昔日2

 

 

昔日 2

 

 

幼い頃にもつという夢が、どんなものかはわからない。

そんなことを考えるよりも、することは他にあったし、他に考えることもあった。
誰かに尋ねられて「ミストルースになる」と答えた時も、特になりたかったからではなく、それが独り立ちする最短の方法だと思ったからだった。…強いていうならば、亡くなるまで父がそれにこだわった理由を知りたい気持ちがあったのかもしれない。
 



夕暮れ時の村を、少年が歩いて行く。
乾燥した地域のため、道行く人々の多くが目深に埃よけのケープをかぶっているのだが、その少年は気にする様子ものなく、首に巻いた布の端で口元だけ覆っていた。
黄色っぽいその地方独特の土の色は、夕日に照らされて少年の髪の色のように赤く染まっていた。
そんな毎日見ている風景の中に不意に飛び込んできた違和感は、だから、すぐに察知することが出来た。
自らが帰ろうとする家。他の家と同じく、土をこねた壁の家…その前に立つ見知らぬ男の姿に、少年はぴたりと歩みを止めた。
麻の布を巻いた手をぎゅっと握り締める。
仕事の報酬でもらったウサギの後ろ足を結んだ紐が擦れあって手の中で小さく音を立てた。
その小さな音が聞こえたかのように、少年の前に立っていた男が振り返った。
一瞬。緊張から少年の体がこわばる。
男の服装は、少年がこれまで見たことがない意匠だった。
肩と背中の一部、それから、腰には金属のプレートを巻くようにした防具が取り付けられている。それ以外にも膝頭まで覆う長靴や、エッジの住む場所ではありえない両腕をさらしたシャツを着込んでいる。
すぐにこの地方ではない…別の場所から来た人間だとわかった。
男は振り返った先に少年を見つけて、表情を緩める。
無人の家に、どうしようかと思案していた、という状況だったらしい。
「ここに、エッジ=ヴァンハイトという青年がいると聞いてきたんだが…」
「…」
その言葉に、少年が目を細めた。
「あんたは誰だ」
警戒されたことに気づいた男は、ああ、とうなずいた。
「彼の、父親の知り合いだ」
「…」
なおも警戒を解かない少年に、男は困惑したようだった。
だが、少年の髪色に目を留めると、何かに気づいた。
「父親…俺たちの間ではヴァンと呼んでいたが、そいつからこれと、伝言を預かっている」
言いながら、背に負っていた剣の柄を少年に見せる。
ゆらり、と少年の目が揺らいだ。
その瞳の色も、父親譲りらしい。
「…俺が、エッジだ」
少年の返答に男は目を丸くする。
少年の髪の色、瞳の色から、男が尋ねてきたエッジ=ヴァンハイトの兄弟か、あるいは親類かと思ったのだが、…まさか本人とは思い至らなかった。
彼の父親の話しぶりから、もっと年上の青年を想像していたのだが、自分が『エッジ』だという目の前の少年は、どう見ても十歳にも満たないような、はっきり言ってしまえば、子供だった。
 


「伝言は?」
ひたと正面から見つめるエッジに促されて、男が躊躇する。
その内容は、不用意に伝えられるようなものではなかった。
いま2人の立つ場所は家の前の道で、往来する人がいないとも限らない。
「できれば、落ち着いた場所で話したい」
「…。わかった」
しばらく男の顔を見つめていた少年は頷くと、その脇を通り抜け家の中に入っていく。
振り返った少年の眼差しに、男はその後を追った。
家の中はがらんとして、あまり生活感があるように感じられない。
古い木のテーブルと、その奥に炊事に使うような大きな釜。
床は土間のようになっていて、一部にだけ石が敷かれていた。
「荷物を置いてもかまわないから」
釜のそばに持っていたウサギの足を置き、エッジが振り返る。
男の目には、薄暗い部屋の中で、その様が不思議と馴染んで見えた。

テーブルをはさんで向かい合い、まず、男はその上に彼の父親の剣を置いた。
男の予想とは異なる状況の上、少年の年齢を考えて男は伝える言葉を選ぼうとしたのだが、結局告げる内容は変えようがなかった。
けれども、エッジは父の死を伝えられても取り乱さず、視線を剣に注いだままじっと男の話に聞き入っていた。
表情も、視線もわずかも揺るがない。
「…驚かないのか」
失言だった。
男は心の中だけでつぶやいたつもりだったのだが、それは声になっていた。
あわてて口を押さえるその前で、エッジが淡々と答える。
「この剣を見せられた時に、予想はしていたから」
時には家族より…いや彼自身よりも大切にしていた剣。
父がそれを一時たりとも手放すとはエッジには思えなかった。
それほど大切にしていた剣がここにあるということは、つまりは、もう父はこの剣を手に取ることが出来ない場所にいるということ。
そう考えた結果だった。
「…そうか…いや、すまなかった」
「…」
エッジは無言のまま首を横に振った。
しばらく2人とも言葉を交わさないまま向かい合っていたのだが、灯をとるためにエッジが立ち上がったのをきっかけに、男が口をひらいた。
「そういえば、君はこれからどうするんだ?」
「…。どうもしない。ずっと一人で暮らしていたから、もう慣れている」
エッジの返事にはわずかに間が空いたが、それは男の質問の意味がとっさにわからなかったせいだった。
「不躾だとおもうが…両親の兄弟や、親戚は?」
「いない。…いるのかもしれないけど、俺は知らない」
手に持ったランプの煤を乱暴に払い、釜の傍のマッチを手に取りながらの返事に、男はむぅと心の中で唸った。
つまり彼は頼れる親類もいない、天涯孤独となってしまったらしい。
あまりにも若すぎる…幼いともよべる年齢で。
思えば、自分の娘ともそう離れていないだろう。
そう考えて、急に目の前の少年に対する愛しさが増した。
当初は彼の父の遺品を渡すだけのつもりだったが、そこまで聞いてこのまま別れるというのは忍びなかった。
「どうだろう。ひとつ提案があるんだが…」
そして、炎を灯したランプを手に戻ってきたエッジに、男は声をかけていた。
 


