カレカノ 彼と彼女とその後の行方

 

 

カレカノ CONTRAINDICATION

 



 

目を開けると、視界いっぱいに青い空が広がっていた。
肌寒さを感じながら、額に置かれていた布に手を乗せる。
そこから滴る雫が肌を伝い、気持ち悪さで目が覚めてしまったのだが、案の定たっぷりと水を含んだそれは通常のものよりも少々重い。
彼がこれを置いたということを考えれば、…まあ、いつもどおりといったところか。

水の中で気を失ってしまうまでの出来事を思い出し、思わず渋面になったアンナは額の布を片方の手で取り去って起き上がる。

「ん?ようやく気が付いたか」

身を起しかけたところで、彼女に気づいた隣の人間が声をかけてくる。
思ったよりも声が近いのは、いま二人のいる場所が川の中州…正確には岩の上だからなのだろう。

「助けていただいて、ありがとうございます」

「礼を言うにはおよばん。と言いたいがその割には妙に不満そうだな」

「…溺れる原因になった方に対して言うのに、適切な言葉だろうかと自問自答しているせいです。気にしないでください」

とは言ってもアンナは溺れた本当の原因が、泳いできたグンナルの姿に幼い頃何度も攫われかけた河童の姿を重ねてしまってパニックになったせいだとは、間違っても口にするつもりはなかった。いや、そもそもこの場にいることになったのも、横にいるアトリエ時代の先輩のせいなのだが。

布を手に持ったままアンナは立ち上がり、岩の縁に立つ。
二人のいる岩はアンナの身長よりも少し長い楕円状のもので、勢いの激しい川の両岸は、水嵩を増した状態でもやや高く、泳いで岸に上がるのは難しそうだった。
周りを見回すと、川の両岸に生える木々の合間を縫って川上に見える山の斜面が大きく崩れている様が見える。
少し前までは、アンナとグンナルはあの山の中にいたのだ。

「しかし、惜しいことをした。崩落さえなければいい基地になったものを」

濡れた上着を脱いだ上半身裸の状態で、胡坐をかいたまま唸ったグンナルに、アンナは「はぁ」とおおきくため息をつく。
「この人は…」という言葉は呟きだけで、残りの文句は手の中の布を絞ることであきらめた。
ぼたぼたと面白いほど水が滴り落ちる。妙なところで加減のわかっていないこれには、不本意ながらアンナは何度か世話になっていた。

「大蜘蛛を倒す時、グンナル先輩が周囲を気にせず大技ばかり使ったせいでしょう?あげく巻き込まれて、こちらはいい迷惑です」

「そう言うな。お前も協力していたではないか」

「…私は先輩を止めるために同行したのであって、協力したつもりはないですよ。何度もそう言ってるじゃありませんか」

布を広げ、ぱんっとしわを伸ばす。それを手に傍まで来ると、にやにやと笑うグンナルに気づいてぱっと頬を赤らめた。
何度もそう言ってるということは、何度も…結局は…協力してしまっているということだ。

「世界征服だとか、悪の秘密結社だとか…いい加減、懲りてください」

アンナがそのことについて最初に知ったのはヴェインからで、アトリエ時代の正義の味方(バレていないと思っていたのは本人たちだけだろう)よりは、グンナル先輩らしいと思ってしまったのだが、その後本気で目指していると知り驚いた。
そして何年か前には、その魔手をアンナの家の道場にまで伸ばしてきて、将来有望な剣士を何人も自分のところへ引き抜いていってしまった。それが何度か重なり、おかげで彼の名前は実家では…とくにアンナの父の前では禁句になっている。

「どこに懲りる必要がある。もっといい場所を探せばいいだけのことだ」
「そういうことをいっているんじゃありません。…これ、お返しします。ありがとうございました」
「ん?おお」
「それで、このあとどうするつもりですか?」

大半の荷物が岩盤の間から噴出した地下水で流された上、二人とも濡れねずみになって川の中央に取り残されている。
グンナルはぐるりと両岸を見渡すと、両腕をくんだ。
「アンナも気が付いたことだ、じっとしているのは性に合わんからな。さっさと向こうに渡ってしまおう」
その言葉に、アンナは思わず目を丸くする。

