グンアン

 

 

彼女たちのその後(アンナ編)

 



『先輩、いかがおすごしでしょうか?』

 


「アンナ先輩、お疲れ様です」
「お先に失礼しますー」
青い制服を纏った1年生たちが調合釜の前に立つ少女にぺこりと頭を下げた。
振り返った少女の長く青い髪がふわりと揺れる。
「お疲れ様です」
礼儀正しく挨拶をしてアトリエを出て行く後輩に声を返したあと、アンナは調合釜に向き直った。
ネクタルスーパーのレシピにある材料のなかで今回使うのは、ペンタグルと、ポンカンと、薬膳ラディッシュと、リフュールオールそれからエクセリフュール。
今回の調合では効果の継承にはリフュールオールを使い、品質の高いエクセリフュールで追加効果の定着を行うつもりだった。
ペンタグルを乳鉢で砕き、粉末状にしたものを天秤で慎重に量り取る。
薬膳ラディッシュとポンカンはすりおろしてろ過を始めておく。
その間に調合釜に通常の半分ほどのリフュールオールを満たし、「よし」と頷いた。
淡い紅色の液体が温まったところを見計らい、そっとペンタグルの粉を振りいれる。
赤とも紫ともつかないきめの細かい粉はすぐに液体に溶け込んで、アンナはすぐに次の、薬膳ラディッシュのろ過液をその中に加えた。
液体の色がリフュールオールの紅色から、金色に近いうすい黄色に変わる。
その後何も起こらないことを確認して、アンナはふぅ、と一息ついた。
「これで、まずは1段階」
あとは風味づけのポンカンと、定着用の保存液残り半分にエクセリフュールをくわえれば完成だ。
もうずいぶん調合に慣れたけれど、苦手だと思っているものを作る時にはやはり今でも緊張する。
ネクタルなどの回復薬は、以前はフィロやヴェインといった先輩たちが無くなりそうになったところで補充してくれていたから、アンナ自身が作ることは少なかったのだ。
もちろん、まったく作らなかったわけではなくて、教わって何度かは経験がある。
ペンタグルを粉末状にしたり、ラディッシュやポンカンをすりおろしたり…そういった教科書に載っていない方法を教わったのも、先輩たちからだった。
「…先輩…」
もう誰も帰ってしまったひとりきりのアトリエで、ぽつりと呟いた自分のさびしげな声に、アンナははっと我に返る。
「こんなことではいけません!私がしっかりしないと!」
その先輩たちから、アトリエをまかされたのだ。
彼らの期待と信頼に応えなくては。
意気込む勢いのまま、アンナはポンカンのろ過液が入った試験管を掴んだ。




