昔日

 

 

昔日 T

 


幼いころ。

久しぶりに戻ってきた父は、見知らぬ少年を連れていた。

長旅だったのだろう、彼が身にまとった埃よけのマントの裾はぼろぼろで、体に似合わないほど大きな剣を背負っていた。
 

 

 


「イリス!なにしてるの」

転がっていったボールを追いかけて、いつまでも帰ってこないイリスに、エアが痺れを切らして傍にやってくる。

「あ、エア。あのね、さっきお父さんが…」

先ほどチラッと見えた少年のことを話そうと、イリスは幼馴染の彼女のほうを向く。

「お父さんって、イリスのお父さん?」

「う、うん。帰ってきたみたい。それでね…」

言いかけたイリスの手から、エアがぱしっとボールを取り上げる。

「あ」

ぼんやりとそれを目で追ったイリスに、エアはボールを抱えて工房のほうを指差した。

「行くんでしょ?早く行ったら?」

「え?あの…」

エアの言葉の意味がわからず、イリスは彼女の顔を見つめる。
エアはそんなイリスの様子にイラついたようにぴっと人差し指を立てる。

「ああもう、ぐずぐずしない!お父さんに早く会いたいんでしょ?」

「うん」

言いたいことは別だったが、それには躊躇なくイリスは頷く。

イリスの父はミストルースで、それもかなりの腕利きだった。
そのため依頼を頻繁に請負い家を空けることが多く、また本人の性格も手伝って、暇をみつけてはこの世界の他の地方を旅していることも多い。

だからイリスは父が帰ってくると知ると何をおいてもまず彼の傍に向かうようになっていた。
それを知っているエアは、まごまごしているイリスを急かして彼の父が向かう、イリスの母の工房へ行くように促しているのだ。

「じゃあ、エア。またね」

「またね。時間があったら遊びましょ」

ぱたぱたと細い路地を抜けて工房に向かうイリスに向かってひらひらと手のひらをひらめかせると、エアはぽんっとボールを一度空に投げる。

「…また本でも探そうかなぁ」

ぽつんと呟いた言葉をきいたのは、傍にいた野良猫一匹だけだった。


 



「お父さん!おかえりなさい!」

勢いよく扉を開けて飛び込んできた娘を父は両手で受け止めて、そのまま高く抱え上げた。

「ただいま、イリス!」

「きゃー♪」

ぽんっと高く放り上げられて、再び腕に抱きかかえられる。
うれしそうに歓声を上げたイリスに、父は満足そうな表情を浮かべるとそのまま床にイリスをおろした。

「相変わらずねぇ、二人とも」

その様子を背後で見守っていたイリスの母は、毎度の再会シーンに少々呆れ顔だ。

「彼がびっくりしてるじゃない」

工房の中には、イリスの両親のほかにもう一人、少年がいた。

イリスが通りで見かけた、あの少年だった。

今はもうマントをはずしていて、突然目の前で繰り広げられたアクロバットに目を丸くしている。
「あ」とイリスは声を上げると、ととっと彼の傍まで走りよる。

「こんにちは」

興味津々、彼女よりも幾分高い位置にある顔を見つめて、にこっと微笑んだ。

「私、イリス。お兄ちゃんは?」

無邪気にそう尋ねられた少年は、明らかに戸惑っているようだった。

「…」

「お兄ちゃんの名前、なんていうの?」

黙ったままの少年に、イリスは再度尋ねる。
両親は彼の名を当然知っているのだが、あえて彼女に教える気はないらしい。
少年と少女の(今は一方的に少女が話しかけているのだが)やり取りと、見守っている。

「…っ」

そんな大人二人の顔と、無邪気に自分の返事を待っているのだろう少女の顔を交互に見くらべて、少年は最後に視線を少女に移す。
つやつやの大きな目は、期待に満ちて少年を見つめている。

とてもあきらめそうにない少女の様子に根負けして、少年が口を開く。

「エッジ。エッジ=ヴァンハイト」

ぱっとイリスの表情が明るくなる。

「エッジおにいちゃん!」

その言葉に、エッジのほほが赤く染まった。
赤面したことが恥ずかしいのか、エッジはそのままそっぽを向く。

「…よびすてでいい…」

その言葉にきょとんとしていたイリスだったが、意味を理解すると、うれしそうに顔をほころばせて「エッジ、エッジ」と何度も少年の名を呼ぶ。

「やあ、なついてるなぁ。よかったよかった」

その様子にうれしそうにイリスの父はうなずくと、エッジの傍を離れないイリスを「こいこい」と手招く。

「なあに?」

「イリスによいことを教えてやろう。これからエッジはイリスや母さんと一緒に同じ家に住むんだぞ」

「え!?」

「ほんとう!?」

同時に声を上げたのはイリスとエッジだった。
喜ぶイリスを横に、エッジは困惑したようにイリスの父を見上げた。

「それは…、見ず知らずの人の世話にはなれない」

「しかし、お前さんの年齢で、この町で一人暮らすのは難しいぞ?」

「住み込みの仕事を探せば何とか…」

言いながら少年もその言葉がいかに都合のよいものか気づいているのだろう。言葉に力がない。

「お前さんの親父さんに、よろしく頼むって言われてるからな。…まあ、お前さんが独り立ちするまでぐらいなら、なんとかしてやるって俺は答えた。約束を守らせてやるつもりで、何年か辛抱してくれ」

「……」

何度か一緒に仕事をしたというだけで、父の遺品をわざわざ届けてくれたその男性にそうまで言われてエッジは言葉が出ない。
他の者の反応を見ても、イリスの母はそれが当然とでもいうようにうなずいているし、傍にくっついている少女は、これまた期待に満ちた目で、エッジの返事を待っている。

出会ってほとんど時間はたっていないというのに、この目に自分が非常に弱いということをエッジは自覚せざるを得なかった。

…ここで折れなければ、なにかもっと、とんでもないことが待っている気がする。

そんな漠然とした恐れに似たものも感じた。

こくんと、無言でうなずいたエッジに、イリスはがばっと抱きついた。

「わっ!」

「エッジ!エッジ!お兄ちゃん!」

「ちょっとまて…苦し…」

抱きついて、胸と両腕でエッジの頭を抱え込んだイリスに、エッジは顔を赤くして彼女を引き離そうとする。
しかし触った体のどこかしこも、ふにゃふにゃして、どこを掴んだらいいのかわからないエッジは手をばたつかせるだけで結局はイリスのされるがままになってしまう。
そんな二人のやり取りを、イリスの両親はほほえましげに見守っていた。
 



 

                              【終?】                   
 

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