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急速に、鼓動が収まる。
普段よりは激しくても、走った後程度の鼓動に。
自分の抑えに抑えていた想いはこんな所にあったのか、とぼんやり考えながら、
一度唇をはなして、角度を変えてもう一度口付けて。
ややあって、唇を放してヴィーゼをみると、目を見開いたまま固まっていた。
服を掴んでいた手も緩み、掴んでいた格好のまま止まっている。
「……ヴィーゼ?」
はっと瞬きしたヴィーゼはかぁっと、みるみる頬を染めた。
「な……なに……って……、フェル……」
ヴィーゼは途切れ途切れに言葉を紡ごうとするが、うまく言えないらしい。
それを見たフェルトは自分の行動がいかにイレギュラーだったかという事に気がつく。
フェルトは急速に紅潮する顔を押さえ、慌ててばっと飛び退った。
「うわっ……ごめん!違うんだ!!」
びっくりしてヴィーゼの目が丸くなる。
自分でしまった、と思う前に、ヴィーゼの顔が怒りにゆがむ。
「ちがうって、なによっ」
「いまのは!……いまのは、ちょっとよろけて!」
言い募る内容に、さらにヴィーゼの怒りは増す。
「よろけて、キスするの!?」
「〜〜お、俺はっ……」
さらに言い募ろうとしたが、きつく睨むヴィーゼを見て、あきらめた。
ゆるゆると俯いて、やや照れと後ろめたさを含む表情になる。
「……なんだか、ヴィーゼの瞳をみてたら、いつの間にか……」
……吸い込まれるみたいに、口付けていた。
語尾を察したヴィーゼの表情が緩み、さっと頬が染まる。
「それって…どういう…」
照れにがしがしと頭をかいてフェルトは続けた。
「最近、ヴィーゼを見てると不思議な気分になるから……なるべく見ないようにしてたんだ。
でもそれでもなんとなく目が行って、さっきはいつの間にか……
……ゴメン。好きなヤツとしたかったろ?」
気をつかった言葉にヴィーゼの表情は唖然とした顔に変わり、さらに頬を紅潮させた。
「……バカ!キスしてからそんなこと言わないでっ!」
離れていた距離を一足で詰めてどん!とフェルトの胸を叩く。
幾度と叩くけれど、それでもまだつらそうなヴィーゼの表情をみて、フェルトの手はゆっくりと上げられる。
(怒ってるのに抱きしめるなんて、ヴィーゼ、もっと怒るかも)
ぐっ、とあげかけた手が握り締められる。
(でも、泣いてる。……ヴィーゼを慰めたい)
ふと緩みかけた手を、しかしまたぐっと握り締める。
(俺が触れたいだけじゃないのか?慰めることを言い訳にして、卑怯だ)
しかし、降ろしかけた手は、もう一度持ち上げられる。
(……でも……やっぱり…………)
愛しい。
想いがたった4文字の言葉で表された後は、すんなりと手が動いた。
ぎゅう、と思いのままに抱きしめてそっとヴィーゼの表情を伺う。
何度と叩いていた手はもがくでもなく止まっている。
涙に潤む瞳と刹那視線が絡んだ。
かあっ、と頬が染まる。
「あ……その、ゴメ……ン」
いい加減、ヴィーゼもなにがどうなっていたのか察したらしく、一度そっと俯いて、呟く。
「…………てよ」
「え?」
「……悪いと思うなら、やりなおしてよ」
さらに紅くなったまま、ヴィーゼはフェルトを見上げる。
「え……」
思わずフェルトまで紅くなった。
しかし頬は染まっていても、瞳に宿る力は彼女が頑固に有無を言わせない時のそれだ。
「……わかっ、た」
返した言葉は鼓動に同調するように震えてしまった。
ふわりと広く抱きこんで、薄く目を伏せると、
胸を叩いていた手を、むしろ縋るような格好に変えて、ヴィーゼは僅かに上向く。
