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「つーかまーえた」
眠っているヴェインを起さないようにか、それともいたずらめいたその行動にあわせてだろうか、潜めた声でそう言ったマナは、出窓の傍に座り外を眺めていたサルファを後ろから抱き上げた。
「おい」
「なにしてるの?サルファ」
いきなり抱き上げられて抗議の声を上げるサルファにかまわず、前足の付け根を持って胸元近くに引き寄せるとその顔をのぞきこむ。
サルファをのぞきこんだマナの顔は、部屋の奥のベッドで寝入っている彼の飼い主にそっくりだった。 …いや、ある意味ではこのマナもかつては彼の飼い主だったといえるのだが…。
「なにもしていない。ただ外を覗いていただけだ」
「面白いものでもあった?」
「ない」
「なんだ」
先ほどまでサルファがいた窓辺から身を乗り出して、ガラス越しに窓の外を眺めていたマナは、その言葉にとたんに興味を失ったようにふわんと宙を漂いながら窓から離れた。
それまでずっと抱き上げられたままのサルファは、機嫌が悪そうに尻尾をぱたぱたと激しく振っている。
「放せ」
「んー…ちょっと待ってね」
それに気づいているのかいないのか、マナはサルファに答えると、宙に浮かんだまま器用に足を組んだ。
まるで、目に見えない椅子に座っているような体勢だったが、普通の椅子よりもやや高い位置にあるその『椅子』に座るには、踏み台が必要になるだろう…それくらいの高さだった。
マナは腕に抱いたままだったサルファを膝に乗せると彼の柔らかい毛皮を撫で回しはじめる。
ただしサルファと長い間付き合いのある飼い主のヴェインと違い、その手つきは撫でるというよりも、小さな子供が興味本位でいじりまわすといった様子で、押さえつけられて撫でられているサルファの機嫌はどんどん悪くなっていた。
「やっぱり気持ちいいなぁ」
「おい」
「ふかふかだし」
「おい」
「あ。耳のところは感触が違うんだ。ふかふかじゃなくて、ぷにぷに…」
「〜〜っ!いい加減にしろ、ヴェイン!」
ついに痺れを切らしたサルファは、その喉元を触ろうとしていたマナの手を前足で乱暴にはたいた。
「痛いなぁ…彼には触らせてるのに僕は駄目なの?」
ほとんど痛みを感じてないだろうに、わざとらしく叩かれた手にふうふうと息を吹きかけるマナは、拗ねたようにサルファをにらむ。
「お前とあいつは違うだろう」
そのマナよりさらに険しい目でサルファはそう言うと膝から床に下り、背を向けたまま、せっせと乱れてしまった体の毛を整え始める。
その姿を見つめながら、マナの表情が徐々にほころんでいった。
普段の表情は、もう一人のヴェインとはやはり違うのだが、そのときの笑顔はふたりともよく似ていた。
「サルファ」
「…いい加減にしろといったぞ…俺は…」
しつこく抱き上げられて、サルファの声は不機嫌真っ只中なのだが、マナは意に介していない。
「うれしいな…やっぱりサルファはそう言ってくれるんだ」
いやそうにしかめたサルファの顔にすりすり、と頬ずりをしながら、子供っぽい表情で笑う。
『ヴェイン』と。
再び現れたマナを、彼だけはそう呼んでくれた。
唯一である半身のヴェインと一緒だった頃は気にもならなかったが、こうして、ふたつの存在に分かれてから、気づいた。
サルファは、飼い主にしたヴェインとマナが同じものだとわかってくれていた。
そしてなおかつ、彼とマナとが別のものだともわかってくれてるのだ。
マナである彼にとって、執着する対象は以前と変らない…『ヴェイン』に他ならないのだが、かつてはじめてサルファに出逢ったヴェインが、無意識のうちに彼を契約者に選んだことは、ふたりにとって幸運だったと考えている。
(…だって、ねぇ。僕たちの力を使おうと思えば…何だって出来たんだから…)
他の人間だったらどうなっていたことか。
彼の願いそのものがマナの存在意義であるから、彼が望めばそれを叶えるけれど。
でも…。
「ヴェ〜イ〜ン〜」
「怒らないでよ。嬉しいんだから」
「…俺は嬉しくないぞ」
「僕は嬉しい」
「…」
フゥッと、サルファが喉の奥で唸る。
だが、今度は手を出してはこない。
だらんと投げ出した体から、なかば諦めに似たものも感じられそうだ。
と、マナのなすがままになっていたサルファだが不意に部屋の奥へと顔を向けた。
それと同時に、マナも振り向く。
「…ん…サルファ…ぁ…」
ばさりと衣擦れの音が響いた。
部屋の奥のベッドで寝ていたもう一人のヴェイン…が、寝返りを打ちごぞごそと掛け布をまさぐっている。
先ほどのヴェインを呼んだサルファの声に、無意識のうちに反応しているらしい。
しかし、目当てのものが探し当てられないせいで、表情がしかめっ面になりかけている。
「呼んでるからね」
そのまま目を覚ましてしまわないように、マナはふわりとその傍に近寄り、腕に抱いていたサルファをベッドの上におろした。
ベッドに横になったままのヴェインの手がサルファの体を探し当て、そろりとお腹をなでる。
指先が黒い毛皮の体に触れたとたん、明らかにほっとした表情になったヴェインに呆れながら、サルファは引き寄せられるまま飼い主の腕の中に納まる。
暖かい感触に、そのまま目を閉じようとしていたサルファだったが、すぐ傍で聞こえた声に目を見開いた。
「それじゃあ、僕も」
「ちょっとまて、お前も寝るのか?」
「いいじゃない。仲間はずれにしないで」
言いながらマナはそれまで着ていた服を、寝巻き姿に変えた。
それも、ヴェインと同じものだ。
『服もこれでいいでしょ?』というマナに対して、サルファは思案顔になる。
そもそも、ヴェインはサルファ以外のものと一緒のベッドで寝たことがないのだ。
「俺はかまわんがヴェインがどう言うか…」
「平気だってば。なんなら僕から言っておくから」
ふわんと浮かんだマナの姿に、もうひとつの疑問が浮かぶ。
「…そもそもマナは眠る必要があるのか?」
その言葉はマナにとって気分がよいものでなかったらしい。
返事を待たないで、掛け布をすこしあけて、サルファをはさむようにしてヴェインの傍に滑り込むと、濃い金色の目を覗き込む。
「硬いこといわないの。ふたりだけで仲良くしてたら妬けちゃうよ」
さらりと言った言葉の意味を理解するのに、サルファでも少し時間がかかった。
ため息が出そうになり、サルファはひげを動かすことでごまかした。
「…何か一瞬怖い台詞があった気もするが…まあいい。ヴェインには朝言い訳しておけよ」
「はいはい。じゃあ、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
嬉しそうなマナの声とは対照的な疲れた声で、サルファは答えると目をゆっくりと閉じた。
「ふふ…川の字だ」
サルファはしばらく外から聞こえる小さな虫の声と、すぐ傍で聞こえるヴェインの呼吸を感じていたが、不意にすこし離れたところからの呟きに、がっくりと心の中で肩を落とした。
(…やはりこいつも俺がしつけないと駄目なんだろうか…)
【終】
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