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ベッドに寝転んだまま、うとうとしていたようだった。
「ん…」
窓越しに空にかかる月を見れば、時刻は深夜になろうかといったところで、目を覚ましたフェルトはそのままの体勢でぎゅうっと背伸びをした。
随分前から灯したままになっているランプは、もう油が少なくなっている。
「あれ…ヴィーゼ?」
灯ったままのランプに、まだヴィーゼが眠っていないことに気づいたフェルトは、ベッドから起き上がると、ついたての向こうにあるヴィーゼのベッドを覗いた。
しかし、やはりそこは予想通り空のままで、無言のまま、かりかりと頭をかいたフェルトはランプをベッド脇に置いて階段に向かった。
窓越しに青白い月の光が、フェルトの歩く階段傍の床に影を落としている。
一階の工房内も、通りの窓際に小さなランプが一つ灯ったきりで、薄暗かった。
けれどフェルトの捜していた人物は、その灯ったランプのすぐ傍にいた。
ランプの置かれた大きな木の机に、葉っぱや色々な石、何冊も分厚い本を広げて、開いた一冊の本にうつぶせるように眠っている。
もうすぐ錬金術の試験があるというので、ここ最近はヴィーゼが毎日遅くまで勉強していることを、フェルトは知っていた。
彼が根を詰めるなと忠告しても、ヴィーゼは大丈夫だからと言って結局ふらふらになるまで勉強している。
彼女のその努力が、無駄になっていないことはわかっているつもりだ。
けれど…。
「ムリはするなって、言ってるのにな」
ランプのほの暗い灯りの中で、少し顔色が悪く見えるヴィーゼに、フェルトはため息をつく。
「俺が言っても、聞かないんだから」
そっと、フェルトは手を伸ばして柔らかなヴィーゼの髪に触れる。
ランプの明かりの中で、温かな夕焼け色に染まったそれに指先で触れて、
その後わずかに手を引き、
そして再び、今度は優しく、撫で下ろすように触れる。
さらさらとフェルトの指の間をすり抜けた髪が、ヴィーゼの頬にかかってとまった。
「ん…ぅ」
眠ったままくすぐったそうに、ヴィーゼが体をよじる。
幼さも感じさせるその様子にフェルトは小さく笑って、その頬に触れるようにして顔にかかっていた髪を梳きあげた。
露になったヴィーゼの寝顔に、ふ、とフェルトは息を詰める。
うっすらと開いた唇の間から、すうすうと小さな寝息が聞こえていた。
「…ヴィーゼ」
念のために呼びかけてみるものの、ヴィーゼからはむにゃむにゃと意味を成さない返事が返ってくるだけだ。
それを確認すると、それまでどこかしら妹を見守る兄のような穏やかな色を浮かべていたフェルトの目が、ほんのわずか細められた。
灯りに照らされて深みを増した藍色の目が、幼馴染である少女の顔を捉える。
「……」
フェルトはそっと身をかがめると、その薄紅の唇に自分のそれを重ねた。
ほんの一呼吸分、あるいは胸の鼓動の数拍分。
その間、重ねていた唇をはなす間際まで、フェルトはヴィーゼの吐息を自分の中に閉じ込める。
そして、口付けたときと同様にゆっくりと身を起こしたフェルトは、ヴィーゼが伏せていたその本の文章に目をむけ、笑みを浮かべた。
『人体は源素を吸収し、源素を排出するものである。その一つの例として呼吸が挙げられるだろう。吸気によって源素を吸収し、同時に排気によってすでに持っていた源素を体外に放出する。』
「…近しいものが似る理由として、呼吸によってまったく同じ源素を吸気する、あるいはお互いの持っていた源素を知らないうちに交換し合っているということもあげられるだろう。愛情表現としての接吻も、ともすれば他者を自らの内に取り込みたいとの欲求かもしれない。…か」
ヴィーゼによって隠されてしまっている続きの文章をフェルトは小さな声で続けた。
あまり本を読まないフェルトだが、この本の、この一節だけはなぜか憶えてしまっていた。
信憑性が薄い、とされる学説の一つだが、そのような意味以外で、信じているものは少なくない。
でなければ、なぜ幾多ある口づけの中で、唇へのものがこれほど特別なものに感じるのだろう。
本の上に視線を落としていたフェルトだったが、一度目を伏せて再び開けると、またヴィーゼのほうにまなざしを向ける。
そして、窓際に置かれていたランプを消すと、暗闇の中、フェルトは少女の体を抱き上げた。
瞬間的に暗闇になっても、すぐに目は闇に順応し、窓からの月明かりが室内の輪郭をぼんやりと浮き立たせる。
そのまま、降りてきたときと同様に、フェルトは2階に上がり、ヴィーゼをベッドに横たえる。
一度は目を覚ますかもと慎重に運んでいたフェルトだったが、熟睡しているヴィーゼに気づくと声を出さないまま小さく笑った。
しばらくその寝顔を見つめたあと、そっと、眠っている少女の髪を整えて、今度は唇ではなく額に口付けを落とすと、フェルトは体を起こした。
「おやすみ。ヴィーゼ」
【終】
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