「…は? まさか泳ぐとか言いませんよね?」
「俺様はともかく、アンナには無理だろう。…膨れるな。事実だ」
「分かっています」

無理、と一刀両断されて思わず膨れてしまったアンナに声をかけるとグンナルはごそごそと脇に広げていた上着を探る。

「先輩?なにしてるんですか」
「企業秘密だ。あまり見るな」
「…はい…」

見るな、といわれて困惑気味にアンナは頷くが、何をしているのかは気になった。
それで体を横に向けながら、ちらちらと目で伺っていると、何も細工のないように見えた上着だったのに、わずかな間にそこからロープと錘が現れた。
そこまで見れば、アンナもグンナルがしようとしていることに察しがつく。
対岸までロープを渡し、二人とも渡りきったところで、固定用に岩に刺した剣をロープを引いて回収しているグンナルの背中を見ながら、アンナは今回何度目になるか分からないため息をついた。

基本的にグンナルは誰かを頼るということはない。アトリエ時代にはよくヴェインに掃除などを押し付けることがあったが、それはまた別の部分だ。
それに奔放で、ときどき開けっぴろげなことを言うが、本当は秘密主義だと思う。あえてそうしているところもあるようだが…。
思えば、アトリエ時代の仲間の中でもっとも付き合いが深い相手のはずなのに、いまだに赤い髪で年上の、先輩の本意はわからなかった。





本来ならば、アンナは16歳になったら家業を継ぎ、同時に次期当主として応分の相手を婿に迎える…はずだった。
それが、自ら望んだためとはいえ約2年遅れ、婿にいたってはいまだ取れていない。
相手がいないわけではなかった。父が開いた見合いの席で一度は破談になった幼馴染の相手は、今でもアンナを慕ってくれていると知っている。
それ以外にも道場の内弟子で、周囲のものから縁談を薦めてくることもある。
誰かを選ぶように求められていて、そして誰を選んでも、おそらくは、問題ない。
本当はもっとはやくそうすべきなのに、今でも吹っ切れないままだった。

 


川から少しはなれた場所にあった町の宿で一晩過ごした、翌朝。
肌に残る熱の余韻が抜けないうちに、アンナはベッドから起きだすと、ようやく乾いた服を手早く身につけた。身ごしらえを終えると、服が乾くまでの替えとして購入した安い服も、同じく買い揃えたかばんの中に詰めていく。

「ずいぶん早く出て行くのだな」

アンナが起きた時にはもう目を覚ましていただろうグンナルの声に、アンナはベッドを振り返る。だらしなく寝そべったままのグンナルは、妙に猫科の肉食獣を思わせなくもない。
そう感じる一端が、夜の出来事に関係しているとは分かってはいた。

「おはようございます。もう2ヶ月近く家を離れていますからね。早く帰らないと仕事がたまってしまいます」
「多少たまったところで、アンナの能力ならば苦になると思えんがな」

グンナルの言葉にアンナは苦笑する。

「褒めていただいてると思いたいですが、困るのは私だけじゃありませんから」

アンナの仕事は、自分の家の道場に関することだけではないのだ。今はまだ一部だが、そこを巣立った者たちの『管理』や『統率』することも、必要になってくる。
もともと、今回のグンナルの行動も、その者たちから情報を得てアンナは察知していた。
そのことは、グンナル自身も気づいている。

「ふむ…やはりアンナのところの情報網はそのままにしておくには惜しいな」

呟きに振り返ったアンナと、グンナルの目が合う。
いつもは見上げるだけの金の目が、まっすぐにアンナを見ていた。

「いっそのこと、悪の秘密結社の仲間にならんか?アンナ」
疑問系でも、真意はおそらく別の所にある。

「…そうですね」

視線をそらすことなく、淡々と答えたアンナに、ふと、グンナルが目を丸くする。

「それもいいかもしれません」

そう言った途端、何かを探るようにグンナルの目が一瞬細められたことに気づき、アンナはふっと表情を緩めた。次の瞬間には、そばに置いていた刀を鞘ごと持ってグンナルのほうに突きつける。

「…なんて、言うとでも思いましたか!?バカも休み休みに言ってください!」
「失敬な。バカなど言っておらんぞ」
「言ってますよ。先輩一人のために家の皆を巻き込めるものですか」

荷物を担ぎ刀を腰に帯くと、部屋の入り口に向かう前に、グンナルへ挨拶をする。

「では、失礼します」

「うむ。…おい、アンナ」

そのまま部屋を出かけて、不意にかけられた声に振り返ると、いきなり抱きすくめられた。
声をあげるよりも先に噛み付くように口付けられて、あらがうよりも前に開放された。
まるで、突風のような。
目の前にはにやっと笑った、金の目と、それよりも目立つ赤い髪の男の顔がある。

「また追いかけて来い」

彼にしては珍しい言葉に、アンナは頬を赤く染めた。

「知りません!」

言い放つと、ぱたぱたと足早に宿を出て行く。
それ以上の見送りはせず、グンナルは扉を開けたままくつくつと笑っていた。


 

 

             
 

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