祝杯を掲げよ。…己が生きぬいたことに。 祈りを捧げよ。…己の傍で散った、命のために。

 

宵の空に掲ぐ酒





 

圧政を布き続けたテオドールを捕らえ、リーゼヴェルトを帝国軍の手から解放することに成功したという話は、瞬く間に街中に広がった。



そしてその夜には多くの人々の手によって、リーゼ宮で一番広い広間に祝宴の準備が整えられ、戦いに参加し生き残った者たちがまだ体に残る戦いの緊張と熱気を、祝杯を掲げる声にのせていた。




明々と灯のともる広間から遠く離れて、グレイは一人その様子を眺めていた。その傍らには小ぶりな酒樽がいくつか置かれている。
小さいとはいえ、樽である。
そのひとつで充分、数十人分のグラスを満たすことができるだろう。

その一つの樽を軽々と持つと、グレイは口に直接、樽の口をあてがい傾ける。
大きくのどを鳴らして中身を嚥下すると、もう随分軽くなってしまったそれを再び足元に置いた。

その視線の先に、使われなかったグラスが一つ置かれている。

もちろん、それはグレイ自身のものではない。

ある者のために気をきかせてやったつもりだったが、結局無用になってしまったものだ。

そのグラスを見つめながら、グレイは「くっくっくっ」と、こみ上げてきた笑いを噛み殺す。

昔は二人でそれこそ浴びるほどに酒を飲んで、先に酔いつぶれるのはどちらだとか、酔った酔わないで、たわいない騒ぎを起こしていたが、…なかなか、どうして。「気遣いは無用」の一言で、己と同様、樽に直接口をつけて大きくそれを傾けてみせた姿は、おかしさを感じるほど変わっていなかった。

そのグレイと、先ほどまでともに酒を酌み交わしていた男は、今は、長く離れていた娘と話を交わしているはずだった。

敵軍の将である。そのため祝賀の席に呼ぶわけにもいかず、こうしてグレイは人気のない場所でともに飲んでいたのだが、父娘の、見ていて歯がゆくなる関係にその背中を叩いて彼を娘の前に向かわせたのだ。


何を悩んだのだとしても。
生きているなら、どうにでもなる。


それまで浮かべていた笑みを収めたグレイは、明るい光のこぼれる広間に視線を向け、ついで空を仰いだ。

月のない空に大きく5つ星が並んで、見える。

特徴的なその形は、幼い頃その名を剣に見立てて呼ぶと聞いたことをグレイに思い出させた。

『立ちふさがるもの』という意味もつそれに、古い知り合いの姿が重なる。


「お前さんの悲願だったんだろうに」


今はいない、友への言葉がグレイの口をついて出た。


彼の故郷は再び自由を取り戻した。
そして、彼の妹も、生きてかつての『家』へと帰ることができた。
それなのに、そこに彼だけがいない。


最初に会ったのは、彼がまだ14歳の、幼さを残す少年の頃。

マクシミリアンという長ったらしい名前の彼を『マックス』と呼んだのも、思えばグレイが最初だった。

帝国の手を逃れるための手引きを手伝う、短い期間をともに行動しただけで、別れた後は、数年に一度、姿を見かけるかどうかといったところだった。

そのせいだろうか。
今はシルムシルトのリーダーとして立ち回る姿よりも、王宮に翻っていたスレイフの旗が帝国の旗に変えられるさまを、唇を噛み締めながら睨んでいた少年の頃の姿をよく思い出す。 

『妹を捜したい』


それまで彼に付き従っていたものたちの前では明かさなかったその言葉を、グレイに向かって告げた友。

面差しはまったく異なるのに、その後出会った彼の妹は、兄によく似た眼差しをもっていた。




グレイは傍にあった酒樽をひとつ掴む。

そしてただ黙って、空にのぼる5つの星にそれを掲げた。



 

 
            

                

                                              【 終】                   
 

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