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枢機院での仕事を終えた帰り道。
手元の小さな紙を覗き込みながら、フェルトはてくてくとノイアールの街に続く坂道を下っていく。
「えっと、ヴィーゼから頼まれたのは、…卵とニンジン。…特売だったらタマネギ5玉」
昼過ぎ、シェアドリングを介してヴィーゼから送られてきたその紙には、『お願い!』の文字とともに食材の名が記されている。
そういえば今朝のオムレツで卵が最後って言ってたなぁ、とか。
またヤッケやメローネから面倒な依頼受けてたなぁ、とか。
フェルトがそんなことをつらつらと考えながら、紙面の文字に見入っていると、後ろの方から小さな足音が近づいてきた。
「おにいちゃん!」
その声にフェルトが振り返ると、白い鞄を提げたイリスが息を弾ませて立っていた。
「イリス!お帰り。…今終ったのか?」
「うん。窓から、おにいちゃんが、見えたから、急いできたの」
はふはふと息を整えながら話すイリスに、フェルトはしばらく立ち止まる。
イリスの息が落ち着いたのを確認してから、二人連れ立って歩き出した。
「今日は何を習ったんだ?」
「んと、…『源素還元について注意すること』」
「へぇ、もうそんなところまで教わってるのか」
「でもね。今日はお話を聞いただけで、本当に練習するのは来週からだって」
夕食時など、その日あった出来事をイリスから聞くことは多い。
それでも予想以上の修学の早さに、目を丸くしたフェルトにむかって、イリスが付け加える。
「そうだな。早く習得したらその分、術に慣れることができるだろうけど、…できればいいってモノじゃないから」
「おねえちゃんはどれくらいでできるようになったの?」
「ヴィーゼ? ヴィーゼは…2週間…15日くらい、か」
「ふぅん。…イリスもできるかな」
「もちろん。もしかしたらヴィーゼより早く出来るようになるかもな」
ぽふんと頭を撫でられて、イリスは目を細める。
しばらく歩くと、ノイアールの街の入り口に差し掛かる。
『北通り』と書かれた看板の下まで来るとフェルトが立ち止まりイリスを振り返った。
「ヴィーゼから買い物を頼まれてるから、俺は少し店によって帰るけど、イリスはどうする?このまま先に帰るか?」
「ううん。イリスも行く。…ついて行っちゃダメ?」
フェルトの言葉に反射的に答えた後、おずおずとうかがうように付け加える。
フェルトに対して人見知りしていた頃はよくあったが、最近は無くなっていたそれにフェルトは小さく笑みを浮かべると、イリスに向かって片手を差し出した。応えて出された小さな手を握り、その歩調に合わせてゆっくりと歩く。
「ダメなわけないだろ。じゃあ、行くか。最初は…卵だから」
「卵屋さん」
「…だな」
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卵屋は北通りの端、マルメルの森に抜ける道の傍にある。
鶏の鳴く声がするから、店の名前を知らなくてもすぐにわかるのだ。
扉のない石造りの家に入ると、平台の上にたくさんの卵が載せられていた。
「こんにちは、おばさん」
フェルトが声をかけると、家の奥からひとりの女性がでてきた。フェルトの姿を見ると、大げさに驚いてみせる。
「こんにちは。久しぶりだねフェルト。イリスちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
卵屋は顔なじみの店なのでイリスも人見知りせず挨拶できる。言い訳っぽいけど、とフェルトは決まり悪そうに髪をかいた。
「ここしばらくは買い物とか、ヴィーゼにまかせっきりだったから」
その言葉に卵屋の女主人はうんうんと頷く。
「だろうねぇ。街歩いてても、見かけなかったもの。忙しいのかい」
「まあね。でも今日は早く終ったから。ヴィーゼに頼まれたものを買いに来たんだ」
「ああ、そうだったね。じゃあいいのをみつくろっておくれ」
いつものように小さな竹籠を手渡されて、フェルトはずらりと並んだ卵から適当に選ぼうとした。
「おにいちゃん、すとっぷ」
しかし、フェルトが一つの卵を取ろうとした瞬間、イリスが手を伸ばして引き止めた。
「イリス?」
「そっちじゃなくて、こっちだよ」
イリスの指差した先を見ると、フェルトが取ろうとした卵と同じものが並んでいる。
当然だ。同じ鳥から取れる卵なのだから。
「えーと。…どう違うんだ?」
そっちとこっち。卵に区別がつくのかといった疑問がフェルトの頭に浮かんだが、真剣な表情で「これと、あれとそれと…」と卵を選んでいくイリスの気迫に押されて、妹の言うがまま、卵を籠の中に入れていく。
いつもヴィーゼが買うだけの卵を籠に入れると、フェルトはそれを店の女主人に手渡した。
それまでのイリスとフェルトのやり取りを見ていたその主人は、にこにこと笑っている。
「どうかした?おばさん」
「いや、イリスちゃんはいつもながら鋭いねぇ。一番新しいのだけ選んで買っていくんだから」
「え?…そうなんですか?」
新しい古いに気づかないフェルトは、そう言われて首をかしげる。
そういえば、ヴィーゼも同じ卵をじーっと見つめていたときがあったっけ、とフェルトが思っていると、その女性はけらけらと笑い出した。
「そうだよ。…そこらへんはフェルトもイリスちゃんから教わった方がいいかもね。もともとヴィーゼはけっこうな目利きだし」
二人の話を聞いていたイリスも、フェルトを見上げて小首を傾げて見せた。
「おにいちゃん、知りたい?」
「あ、ああ…後でね」
「うん」
気乗りしない様子のフェルトに気づいているのかいないのか、イリスは大きく頷いた。
ワラ籠に入れられた卵を片手に持ち、もう一方の手でイリスと手をつなぐ。
なぜか嬉しそうなイリスは、ご機嫌で先ほどから『卵のうた』を口ずさんでいた。
「たまごまごまご、まーごまご♪」
「まーごまご♪」
イリスの声につられて一緒に呟いてしまったフェルトは、はっと顔を赤らめると顔を横に振った。
「えっと、後はニンジンだったよな」
「うん!」
「八百屋八百屋…っと。…今度は、新しいニンジン、古いニンジンって、無いよな?イリス」
「ううん。ちゃんと見なきゃダメだよおにいちゃん!」
「あるのか…」
「おねえちゃんに教えてもらったの。おにいちゃんにも教えてあげるね」
「…ありがとう、イリス」
イリスの指導の下、ヴィーゼの注文どおり卵とニンジンを買った(タマネギの特売は翌日だった)フェルトとイリスは15分後、我が家の前へとたどり着いていた。
ちらりと扉の横の窓をのぞくと、忙しく立ち回る彼女の姿がある。
二人はちらりとお互いの顔を見合って、そして扉を開けて中に入った。
「ただいま、ヴィーゼ」
「おねえちゃん、ただいま!」
その声に、調合鍋にかかりきりになっていたヴィーゼが顔を上げる。
「おかえり、イリス、フェルト」
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