昔語り

 

 

昔語り 最初の約束

 



姿を現したのは気まぐれだった。
ゆっくりと眠っていた自分を起こすその声が、なんとなく気になったのだ。

「ねえ」

木の傍に腰掛け、腕に抱いた赤ん坊を優しく揺する女性に、ドゥルは声をかけた。
突然姿を見せ、声をかけたにもかかわらず、女性はゆっくりと顔を上げるとドゥルのほうを見る。

「…」
「…ねぇ、赤ちゃん見てもいい?」

こくりと頷く様に、ドゥルは嬉しそうに彼女の腕に抱かれた赤ん坊に近づく。
薄いバラ色のおくるみに包まれて眠る赤ん坊はとても可愛くて、ドゥルはなんだか胸の奥がわくわくしてくるのを感じた。こんな感覚は、久しぶりだった。

「この子の名前は?男の子?女の子?」

勢い込んでたずねたドゥルに、一瞬女性は戸惑ったような表情を浮かべた。しかし目をきらきらさせて待っている様子に、ほんの少し表情をほころばせるとその名前を口にする。

「この子は、ヴィーゼ、というの」


 






 木のマナが身寄りの無い赤ん坊を枢機院に連れてきたという話を聞いたあと、クロイツはそのドゥルがいるという部屋を訪れていた。
部屋のソファに深々と座り、背もたれの感触を楽しんでいる風情のドゥルに、クロイツは旧知の友人にあった笑顔を浮かべる。

「あなたがこちらにくるとは、珍しいですね」

「やあクロイツ。久しぶり」

ドゥルが、ひらひらと小さな手のひらを動かす様に、クロイツは苦笑する。

「お久しぶりです。それに…あの子を見つけたのがあなたというのも、少し驚きました」

このドゥルはもう随分長い間、人間の前に姿を現していなかった。人間嫌いではないのだが、ある理由があってそうしていると、クロイツは知っている。幼い頃に、ドゥル自身から聞いたのだ。

「たまには気まぐれをおこしてもいいでしょう?」
「ええ。おかげで助かりました」

ついさっき、ドゥルの話を聞いて枢機院員を派遣した村から、両親の亡骸を見つけたと連絡があった。何日かたてば、あるいは森近くを歩くものがいたら、赤ん坊は発見されたかもしれないが、それでは両親同様手遅れになっていたかもしれないのだ。

「ヴィーゼは?」

「奥の部屋に。今はミルクを飲んで眠っています」
「よかったぁ」

ほっと胸を撫で下ろしてドゥルが笑顔を浮かべた。

「お腹が空いてるっていうのはわかってたんだけど、人間の赤ちゃんの食べ物って良くわかんなくてさ。クロイツのところにつれてきてよかったよ」

「何も用意の無い状態で、突然連れてこられたら大変だったかもしれませんが、運良くというか…今、もう一人赤ん坊を預かっているので、必要なものはあらかた揃っていたんです」

「ふぅん。…クロイツの子供?」
「ちがいます」

即答したクロイツにドゥルは眉をしかめてみせる。

「…いい加減さぁ、そろそろ結婚しないの?ボク、かえるまでにクロイツの子供は絶対見るって決めてるのに、こんなんじゃ何時までたったってムリじゃないか」
「ならばずっと、かえらなくてもいいんじゃありませんか?」

「そんなの無理だってわかってるくせに」

ドゥルはその一瞬、クロイツの目が悲しそうに曇ったのを見た。ふう、とため息のように息を吐く。

「まあいいや。ボク、ヴィーゼにあってくるよ。奥の部屋だよね」
「はい。案内しましょうか」
「平気平気。ヴィーゼがいる所ならわかるもん」

案内しようとするクロイツを制して、ドゥルは扉を開ける。
クロイツを部屋に残して部屋を出る間際、ドゥルは背後の部屋にいる彼を振り返った。

「ありがとう。クロイツ」



ヴィーゼが眠っている部屋に入ったドゥルは、その傍に闇のマナのルテネスがいることに気づいた。ルテネスもドゥルの姿を見つけて驚いたあと、柔らかな微笑を浮かべる。

「ドゥル、お久しぶりです」
「ルテネスも、元気そうで何より。でもクロイツにこき使われてるみたいだね」
「クロイツ様はそんなことはなさいませんわ。私がお願いしましたの」

冗談のつもりで言ったのにまじめに返してきたルテネスを見て、ドゥルはくすくすと笑う。

「ふたりとも、全然変わってないんだなぁ」
「…あなたもですよ」

からかわれたと気づいたルテネスが頬をうっすらと染め、ドゥルを睨む。
ドゥルはそ知らぬ顔でルテネスの傍を通ると、傍にある小さな子供用のベッドを覗きこんだ。

「ヴィーゼ」

同じ年と思しきもう一人の赤ん坊と、彼の連れてきた赤ん坊が並んですやすやと眠っている。小さな握りこぶしをちょんちょんと指でつついて、ドゥルはにこぉっと嬉しそうに笑った。
その呼びかけを聞いたルテネスが目を丸くしてたずねてくる。

「その子は『ヴィーゼ』という名なのですか?」

「うん。かわいいでしょ?」

「ええ、とても。…でもよかったわ。これでミルクのときにちゃんと名前を呼んであげられます」

二人にミルクを飲ませたときにも、ヴィーゼが泣き出すのにつられて傍にいたフェルトまで泣き出してしまった。
フェルトは何度か名前を呼んであやすことで何とか泣き止んでくれたものの、ヴィーゼはなんと呼べばいいかわからず、なかなか泣き止ませることができなかったのだ。
ルテネスの言葉に、ドゥルはヴィーゼの手を触りながらにこにこと笑っていた。



「ねぇ、ヴィーゼ」

ヴィーゼの眠るベッドの端に頬杖をつき、ドゥルはその寝顔を見つめる。
あのあとしばらくして、ルテネスは用があるといって、ドゥルに二人の様子を見ていてくれと頼むと、部屋を出て行ってしまった。
今は二人の赤ん坊とドゥル以外部屋にはいない。

「早く大きくなって、そして一緒にいっぱい遊ぼう」

ドゥルの小さな指を、それよりも小さなヴィーゼの手が握っている。
時々きゅっと力を込めて指を握る手の感触にドゥルの顔がほころんだ。
最初にあったあの日も、こうしてドゥルの手を握ってくれたのだ。
「一緒に遊ぼう」といったドゥルの言葉に、まるで約束をするかのように。
本当は、もう人間の前に姿を見せるつもりは無かった。
なのに自分はこうして人の形を取り、ヴィーゼの前にいる。

「約束だよ」

そういった途端、ヴィーゼの横に寝ていたフェルトがぐずりだし、ドゥルはあわててフェルトの方にも手を伸ばした。

「ああ、はいはい。フェルト、だっけ?君はおまけだけど、ヴィーゼと仲良くするならまぜてあげてもいいよ」

ヴィーゼに比べて少し乱暴にゆらゆらとフェルトの手をドゥルが揺らしてやると、フェルトは途端に機嫌を直したようだった。
しばらくしてルテネスが部屋に戻ったのを確認した後、ドゥルはふわりと宙に浮かぶと彼女に挨拶をして、再びベッドの方に近づいた。宙に浮いたまま、軽く体を倒して、ちゅっとヴィーゼの額に口付ける。

「じゃあまたね、ウィーゼ」

そうドゥルが言ったとき、ヴィーゼの顔がほんの少しほころんだようだった。




 




 

                              【終】                   

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