。
裾に薄紫の花弁があしらわれた蘇芳色の袴に、白躑躅(ツツジ)の重ねを模した着物。地の色を透かした白の表地には透かし織りの花の模様が浮かんでいる。背中を覆うほど伸びた髪はサイドの髪だけ後ろに束ねて、蘇芳色の組み紐を結わえていた。

「もういいですから。ほら、行きますよ」

剣の腕について言われることはあっても、あまり身なりなどのことで褒められらなれていないアンナは、気恥ずかしさに焦ってそれ以上の言葉を避けると、ぱたぱたと早足で家への道を歩き出す。

「まってよアンナ。似合ってるのはホントだよ〜」
「恥ずかしいからもう言わないでくださいっ!」

耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かって、それを隠そうと、振り返らずにアンナは歩いている。

「わわ!アンナ!待って!」

「聞きません!もうダメですよ…っあ…」

ひきとめようとするマナに言いかけて、目の前の道の奥に人の姿を見つけてアンナは立ち止まった。
マナと話すのに夢中になって、人がいることに気づくのが遅れてしまった。
後ろを見ると焦った様子のマナが「ごめんね、アンナ!」と言いながら持っていた袋を手渡してくる。

「またあとで」
「うん!」

小さな声で頷くと、マナはふわりと姿を消す。

「もしかして、アンナ?」

その姿を見送ったアンナの背中に、声がかけられた。
聞きなれない…けれどどこか懐かしさを感じる声に、アンナが顔を向けると金茶の髪のアンナと同い年くらいの少年がいた。

「ひさしぶり」

気恥ずかしそうに笑ったその顔に、数年前の姿が重なる。
父の道場に通う…幼馴染の少年の姿に、アンナは再会の驚きに目を見開いた後、柔らかく表情をほころばせた。


 



 

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