少年を一人にすることを気にする男を見送り、エッジは静かに家の中に戻った。
先ほどまで大きな人間が一人いたせいで、今は部屋のなかがいつもより広く感じた。
テーブルの上に置いたままになっていた剣を取り、もう一方の手にランプを持ち奥の部屋へと向かう。
小さな部屋には、ひとつだけベッドがしつらえてあり、エッジはそこに剣を横たえた。
ランプを足元に、そのままベッドに腰掛けて片方の足を抱える。
去り際の男の提案した言葉が、ゆっくりとエッジの心の中に浮かんでくる。
それを警戒するような『信用しすぎるな』という自身の声も。
…遺品を届けてくれたことには、感謝している。
だが、その言葉と態度とはまた別で、…たった一度あっただけの彼をどこまで信じていいのか。
家に入れたことも、普段のエッジならとてもではないが、しないことだった。
「…ゼー・メルーズ…」
ぽつりと呟いたその言い慣れない響きの言葉に、エッジはくしゃりと髪をかき回した。
息を吐き、正面を見つめる。
エッジの目の前にあるなんの変哲もない壁と家具…いつもは気にも留めない、なんの思い入れもないと思っていたこの家の中にあるすべてのものが、今はとても大切なもののように感じる。
自分の思いに、エッジは目を細めた。
それはおそらく、エッジ自身がすでに、この家を出る、と決めたせいだろう。
「…」
まるでその様を目に焼き付けるかのように、部屋をぐるりと見渡したエッジの表情は、年に似合わぬ大人びたものだった。
 



エッジ=ヴァンハイトという少年が、イリス=フォルトナーという少女と一緒に暮らすことになった日。
その日から、イリスはいつでもエッジのあとをついて歩くようになった。
イリスにとってエッジは不思議の塊で、興味が尽きることがない。
たとえば、身に着けていた服からそうだ。
イリスの住む、ゼー・メルーズの人たちと、エッジの服は違う。
それにイリスの周りにはおしゃべりな人が多かったから、あまり多弁ではないエッジが話す言葉は、なぜかとても貴重に思えて、なるべく聞き逃さないようにしようと、イリスはぺったりとまるでコバンザメのようにくっついていた。
「イリス!遊ばないの?」
「ごめんね、エア。今日はエッジの傍にいたいの」
イリスを引き離すように早足で歩くエッジのあとを追いかけながら、イリスは声をかけてきた幼馴染に返事を返すと、引き離された距離を縮めるべく走り出す。
「もう、『今日は』っていつもじゃない!」
当然、それまで遊んでいた友人とは、遊ぶ機会が減ってしまっていた。

「エッジ、今日はどこに行くの?」
今日も撒ききれずにイリスに追いつかれてしまったエッジは、くるりと背後を振り返った。
「そんなことより、お前あれでよかったのか?」
きょとんと見返したイリスに、エッジは少女の背後…先ほど少女とその幼馴染が会話していた通りに視線を向けた。
「約束していたんじゃないのか」
「ううん。今日は約束してない」
ふるふると首を横に振ったイリスに、エッジはその年に似合わないため息をつく。
「俺は遊ぶつもりはないし、一緒にいてもつまらないだろ」
だから、どこかに行ってくれ。
口には出さずそう思ったエッジだったが、イリスは彼の予想外にまた首を横に振った。
「そんなことない。エッジといると楽しいよ」
「俺は楽しくない」
エッジの言葉にイリスがほっぺたを膨らませる。
しかしエッジが彼女をおいて歩き出そうとすると、ふくれっつらのままイリスはそのあとを追いかける。
エッジは噴水広場を抜けて、ギルドのある場所へと向かう。
そこまできても、離れようとしないイリスに、エッジは再び彼女を振り返った。
「ぎるどに行くの?」
唐突にイリスにたずねられて、エッジは思わず頷く。
「ああ」
「お父さんに会いに行くの?」
再度たずねたイリスに、エッジは首を横に振る。
「ちがう。俺がギルドに用があるんだ。だから、ついてきてもいいけど、邪魔はするなよ」
「うん!わかった」
はなはだ信用できない「わかった」だったが、エッジはその言葉を信用するしかない。
歩き出したエッジに、イリスはいつのまにかにこにこと笑顔を浮かべてその服の裾を引っ張った。
「ねぇねぇエッジ」
「なんだ」
「手をつなごうよ」
振り返ったエッジの目の前に、小さな白い手が差し出されていた。
「ひとがいっぱいだから。そうしたら迷子にならないんだって」
「……」
人が多いのはこの場所にこしたことではない。
今の今まで何も言わなかったのに、なぜこの場所でイリスが言い出したのか。
そのことを考えてあることに思いいたり、エッジは頭を抱えそうになった。
『ついてきてもいいけど』だ。
イリスに向けた自分の言葉のが、一緒にいてもいいと返事をしたことになったのか。
「…だめ?エッジ」
きょとんと、丸い目がエッジを見つめる。
「〜〜〜。…迷子になりそうなところだけだから」
結局その視線に耐え切れず、エッジは仕方なく頷いていた。


 



 

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