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『親愛なるフィロ
手紙をありがとう。僕は今・・・』
チチ・・・チチチ・・・
外から賑やかな鳥の声が聞こえてくる宿の一室。
二つ並んだベッドの片方に眠っている少年の枕元に、ひょいと座り込んだ黒猫は、その白い足袋をはいたような前足でふにふにと少年の顔を踏んだ。
「ミャ――」
「うう・・・サルファ・・・まって・・・」
「マゥッ!」
「そんなに急かさないでよ・・・今起きるから・・・」
頬を前足で押され眉をしかめながら、ヴェインはずるずるとベッドの掛け布を引きずり身を起こした。
ただでさえネコ毛でふわふわと収まりの悪い髪は、てんで勝手な方向にはね広がり、言葉が悪ければ『鳥の巣』なんて呼ばれかねないようなものになっている。
しかも寝不足なのか目じりがほんのりと赤くなり、おきぬけのぼんやりとした表情と重なり、18歳という年齢にしてはかなり幼い印象になる。
「おはよう・・・サルファ」
「ニャー!」
「うん、ご飯だよね。ちょっと、待ってて。今着替えるから・・・」
ベッド脇にそろえられた靴を履き、自分の荷物から着替えを取り出す。
その間、サルファはベッドから降りて急かすようにヴェインの周りをくるくると回っていた。
普段のサルファには無いせっかちな様子に、ヴェインはすこし不安になる。
「・・・もしかして、僕、すごく寝坊してる?」
「ミ゛!」
サルファの返事は簡潔だ。
「・・・うわ・・・」
傍のベッドが空になっているところから、おおよそは予想していたが、これほどはっきりと返事が返ってくるとは思っていなかった。
「ああ。ヴェイン、やっと起きたのか」
それを証明するかのように、短いノックのあと入ってきた同室の友人は、呆れ交じりの表情でヴェインを見た。
「あ・・・おはよう、ロクシス」
「おはよう」
「えーと・・・ごめん。寝坊して・・・」
恐縮しながら、おずおずと彼の様子をみるヴェインに、ロクシスは口元に人の悪そうな・・・あるいはからかうような笑みを浮かべる。
「昨日はずいぶん遅くまで起きてたみたいだからな。かまわない」
「あー・・・あははは・・・」
夕べ書いていた手紙のことを暗に示されて、ヴェインはうまく答えられず、結局は笑ってごまかすしかなくなる。
卒業してからこちら、ずっと二人と1匹(ロクシスの家までは2匹だった)で旅をしてるためそのあたりはバレてしまっているのだ。
「起きたならちょうどよかった。食事の用意が出来ているから、着替えたら下にくるといい」
「うん、ありがとう。すぐに行くよ」
「サルファ、君はどうする?」
「ミャン」
「・・・わかった。ヴェイン、サルファのためにも早くしたほうがいい」
律儀にサルファにまで確認をして、ロクシスは部屋を出て行く。
その後姿を見送って、ヴェインは傍らのサルファと顔を見合わせた。
「・・・なんだかロクシス、サルファの言葉がわかるようになってない?」
「ニィー」
「そう・・・かな?」
「ミャオン」
「それは・・・、確かに比べられないけど・・・そんなに否定しなくたって・・・」
「ミャアー!」
「わかった!わかったってば!・・・すぐに着替えるから・・・」
『・・・卒業式のあと少し話したけど、今僕とサルファはロクシスと一緒にいる。勝負のこともあるし、一緒に研究できるっていうのも、楽しいし。
学園に行くまで、僕はそれまで暮らした場所を離れたことが無かったから、ロクシスがいてくれるおかげでずいぶん助かってる。
そうそう、ロクシスって料理が上手なんだよ。いままで知らなかったんだけど。…そういえばお菓子の調合の時ずいぶん手際がよかったよね。この間野宿したとき気づいてそう言ったら、なぜか怒られたんだ。・・・僕の言い方が悪かったのかな・・・?』
宿の1階は食堂になっているため、朝の今は宿泊客と食事をするために立ち寄った客とで人が多くなっていた。
うまくロクシスが席を取ってくれていたおかげで、ヴェインとサルファ、そしてロクシスは2人掛けのテーブルでゆっくりと朝食を取ることができた。