そして、無事に調合を終えて、アンナが女子寮の自分の部屋に戻ってきたのはそれからしばらく経ってからだった。
時刻はもう夜遅くなっているため、食べ損ねた夕食はこの間採取で取ってきた果物にした。
静かに部屋の扉を閉めると、その傍らにふわんとマナが姿を見せる。
同時に部屋のランプがぽっと音を立てて灯った。
「おかえり〜アンナ」
「ただいま」
すこし舌ったらずな口調の、ふんわりとした優しいマナの声にアンナは応える。
マナはいつも姿を消しているだけで彼女の傍を離れているわけではないのだが、部屋に戻った時にはいつもこうして声をかけてくれていた。
ふんわりとした前髪に触れると、マナは嬉しそうに丸い小さな目を細める。
恥ずかしがりの性格のせいで、先輩たちのマナのように誰の前でも話ができるわけではないけれど、その分契約者であるアンナのことをよく見てもいる。
だからお風呂に入ったあとも眠らずに机に向かおうとしたアンナに、心配そうに声をかけた。
「アンナ。もう休んだほうがいいと思うよ〜」
最高学年になり、課題もそれにあわせてかなり高度なものになっている。
くわえてアンナの性格から、それも生半可の出来ではアンナ自身が納得しないのだ。
そのため、時には無理を重ねることもある。
「大丈夫ですよ。そんなに遅くなりませんから」
「そう〜?アンナがそういうなら、しかたないけど…」
ふわふわ宙に浮かびながら、不安げに見つめてくるマナに、アンナは苦笑した。
「心配させてすみません。今日は勉強じゃないから気を使わなくていいですよ」
「勉強じゃないの?」
「先輩に手紙を出そうと思って」
椅子に腰掛け、差し出したアンナの腕の中にマナはふわっと着地する。
まるで絹でできたボアのような、心地よい手触りを感じながら見上げるマナにアンナは笑いかける。
調合の途中ふと思い出して、近状を報告するような内容でもいいから聞いて欲しいと思ったせいかもしれない。
先輩たちが卒業してからも、彼女たちとは何度か手紙のやり取りをしている。
特に彼らの中で現在、住所のはっきりしているフィロが多かった。
「うーんと…赤い髪の人?」
それなのに、なぜかマナにそう問いかけられて、アンナの脳裏に浮かんだのは…。
赤い髪を風になびかせた、ふてぶてしい笑顔と。
『おいかけてこい』と偉そうに言い放った言葉と。
それから…額に触れた熱と。
それらを思い出したとたん、アンナは勢いよく立ち上がった。
「ち!違います!ええ絶対違います!!あんなヒトのことなんか、これっぽっちも考えたりしてません―――!!」
「あ、アンナ、アンナ。おちついてぇ〜」
アンナが立ち上がったとき放り出されて、慌てて宙で体勢を整えたマナがあたふたと短い手を振って真っ赤になった彼女をなだめる。
「えーと、えーと、あ…じゃなくてぇ、ピンクの髪のヒトだよね?ね?アンナ」
急いでマナが言い直すと、それにつられてアンナの興奮が少しだけ収まる。
「…そ、そうです…っ!フィロ先輩です…断じてあの男殺しの留年はた迷惑破壊王じゃあ…っ」
「うん、うん!そのフィロ先輩に手紙を書くんだよね」
またヒートアップしそうなところで、マナは合いの手をいれ、彼女を落ち着かせるようにふわふわと周りを回った。
「……」
「…アンナ?」
その言葉に頷いたあと、はあはあと激しくなっていた呼吸を整え、アンナが沈黙した。
マナの声に、大きく息をつき、がたんと椅子に座りなおす。
「またやってしまった…」
うなだれた彼女に、マナはふんわりとそばに擦り寄る。
「思い込みを治そうと思っているのに…いつまで経っても、治らないんですから…」
その小さな体をきゅっと抱き寄せ、小さく呟く。
「ん〜でもぉ〜。ボクはキライじゃないよ?アンナのそういうとこ」
「ぷっ」
のほほんと、それはもう当たり前のように返されて、アンナは思わずふきだしてしまった。
「ありがとうございます」
「ほんとだよ?アンナ…笑ってるけど…」
抱かれたまま、上目遣いにアンナの顔をのぞきこむ。
「信じますよ。あなたの言うことでしたら」
「えへ…」
すりすりっとアンナの頬に自分のそれを擦り付けて、マナはふわりと宙に戻った。
「お手紙を書くんだよね。じゃあボク、邪魔にならないようにじっとしてるね」
「邪魔になんてなりませんが…お言葉に甘えましょう」
マナを見上げて応えたアンナは便箋を取り出して机に向かう。
その後姿をふわふわと浮かんで見つめながら、マナはくるんと尻尾を振った。
(…アンナが言ってたの、思い込みなんかじゃないと思うんだけどな…)
だからといって具体的にそれがなにか、マナである自分にはわからないけど。
(だって、ボクのときはなんともないのに、あの男のヒトにされてから、ずっと気にしてるんだもん)
『逃げてるわけじゃないですからね!私は必ず先輩を捕まえて掃除に参加させます!』
春前に竜の墓場で捕り逃した後、顔を真っ赤にして池までたどり着き、『消毒だ!』と何度も額を洗っていたのを思い出す。
そのあとマナがアンナの額にキスしようとすると、『そんなことしたら、あのはた迷惑大王と間接キスになります!』と嫌がりもした。…いまはもうなおっている。
(…どうするんだろう…アンナ…。ボクはアンナと一緒にいられるならどこへだっていけるけど)
そんなマナの思いに気づかないでアンナはせっせと筆を進めている。
こっそりとその手元を覗き込むと、淡い藤色の花の透かしの入った便箋に几帳面な文字が並んでいた。



『 フィロメール・アルトゥング様
前略。フィロ先輩、いかがおすごしでしょうか? 早いもので先輩たちが卒業してから…』



                    
 



 

                              【終】                   
 

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