そっと伏せられた睫は長くて、見つめているうちに、先程口付けた時と同じ鼓動に支配された。
極至近距離まで近づくと、フェルトの前髪がさらりとヴィーゼの肌に触れて、彼女は思わずぎゅっと固く目を瞑る。
その変化をみたフェルトも愛しさが増して、抱きしめる腕に力がこもりそうになる。
ゆっくりと近づいた唇が、そっと重なった。
先ほどと同じ程度の口付けなのに、なぜだかすごく嬉しくて幸せで、
その口付けより、より長く。幾度と重ねなおした。
唇を放したあとも、ヴィーゼは胸元に縋ったまま、切ない顔でぼうっとしている。
「…………ゴメン」
「え…………?」
「…………ヴィーゼのこと、好きみたいだ」
熱に浮かされたままの瞳がヴィーゼの瞳を捉えた。
「あ……わ、私も……好き、です」
幸せそうに、愛しげに、フェルトはヴィーゼを抱きしめた。
茶の柔らかい猫っ毛がふわりと頬に触れる。
ヴィーゼは力の抜けたまま肩口にもたれていた。
フェルトはそっと頬を摺り寄せて、ゆっくり目を伏せる。
ずっと気を張り詰めていた二人は、そこでようやく一息ついたのだった。
「枢機院で夜を過ごすのはどんな感じですか、イリス」
ベッドに横になった少女の頭を、数年前フェルトたちにしたのと同じように撫でる。
幼い少女は静かに微笑んだ。
「なんだか……不思議な感じ」
「そうですか。……しかしあなたの兄さんは手がかかりますね」
「本当……」
くすくすと顔を見合わせて笑う。
「明日になったらきっといつもと同じように笑ってくれると思いますよ。
……さあ、そろそろ眠りなさい、イリス」
頭を撫でていた手でぽんぽん、と背中をかるく叩くと、
すでにとろんとしていた目はゆっくりと伏せられて、深い眠りに誘われた様だった。
肌掛けをかけなおして、イリスの肩が冷えないように気をつかうと、
クロイツはランプを持って静かに部屋をでた。
「……まったく、幼子に心配をかける程、思い悩むような事ですかね」
小さく呟きながら長い廊下を静かに進む。
「それほど大事に、強く想うのも青春ですか……」
「クロイツ様」
ふと、横手から声がかかって足を止める。
「ああ、ルテネス。今日も遅くまでご苦労様です。……どうかしましたか?」
「いえ、今日は昔と同じように、イリスと一緒に枢機院に泊まろうかと思いまして、許可を頂きに」
「そうですか……そうでしたね。よろしくおねがいします」
二人の記憶の中、幼い頃の二人が浮かぶ。
「……まったく、年はとりたくないものです」
苦笑するクロイツに普段無表情なルテネスはふふ、と微笑を浮かべた。
「では、クロイツ様もマナになってはいかがですか?私は歓迎いたしますけれど」
「それはさすがにちょっと勘弁してください」
「ふふ。……それでは、おやすみなさい」
「おやすみなさい。よい眠りを、よい夢を」
小さく挨拶を交わして別れ、クロイツはまた廊下を歩き始める。
「そういえば今日、彼らは二人きり……ですか。
うまくやってくれるといいのですが……」
ヴィーゼが沈痛な面持ちで相談を持ちかけてきた時のことが頭に浮かぶ。
最近自分の顔を見ない、と言ってきたその表情は、ずいぶんと憔悴していた。
思わず一瞬、クロイツが少年に対して怒りの表情を浮かべたのを、ヴィーゼは慌てて諌めた。
『待ってください枢機院長。きっと私が悪いんです、ヘンなのは私にだけですから』と。
そこで大体何があるのか理解したクロイツが、今回のことを申し出たわけだが。
「……二人は昔からとっても仲がよかったですから、ね。今回もきっと大丈夫ですよ」
クロイツが思わず浮かべた笑みは、幼い頃の彼らに向けたのと同じ笑みだった。
【終】 |