「この街はあらかた調べ終わったことだし、そろそろ別の街に移ろうかと思うんだが・・・」
「うん、・・・昨日の人で最後だったね」
フィロの薬を作り出すために、二人は街を移動してはその地の図書館や、錬金術士のもとを訪れ、なにか役に立つ情報は無いか探していた。
「・・・」
ふぅ、と知らず息を吐いたヴェインに、ロクシスがその顔を見つめた。
その視線には気づいたヴェインが、なにかというようにたずねる。
「どうかした?ロクシス」
「いや・・・」
ふと、ロクシスはここが人の中であることに安堵した。
さすがに理由を明かすには、この場所は人の目と耳がありすぎる。
だからごまかしても・・・ヴェインは納得してくれるだろう。
机の下からつややかな目で見つめるサルファは感づいたようだが、猫であるがゆえに話はしない。
彼・・・サルファも気づいていた。自分も、学園を出る前に挨拶に行った師ロルや、そこに隠れていたヴェインの担任であるゼップルも。
ヴェイン自身も気づいているが、・・・どこか彼は自分自身に無頓着なところがあるから、周りの者が心配するほどには深刻に受け止めていないのかもしれない。
「・・・食事はもういいのか?」
「・・・ああ。うん」
「なら、上に戻ろう。次の場所の相談もしたいからな」
「わかった。・・・サルファ」
言いながらヴェインがかがんで、サルファの前におかれていた皿を取ろうとする。
だが皿に指が触れる間際、耳に滑り込んできた言葉にびくっと体を一瞬こわばらせた。
『・・・ねえ、あの子と・・・あの黒猫・・・・・・まさか・・・』
『違うよ・・・あの山は・・・もっと・・・遠い・・・』
「ヴェイン?」
「なんでもない。なんでもないよ」
震えそうになる指を何とか堪えてヴェインは立ち上がる。
こわばった作り笑顔に、ロクシスの眉がしかめられたが、その場では何も言われなかった。
(そうだ・・・まだ遠い。まだ平気だから・・・)
それなのに・・・あの場所に帰ることは自分で決めたことなのに、体が反応してしまう・・・。
ヴェインは心配そうに見上げるサルファとしかめっ面のロクシスを促し、2回の部屋へ戻るため階段に足をかけた。
『・・・あと幾つかの街を通ると、僕が生まれた山奥近くの街に到着します。歓迎されるとは思えないけど・・・。
でも、父さんのことを知った今、もう一度あの場所に帰ってちゃんと考えたいんだ。父さんのことと、僕自身のこと。ああ、そう言っても心配しないでね・・・っていっても難しいかな。ええと、本当はそこには僕とサルファと二人で帰るつもりだったんだけど、ロクシスもついてくるって。
君たちだけで行かせたら、また何を言い出すかわかったものじゃないって。・・信用無いんだから・・・。ここまで書いてふと考えたんだけど、フィロにまでおんなじことを思われたらちょっとショックかもしれない・・・。大丈夫だよ。・・・たぶん』
朝のうちに出発すれば、次の街までは夕暮れ時には着くだろう。
そう話して、ヴェインたちはその日のうちに宿を発つことを決めた。
そしてお昼前の今、ロクシスは郵便屋の前で待ちぼうけをしている。
「ごめん、ロクシス」
すこし経つとその建物の中から、ぱたぱたと待ち人が姿を見せた。
足元には彼を見守るサルファがぴったりと寄り添っている。
「フィロへの手紙は間に合ったのか?」
「うん。なんとか・・・って、言わないでよ」
名指しで言われて、ヴェインの頬がすこし赤くなる。
「にゃおん」
「・・・サルファまで!」
「いつものことだからな。ああも頻繁だと、私も気づかない振りをする限界はあるさ」
「だからって・・・もう・・・いいよ!」
めずらしく怒ったように顔を真っ赤にして、彼らをおいて足早に歩き始めたヴェインの後姿を、ロクシスは口元に浮かんだ笑みをかみ殺しながら追いかける。
ふんわりと彼を急かすように吹いた風にあわせて、足元をサルファが追い越していった。
『・・・次の街に着いたらすぐに手紙を書くよ。あとそれから、くれぐれも無理はしないでね。 ニケにもよろしく。
ヴェイン』
【終】
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