古の翼のなごりのように

 

 

その背にそうもの

つばさ

 





 

それに気づいたのはノインだった。

「あれヴィーゼ。そこ、どうしたの?」

湯殿をフィー、ノイン、ヴィーゼの3人で使っていたとき、ふと目に入ったヴィーゼの背中にうっすらと浮かぶ赤いあざを見つけてノインが声をかけた。

「え?」

背中越しに振り返り、その指が自分の背中を指していることに気づくと、ヴィーゼはほんの少し慌てたように湯にばしゃんと浸かる。

「ヴィーゼ?」
「もしかして、今日の戦闘で…」

ノインの言葉に、少し離れた場所にいたフィーもヴィーゼの傍に近寄って声をかける。
いきなりふたりから心配されて、ヴィーゼはふるふると首を横に振った。

「ううん、違うの」

ぱしゃりと、水をはねて背中に手を沿わせる。
うっすらと残るその痕は、よく見なければ気づかないほど薄い。

「小さい頃怪我をしたことがあって…」

そのときのものなの。

そう言ったヴィーゼの様子に、ノインとフィーは顔を見合わせる。
肩甲骨に添って、2筋の小さな傷痕。
背中の傷一つない肌に、唯一そわせているもの。
リフュールポットなど、彼女の住むエデンにはおおよその治療薬は揃っているかに思えたのだが、それをつかってもなお残る傷というものが、彼女の怪我の大きさをほのかに伝えていた。
それを、彼女が気にしていることも。


 

++++

 

 夜明け間近のうっすらとした光を敏感に感じて、ヴィーゼは目を開けた。

その傍らに自分以外の体温を感じて、そっと身をよじる。
ぼんやりとした光の中で、銀色の髪が目に入ってきた。
ヴィーゼの体を半ば抱えるようにして眠る、フェルトの少し子供っぽい寝顔に、声に出さないように小さく笑う。
ほんの少し、甘えるように頭の後ろに回された腕に額をすり寄せて、ヴィーゼはそろりと、フェルトの腕から抜け出す。

 誰も見ていないとわかっているけれど、何も身につけないままベッドを抜け出すのはためらわれて、掛け布の端を胸元に引き寄せながら、傍らの椅子にかけられた服に手を伸ばした。
体を動かすとキシリとベッドが小さく鳴って、その度にヴィーゼはフェルトを振り返る。
そして目を閉じたままの姿を確認して、再び服に手を伸ばす。

ようやく昨夜着ていた…といってもイリスが寝入ってしまうまでだが…夜着を手に取り振り返ったとき、先ほどまで確かに眠っていたはずのフェルトが、目を開けてヴィーゼを見つめていた。

「フェルト、起きてたの?」
「うん」

その言葉に、ヴィーゼは頬を赤くする。

「起きたなら、一言くらい声をかけてよ」
「ああ、悪い…」

「もう、相変わらずなんだから」

じっと見つめられることに照れて背を向けたヴィーゼに、フェルトは黙って体を起こすと、振り向かないヴィーゼの背中に唇を寄せた。

「…っ!…ぁ…」

温かい息と、触れる唇。

それに素肌を撫でる銀色の髪の感触に逃れようとしたヴィーゼの体を、フェルトは抱きこむように彼女の腹にまわした腕で引き止める。
ぎゅっと掴んだ服を胸元に抱き寄せながら、ヴィーゼは声を堪えるように目をわずかに伏せる。

フェルトの唇が、あの場所に触れたとき、ヴィーゼは夜着を抱き寄せた腕に力を込めた。

昨夜、ヴィーゼは気がついた。
求められて夜を共に過ごすとき、彼は必ずその場所に口付ける。

そこは、ヴィーゼにとって特別な場所だった。

そして、…おそらくは彼にとっても。

『僕がついていなかったからだって言ってね…』

フェルトと離れていた間に知った、過去の出来事。

そういえば、あの後からフェルトはそれまでよりずっとヴィーゼの傍についていることが多くなっていた。

フェルトのせいじゃないのに。

繰り返し触れる唇は、まるで赦しを請うようで。
そのたびにヴィーゼは切なくなる。

「…フェルトのせいじゃないよ」

ぽつりと呟いた言葉に、背後のフェルトが息を呑むのを、ヴィーゼは感じた。


胸元を片手で隠し、ゆっくりと振り返る。
先ほどよりも幾分明るくなった部屋の中で、フェルトがヴィーゼを見つめていた。

「フェルトのせいじゃない」

もう一度ヴィーゼが呟くと、フェルトが大きく目を見開いた。
数秒ヴィーゼの顔を見つめて、そして目をわずかに細める。

「…知らないと思ってた」

隠し事がばれてしまった子供のような表情を一瞬浮かべ、小さく息を吐きながら言葉を紡ぐ。

知らなかったよ…たぶん。もしかしたら、知っていたのかもしれないけど、随分長い間忘れていた。でも教えてもらったから」

微笑んで見上げたヴィーゼにフェルトは表情を曇らせている。

「…確かに、前は気になってたよ。小さくても、見えちゃうことあるから。時々あの時のこと思い出したりして。でもね、イリスの病気を治したいって思ったときに…」

ふと、ヴィーゼの声が途切れる。
そして、その手が自らの背に添えられた。

「水晶の碑の先に行くって、決めたときにね。フェルトの名前を呼んだの。そうしたら嘘みたいに体が軽くなって、まるで羽が生えたみたいって思ったんだよ。まるで…」

その背の傷が、翼の形を模しているように。

「…だからもう大丈夫なんだよ」

ゆっくりと、ヴィーゼが告げると、フェルトの表情がほんの少しだけゆるんだ。すぐには納得できないにしろ、ヴィーゼの言葉を受け入れることは出来ている。

フェルトは向き合うヴィーゼの額と自らのそれを触れ合わせて目を閉じる。

「わかった?」
「…ああ」

囁く言葉に頷きを返す。




しばらく額を触れ合わせて、黙っていたのだがもじもじとヴィーゼが身じろぎをする気配をフェルトは感じた。

「それでね、フェルト」
「うん?」

「遅くなっちゃったけど、…おはよう」

唐突な言葉に、思わず吹き出す。

「…フェルト…なんで笑うの?」

ヴィーゼもこの言葉が唐突であるとの自覚はあるらしく、微妙に照れの入った口調で拗ねる。

「ごめん…おはよう、ヴィーゼ」

そうこたえて、フェルトはヴィーゼの背中で両手を組むと、ほんの少しふくれっつらの顔に軽く唇を押し付けた。




 


 

                                                      【終】

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